28.思惑と思惑と、予想外の思惑。

(あれ、私……?)


 アンナは窓から入る明るい日差しで目が覚めた。



「うっ……」


 同時に襲う二日酔いという重い頭痛。頭の奥の方をずきんずきんと鉛で叩いたかの様な鈍い痛みが襲う。アンナが昨夜のことを思い出す。



「えっと、私、確かお酒を飲んで……」


 部屋でひとり酒を飲み始めたのは覚えている。



「え?」


 そして気付く見慣れないベッド。

 青いシーツに、漂う男臭。そしてそのベッドの上に吐き出された嘔吐物。アンナの顔が青くなる。



(やだ、私……、また酔ってあいつのベッドで寝かされてる……)


 しかもお決まりのゲロ。自分は一体どれだけあいつにゲロを吐き掛ければ気が済むのだろうか。アンナが痛む頭を抑えながら起き上がり大きな声で言う。



「ちょ、ちょっとおお、ロレンツーーーっ!!!」


 響くアンナの声。しかし何も返事がない。



(あ、あいつ、まさか酔った私にいかがわしいことを!? そ、そりゃ、こんなに可愛くて魅力的だから手を出さないはずはないわよね!!!)


 アンナは壁に手をつきながらロレンツの寝室のドアを開け叫ぶ。



「ちょっとロレンツ!! これは一体どういうこと……、あれ?」


 広いリビング。

 朝のまぶしい光が注ぐ部屋にはもう誰も居ない。アンナがむっとしながら言う。



「ど、どうなっているのよ、一体!!」


 自分をベッドに連れ込んでおきながらその主がいないなんてあり得ない。アンナは怒りを抑えつつ水を飲むためにキッチンの方へと歩く。そしてテーブルの上に置かれたメモに気付いた。



「あれ? 何かしら」


 アンナがメモを手にする。

 そこには昨晩部屋の前で自分が酔って倒れていたこと、仕方なしにイコと一緒にベッドに連れて来て寝かせたこと。そして朝になったからイコは学校へ、自分は所用で出かけることが書かれてあった。



「これって、私が悪いんじゃん……」


 徐々に思い出される昨晩の記憶。

 確かに酔って部屋に向かったことや、太い腕に抱えられてベッドに寝かされたことがうっすらと蘇る。



「やだ、恥ずかしい……」


 急に乙女のようになって恥ずかしがるアンナ。そして思い出す。



「あっ!! あいつ、確かあの女とデートぉ……、いつつつっ……」


 頭痛に耐えつつ、アンナは昨晩あの色っぽい女、ミンファがロレンツが王都に一緒に出掛ける約束をしていたのを思い出す。



「ゆ、許さないわ!! 私の『護衛職』のくせに他の女と出掛けるなんて!!!」


 アンナはそう言うと外出する準備のため自分の部屋へと急ぎ戻って行った。






「あ、おはようございます。ロレロレ様……」


 王都噴水前。

 たくさんの王都民が集まるランドマーク的な広場。待ち合わせをする人や買い物を楽しむ人など平日でもたくさんの人で賑わっている。ロレンツが噴水の前にいたミンファに声を掛ける。


「よお、待たせたな」


「い、いえ、そんなことは……」


 ミンファは恥ずかしそうに下を向いて答える。

 今日の衣装は昨晩とは打って変わって純白のワンピース。太陽の光を浴びて輝く銀色の長髪には大きなリボン。頭には大きなつば広帽、手には小さな籐のカバンを持ちまさに『清楚』を体現化したような女の子である。

 ミンファにとってはほとんど来たことのない王都の噴水広場。少しどきどきしながらロレンツが来るのを待っていた。ロレンツが言う。



「可愛い服じゃねえか、似合ってるぜ」


(え!?)


 ミンファのどきどきが更に大きくなる。

 不安だったいつもの自分の服装。子供っぽい服で笑われたらどうしようと思いながらも、『好きな服で来い』と言われた昨晩の言葉を思い出し大好きなワンピースを着てきた。



「あ、ありがとうございます……」


 ミンファが赤くなって答える。

 大都会であるネガーベルの王都。自分のような田舎者はきっと馬鹿にされると思っていたミンファは、その認めて貰えるような嬉しい言葉が心に沁みて行くのを感じる。ミンファが言う。



「あの、ロレロレ様も素敵です……」


 それはミンファの心からの言葉であった。



「ああ、で、どうする?」


 ロレンツの言葉にミンファが答える。



「あ、あの、私、王都ってよく知らないんです。良ければ教えて貰えませんか?」


 ロレンツが頭を掻きながら答える。



「俺もよく知らねえんだ。まだ来て日が浅いからな」


「え? ぷ、ぷぷっ、くすくす……」


 それを聞いて口に手を当ててミンファが笑う。



「そうなんですか? 意外です。じゃあ、一緒に歩きましょうか」


 そう言ってミンファがロレンツの太い腕に手を絡める。



「お、おい……」


 少し驚いたロレンツが声を出す。ミンファが嬉しそうに言う。



「いいんです。これでお願いします」


「……分かった。でいいんだな?」



「はい!」


 ミンファとロレンツは腕を組みながら歩き出す。




(……とりあえず最初は上手く行ったようだわね)


 それを少し離れた場所から隠れて見つめる真っ赤なフードを被った女。

 そのフードから出る美しい艶のある赤髪。ミセルは大きなサングラスをずらしながら歩き行くふたりを見つめる。



「ロレロレが女好きだったとはね。意外ですわ……」


 ミセルは気付かれないようふたりの後をそっとつけた。






「うわー、これとっても美味しいですね! ロレロレ様も食べたことあるんですか?」


 ミンファとロレンツは通り沿いにあったオープンテラスのカフェに入り、名物だというドーナツのようなデザートを食べていた。外はサクッとしているのに中はしっとりと柔らかい。ほどほどの甘味がコーヒーとよく合う。ロレンツが答える。



「知らぬ。初めて食べた」


 無表情でそれに答えるロレンツ。それを笑顔で受けるミンファ。

 だがお互い頭では全く別のことを考えていた。



(この人、きっと全部知っているんだわ。私が置かれた状況も、計画のことも……)


 ミンファは目の前に座る男を見て、自分に課せられた指示がとても困難であることを感じ取っていた。王家の『護衛職』を務めるだけの男。下手な策略など通じるはずがない。



(やれやれ、また赤髪の嬢ちゃんか……)


 コーヒーカップを手にしたロレンツは、背後の影から放たれるミセルの気配をひしひしと感じていた。ハニートラップとまではいかないが女を利用した策略は、マサルト軍人時代にも似たような経験がある。

 しかも今回は非常に分かりやすい。昨日ミンファを襲った男共だが、まったくを発していなかった。命をかけた死線をくぐり抜けて生きたロレンツ。相手が本気なのかそうでないのかはその発せられるオーラのようなものですぐに分かる。



(まあ、さしずめこの銀髪の嬢ちゃんを俺に寄こして情報か、もしくは仲間にでもしたいのだろうな)


 昨晩彼女がやって来た時に、あえてイコには能力を使わせなかった。それほど簡単に推測できる今回の事態。ここに住むことに決めた以上ある程度のことは覚悟しており、この程度は想定済みであった。ロレンツが言う。




「今日一日付き合えば、とりあえず納得してくれるのかい?」


「はい、ありがとうございます……」


 その納得する相手はもちろん依頼主であるジャスター家。ふたりはあえてそれを口にしないが、お互いきちんと理解していた。



「俺で協力できることがあれば言ってくれ。できる範囲で手伝う。もしどうしようもなくなったら相談してくれ。まあ、その辺の判断は嬢ちゃんに任せるがな」


 ロレンツは静かにコーヒーを飲みながら言う。



「はい、ありがとうございます……」


 ミンファは心の中で白旗を上げていた。

 相手の方が上手。とても自分が策を練って落とせるような男でない。



(だとしたら純粋に、真心をもって彼を落とすしかないわ……)


 ミンファはそれが自分に出来る最善の方法だと思った。ひとりの女として彼を落とす。結局はそれが一番いい。そう思いながらもミンファは自分に言い聞かす。



(だけど私が、私が彼に惹かれないように気を付けなきゃ……)


 ちょっと気を許せば彼に奪われるかもしれない自分の心。その心にミンファは鉄の鎖を何重にも掛けた。





(な、なんなのあれは!!!!!)


 その金髪の女性は怒っていた。

 刺客ミンファについてはほぼ完璧に対処したロレンツ。敵から送られたミンファをある意味完璧に返り討ちにした。すべてがロレンツの思い通りであった。

 ただ、そんな彼にも思っても見なかった事態が進行していた。



(わ、私の『護衛職』のくせに、な、なんで、あんな女とっ!!!!!)


 それはアンナ。

 フード付きのコートにマスク、サングラス。

 完璧な変装でロレンツを探しに来た彼女は、休日に他の女と密会するロレンツを見つけひとり激怒していた。敵対心を持たない彼女の気配は、ミセルにのみ集中していたロレンツには届かなかった。




 そしてロレンツにとってもうひとつ、思っても見なかった事態が起きていた。


「おいおい、なんてこった……」


 夕方前、ミンファと別れて自室に戻ったロレンツは、ゲロまみれの自分のベッドを見て深いため息をついた。

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