24.剣の訓練!?

 カチャ……


 公務室でティーカップを手にしながら書類に目を通していたアンナは、部屋の奥のテーブルで雑誌を読みながらコーヒーを飲むロレンツに目をやった。


(あの姿……)


 リリーの拉致の件でレイガルト卿は拘束され、今後裁判を経て実刑が確定される。腹立たしいがあとは法による裁きに任せるしかない。

 だがそんな法ですら関係ないと言わんばかりの目の前の男。レイガルト家の屋敷で見せた禍々しい呪剣。欠けた黒いハート模様。



 ――これが無くなれば多分、俺は死ぬ。


 そんな話聞いたことがない。あんな黒い剣、見たことがない。あの模様は一体……、そこまで考えた時アンナにある言葉が蘇った。



(お前、この模様が見えるのか?)


 ずっと前に言われた言葉。

 確かにロレンツは自分があの模様が見えることに驚いていた。



(他の人は見えないのかしら……?)


 力になりたい。

 武骨で無神経で失礼な奴だけど、今彼無しの生活は考えられない。

 ジェスター家による嫌がらせや工作で王城で孤立していたアンナ。今にも崩壊しそうだった自分を寸でのところで支えてくれたロレンツ。少しでも何かお返しがしたい気持ちはある。アンナは立ち上がって言う。



「ね、ねえ、ロレンツ……」


 リリーは所用で一日いない。アンナの声が公務室に響く。



「あ? 呼んだか?」


 椅子に座っていたロレンツが顔を上げてアンナの方を向く。



「あの、私……」


 そうアンナが言い掛けた時、ドアを叩く音が部屋に響いた。



 コンコンコンコン!!!


「ん? 誰か来たようだ」


 それに反応してロレンツが立ち上がりドアへと歩き出す。



「……」


 アンナはそれを無言で見つめる。



「誰だ?」


 ドアの前に立ちロレンツが低い声で尋ねる。甲高い声ですぐに返事が返って来た。



「ロレロレ~、私だよ~、キャロルだよ~」


 ロレンツが平坦な声で返す。


「用事はない。帰れ。じゃあな」


 そう言って椅子に戻ろうとしたロレンツに再びドアが叩かれ、キャロルが大きな声で言う。



「ちょっと~、ロレロレ!! キャロルは用事があるのー!!」


 余りドアの前で騒がれても良くない。

 はぁとため息をついてからロレンツがゆっくりとドアを開けた。



「やっほー、ロレロレ!! キャロルだよ~!!」


 一体何度名乗るつもりなのかとロレンツが内心思う。



「一体何の用ですか?」


 立ち上がったアンナがドアの元へ歩きながら尋ねる。キャロルは部屋をぐるっと見回して言う。



「あれ~、今日はリリーちゃんはいないのね。まさかロレロレ、姫様とふたりっきり~??」


 アンナの顔がぽっと赤くなる。


「そんなことはどうでもいいことです。それで一体何の御用で?」


 対外用の顔。

『氷姫』と呼ばれたアンナの冷たい顔がキャロルに向けられる。



「えー、キャロルはロレロレに用があったんだよ~」


「俺に?」


 それを聞いたアンナがむっとして言う。



「私達はあなたに用はありません。そもそもあなたは敵の人間でしょ? どうしてここへやって来られるのかしら?」


 不満そうな顔でアンナがキャロルに言う。キャロルが答える。



「え~、それって『剣遊会』での話ですよね~。もうそれ終わったし。キャロルは聖騎士団だから国を守るのがお仕事なんだよ~。つまり~、姫様を守るのもキャロルの仕事なの~」


(うっ)


 正論。

 キャロルの言うことが正しい。『剣遊会』で敵対していたから感情的になっていたが、言われてみれば聖騎士団は本来、王家であるアンナを守りその指示に従わなければならない。

 ジャスター家が力をつけ、国軍が騎士団長エルグの私物化となっている現状こそ間違いである。アンナが言う。



「分かったわ。あなたの言う通り。でも、私は用事はないわ。さあ、帰って……」


 そこまで言い掛けた時、キャロルがふたりを見ながら尋ねる。



「あれ~、姫様はロレロレとになりたいんですか~??」



「はあ?」


 そのひと言がアンナの心に火をつける。



「そ、そんな訳ないでしょ!! 彼は護衛職、仕事だから一緒にいるの!! さあ、入りなさい!!」


 アンナはそう言うと顔をぷいと背けて机へと戻って行く。



「は~い、お邪魔しまーす!!」


 キャロルはにっこりしながら公務室へ入る。



(やれやれ……)


 ロレンツも仕方ないなと思いながらテーブルに戻る。部屋の中央に置かれたソファーにキャロルが座りながら言う。



「きゃー、このソファーふっかふかぁ!!」


 そう言ってピンクの髪を揺らしながらキャロルがソファーで跳ねる。椅子に座ってコーヒーを手にしたロレンツが彼女に尋ねる。



「それでピンクの嬢ちゃん、一体何の用なんだ?」


 ソファーで遊んでいたキャロルがロレンツの方を見て答える。



「あ、そうそう! キャロルね、ロレロレに剣の稽古つけて欲しいなあって思って」


「剣の稽古?」


 ロレンツが聞き返す。



「そうだよ~、ロレロレとっても強いし、キャロルももっと強くなりたいから~!!」



(ロレロレ、ロレロレって鬱陶しい……、敵に稽古なんてつける訳ないでしょ!!)


 黙って聞いていたアンナがイライラする。

 ロレンツは少し考えてから答える。



「そうだな、こっちに来てから全く鍛錬していなかったしな。お前の突きも相当なもんだ。いいだろう、付き合ってやる」



(はああああっ!?)


 そう真顔で話すロレンツをアンナが信じられない顔で見つめる。



(な、何を言ってるのよ!! あんなこと言ったってこの女は敵なのよ!! 敵っ、敵、敵っ!! どうしてそれが分からないの!!)


 アンナは怒りの形相でロレンツを睨みつける。



「わ〜、キャロル嬉しいー!!」


 ロレンツの言葉を聞いたキャロルが満面の笑みを浮かべてロレンツに近寄る。



「おめえさんの突き、大したもんだ。だが俺も稽古とは言え全力で行く。手加減はしねえぞ」


 真面目な顔で言うロレンツにキャロルが嬉しそうに答える。



「いいよいいよ~、全力で来て~!! キャロルも頑張るから!!」


 仲良く話すふたりを見ながらアンナの顔が言い表せぬ怒りに染まる。キャロルが言う。



「それで~、キャロルは夜もぉ、稽古して欲しいな~」


「夜? そりゃまた熱心なことだ」


 ロレンツが頷いて答える。キャロルはロレンツに近付くと、恥ずかしそうにその太い腕を指で撫でながら言う。



「夜はぁ~、ベッドの上で、ロレロレのでぇ〜、いっぱいねぇ~」



(は、はあぁ!!??)


 アンナはその信じられない言葉に唖然とする。ロレンツが真面目に答える。


「そんな場所じゃ訓練にならんだろ。それに夜は休むもんだ。休憩も重要だぞ」


 キャロルは恥ずかしそうな顔で答える。



「ロレロレがぁ、疲れたって言うならぁ、寝てるだけでいいんだよ〜、キャロルが全部やってあげ……」



「おいっ!! そこっ、何を話してるんだ!!!!」


 いい加減ブチ切れたアンナが大声で言う。



「きゃっ!! 姫様、どうしたんですか~??」


 驚いたふりをするキャロルがアンナを見て言う。アンナが怒りの形相で言う。



「一体何を馬鹿なことを話しているの!!!」


 ロレンツが答える。



「馬鹿なこと? おいおい、剣の稽古の話だぜ、嬢ちゃん。大事なことだ」



(むかーーーーっ!!!)


 どこまで本気なのか冗談なのかアンナには理解できない。アンナが言う。



「ふざけないでよ!! どうして夜までそんなことするのよ!!!」


 ロレンツが頷いて答える。



「まあ、そうだな。夜はゆっくり休むべきだ。短期集中。それが最もいい」


 キャロルが答える。


「えー、そうなのぉ?? じゃあ、お昼もベッドの上でロレロレの剣で……」



「帰れ、この淫乱女っ!!!」


「きゃっ!!!」


 アンナは怒りに任せて机の上にあったペンを投げつける。


「帰りなさい!! 用事がないのなら!!!」



「いや~、アンナ様ってば、こわ~い!!!」


「こ、この女……」


 怒りの形相で立ち上がるアンナを見てキャロルがドアの方に逃げながらロレンツに言う。



「じゃあね~、ロレロレ!! 今度稽古しましょうね~!!」


「あ、ああ……」


 キャロルはそう言って手を振ると笑顔で部屋を出て行った。




「な、なんなの、あの女!! 敵のくせに!! はぁはぁ……」


 怒りで息が切れる言うアンナにロレンツが声を掛ける。



「なあ、嬢ちゃん。あいつは稽古がしたいだけなんだぜ。何をそんなに怒ってるんだ? それとも嬢ちゃんも、稽古つけて欲しかったのか?」



(え?)


 そう言われたアンナの頭に、『ベッドの上でロレロレの剣で……』と言ったキャロルの言葉が思い出される。真っ赤になるアンナ。恥ずかしさと怒りでロレンツに怒鳴りつける。



「ふ、ふざけないで!!! どうして私があなたなんかと!!!!」


 怒り狂うアンナを見てロレンツが申し訳なさそうに言う。



「わ、悪かった。じゃあ、やっぱりピンクの嬢ちゃんと稽古を……」


 アンナの頭に今度はキャロルとロレンツがベッドの上にいる図が浮かぶ。



「だ、だめーーーーっ!!! ダメダメっ!!!!」


 アンナが再びペンを投げつける。ロレンツはペンをかわしながら、当面剣の訓練は自分ひとりでやろうと思い直した。

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