55.ロレンツの忠告

 コンコン……


 ロレンツはそのネガーベル王城最上階に位置する豪華な装飾がついたドアをノックした。ドアの隣には『聖騎士団長エルグ・ジャスター』と刻まれたプレートが掲げられている。



「どなたでしょうか?」


 エルグの付き人である女性がドア越しに尋ねる。



「ロレンツだ」


「ロレンツ?」


 誰だか分らない付き人。



「姫さんの『護衛職』だ」


「……しばしお待ちを」


 付き人はそんな約束はないはずと思いながらも、そう答えるとどこかへ歩き出ししばらくして戻って来てドアを開き言った。



「ようこそおいでくださいました、ロレロレ様」


 対応したのは若く美しい女性。聖騎士団長の傍に仕え身の回りの世話をするのが仕事だ。エルグが入り口までやって来て言う。



「これはこれはロレロレ殿。お越し頂けて嬉しいよ。さ、入ってくれ」


「ああ、邪魔する」


 ロレンツはネガーベル軍最高司令官の部屋に、躊躇なくドカドカと入る。


 王城最上階に位置する聖騎士団長の部屋。

 その展望は広いネガーベルの大地を見渡すことができ、有事の際にもいち早く対処できる。

 室内には歴史が刻まれた調度品が多数置かれ、国王と同じ職人が手掛けた天蓋付きのベッド。広い机の上には難しい本や重ねられた無数の書類。中央には金色の刺繍が美しいソファーが置かれている。



「さあ、座ってくれ。紅茶でいいかな?」


「無用だ。すぐに出て行く」


 ロレンツは一切表情を変えずにそう言うと、中央のソファーにドカッと座った。



(な、なに? この人……)


 付き人である女はその初めて見る太々しい態度に唖然とした。

 仮にもネガーベル最高司令官の部屋。これまでやって来る貴族達は、皆、引きつった顔で平身低頭になりおろおろしていた。こんなに堂々としている人間は初めてである。

 エルグがロレンツの正面に座って言った。



「ミスガリア産の最高級茶葉があったんだが、残念だ」


 ミスガリアと聞いてロレンツが尋ねる。



「戦争をやるそうだな。あんたは行かないのか?」


 エルグがそのサラサラの赤い髪をかき上げながら答える。



「我が軍は優秀でね。私が行かなくとも問題ないだろう。間もなくかな、到着は」


 エルグは付き人が用意した紅茶を手にしてその芳醇な香りを楽しんでから口にする。そしてロレンツに尋ねる。



「そんな用事じゃないんだろ? ここに来たのは」


 腕を組んだままじっとエルグを見ていたロレンツが小さく頷いて答える。



「ああ、そうだ。単刀直入に言おう。ミンファは俺が



(は?)


 ティーカップを持っていたエルグの手が止まる。


「うちの家政婦に来て貰うことになった。ちょうど人手が欲しくてよお。あの嬢ちゃん、料理も上手くて子供の扱いもいい。俺としては有り難いことだ」



(何を言っているのだ、この男は……!?)


 ミンファは自分がリービス家にまで赴いて『ロレロレ攻略』を命じた女。それがその男のになったとは。だが頭の切れるエルグはすぐに事情を察した。



(ミンファが裏切ったか。だがあの女には例のが掛けてある。それはどうなった? いやそれよりロレロレがここに来たってことは、吐いたか……)


 エルグは顔では笑みを浮かべながら内心怒りの炎に包まれていた。

 裏切り、白状、寝返り。

 エルグが最も嫌いなことであった。ロレンツに言う。



「なぜ、それを私に?」


 真剣な眼差しのエルグ。ロレンツもそれに応えるように鋭い眼差しになって言う。



「忠告だ。俺にしようとしたことは咎めない。だが、今後彼女に近付くようならば……」



 ロレンツの体から漆黒のオーラが放出される。



「おめえさんを斬る」



(!!)


 エルグは動けなかった。

 ネガーベル聖騎士団長に対する暴言。普通なら直ぐに捕らえて刑罰を受けさせるほどの蛮行。

 だが彼はそんなことを考える余裕など一欠片もなかった。エルグは自分の首にゆっくりと触れ、ことに安堵した。



(斬られたかと思った。何なんだ、この男は……)


 微動たりしていないロレンツ。

 しかし目の前に座るエルグの首を一度、斬った。その精神を支配し、その中で。ロレンツが言う。



「他人を道具か何かと思ってるのか? ちょっと火遊びが過ぎるぜ。もし、この先俺の周りの人間に詰まらねえことするようだったら……」


 エルグは脂汗を流しながら黙ってロレンツを見つめる。



「その首、今度はきちんと落とす」



 エルグはそのまま固まって動かない。ロレンツが立ち上がりながら笑顔で言った。



「俺の用事はそんなところだ。じゃあな」


 そう言って部屋の隅で立ち尽くす付き人の女性に軽く手を上げて部屋を出て行く。




「はあ、はあ、はあ……」


 エルグは呪縛が解けたかのような顔をして下を向いて息を整えた。

 全身から汗が吹き出し、サラサラの赤髪はその汗で乱れてしまっている。いつも余裕をもった顔も引きつったまま硬直して動かない。



 恐怖。

 ロレンツから発せられる邪を纏ったオーラ。

 百戦錬磨と自負していたエルグが、その覇気だけで相手に飲み込まれてしまった。以前人質を確保していたレイガルト卿が『恐ろしい』と青い顔をしていたのも間違いなく今の男の仕業だろう。



(危険だ。危険すぎる。姫はどこからあんな助っ人を連れて来たんだ……)


 ロレンツが去り、少し冷静になったエルが考える。



(味方に引き込みたい。是が非でもジャスター家の力になって欲しい。でなければ、やはりあの危険人物は消すべきだろう……)


 エルグはソファーに座ったままじっとひとり考えこんだ。

 彼の付き人であるその女は、初めて見るであろうエルグの怯えた姿に驚きただ立ち尽くしていた。






 ネガーベル王城正門前。

 そこに異国の服装を纏ったふたりの男が現れた。門兵が槍や剣を構えて威嚇しながら大声で言う。



「その服はマサルト!! 何用だ!!」


 マサルト国軍軍団長ゲルガーとその部下であるゴードン歩兵団長は、自国の軍服を着たまま堂々と言い放った。



「我々はマサルト国王の勅使!! ネガーベル国王にお取次ぎ頂きたい!!!」


 そう言ってマサルト国王直筆で国印の入った書状を掲げて見せる。門兵のひとりがふたりに近付き、その書状を受け取りすぐに上官へ手渡す。それを読んだ上官がふたりの元へ歩み寄り軽く頭を下げてから言った。



「貴国の書状、確かに受け取った。王城へご案内する。こちらへ」


 ふたりはお礼を言い、先を歩く上官の後について門をくぐった。






「アンナ様!!」


 公務室で仕事をしていたアンナに、部屋に戻ってきた侍女のリリー大きな声で言った。一緒にいてコーヒーを飲んでいたロレンツもその声に少し驚いて顔を上げる。アンナが言う。



「どうしたのですか、リリー?」


 いつも冷静なリリーが息を切らしている。アンナの前にやって来て呼吸を整えたリリーがアンナに言う。



「マサルトが、マサルト王国が同盟の申し入れの為に、姫に謁見したいと城に訪れています!!」


「マサルトが……?」


 驚くアンナ。リリーが答える。



「はい、マサルト軍ののふたりが来ているとか……」


 ロレンツはその役職を聞いてさすがに驚いた。アンナも真面目な顔をしてその報告を聞く。



 他国からの使者。

 国王代理になってまだ数か月のアンナにとって、それは初めての外交であった。そしてその相手が敵国であり、ロレンツの出身国、さらにロレンツにとっては見知った人物であった。

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