挿話 その1「悪魔と呼ばれた男」

「――判決を言い渡す。主文――被告人を懲役十七年に処する」


 裁判長がそう告げた途端、あたしの目から、ぽとり、と涙がこぼれ落ちた。


 死刑にしたってまだ足りない――悔しくて、悔しくて、はらわたが煮えくり返る思いだった。あたしの大好きだった圭介けいすけ。ずっと一緒だと思ってた。ふたりで歳をとって、おじいちゃん、おばあちゃんになるまで。縁側でひなたぼっこしたいね、そう笑っていたのが、つい昨日のよう。




 でも、こいつ――。

 この佐守さもり佑太ゆうたという悪魔が、あたしたちから、あたしからそれを奪った。


 たった二万五千百二十円のために。




「この判決に不服がある時は、十四日以内に控訴することができますが――」

「……いいえ。控訴はしません」

「では、これで閉廷します」


 足りない、足りないのに。

 たった十七年、たったそれだけだ。


 この人間の皮をまとっただけの悪魔は、たった十七年間だけ。圭介とあたしは、一生を失ったというのに。不公平だ。不公平すぎる。いや――あたしのお腹の中にいる子だってそうだ。この子は父親を失くした。父親から与えられて当然だったはずの愛情をすべて失ったんだ。


「………………申し訳ございませんでした」


 震えるような声が聴こえた瞬間、あたしは叫び出したい気持ちをこらえて唇をきつく噛んだ。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 あれから一年が経った。


「ほーら、泣かないの。びっくりしちゃったねー。……はーい!」


 インターフォン越しに返事をしながら、生まれたばかりの愛花まなかを抱きかかえてあやしながら、あたしは玄関に向かった。通販を頼んだ覚えはないし、このマンションには宅配ボックスも当然ポストだってある。なのに、わざわざ手渡しで届けるなんて――この時はそう思っていた。


「ええと……一之森いちのもり麻美まみさんですね。内容証明郵便です。こちらに印鑑かサインを――」


 その差出人名を見た瞬間、全身の血の気が引いた。


「――!? い、いりません! こんなもの……受け取れません!」

「い、いや、しかしですね……」

「この――この佐守佑太という人は、あたしの夫を殺したんですよ!? こんなもの――!!」


 郵便配達人を乱暴に押し返し、あたしは愛花を必死に抱きかかえ、大声で泣き続けた。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「――どういうことなんです!?」

「た、大変申し訳ありません……。本人たっての希望でして……」


 翌日、血相を変えて詰め寄ると、佐守佑太の弁護人、神城かみしろ一郎太いちろうた氏は今にもその場にいつくばりそうなほどの低姿勢でもごもごと謝罪の言葉を並べ立てた。けれど、あたしは首を振る。


「本人の希望って……! 夫を殺されたあたしの気持ちは無視してもいい、そうおっしゃるんですね!?」

「そ、そうではありませんよ……。ですが……どうしても本人が、あなたに謝罪したいと――」

「だったら――夫を返してください!」

「そ、それは……」


 神城弁護士は真っ白な頭を幾度も下げるばかりで、ただおろおろしている。


「あまりにも非常識じゃないですか!? あいつも……あの男も、あたしたちの住所を知っているんですか!? あなたが教えたんですよね!? これって許されることなんですか!?」

「い、いえ、それは秘匿ひとく事項なので……佐守君は知りません。ですので、私が代わりに――」


 ぷつん、と何かが切れる音がした。気がついた時には、あたしは目の前の年老いた弁護士の横っ面を思いっきり張り飛ばしていた。うっ、とうめき、哀れな老人はよろよろと倒れ込んだ。


 愛花をお母さんに預けていてよかった――こんな姿、とても見せられないもの。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






 あれから十年――毎年この時期が来るのが憂鬱だった。


 圭介の命日になると、必ずあの男からの手紙が届くのだ。何度も、何度も断ったが、それでも一度たりとも止むことはなかった。


 まるで――亡霊のように。

 あたしに永遠につきまとう。






 ◆ ◆ ◆ ◆ ◆






「よかったわね、愛花。ステキな人じゃない。お母さん、やっと安心したわ」

「いやだ、ママったら……。だから言ったじゃない、浩司こうじは、パパの次にステキなんだって」


 あんなに小さかった愛花も、もうすっかり大人だ。


 大学のサークルがきっかけで知り合い、同じ会社の先輩後輩になる予定の鈴井すずい浩司こうじさん。彼と結婚したいの、と言われた時にはすっかり驚いてしまった。けれど愛花の言うとおり、父親の圭介にどこか似ている気がして、つい涙が零れそうになってしまった。会ったこともないくせにね――妙にくすぐったい気持ちで、誇らしげに彼のことを話す愛花の横顔を見ながら笑う。


「ねえ、ママ? ドレス、どんなのがいい?」

「ふふふ、あなたの好きなのにしなさいよ。お母さんが着るんじゃないんだから。……え?」


 夕暮れなずむ家までの帰り道、最後の角を曲がった時に突如目の前に若い男が立ち塞がった。


「愛花……ぼ、僕を裏切るなんて……! 絶対に……絶っ対に許さない……! 殺してやる!」

「え……!? も、もしかして……小池こいけ君!?」


 ぎらり――小池と呼ばれた男の手にきつく握られたナイフが街灯の灯りを反射する。


「ぼ、僕を忘れたなんて……君は淫売だ! この糞アマ! あんなに愛し合ったのに……!!」

「い、いや……やめて……」


 愛花は咄嗟とっさにあたしをかばうように両手を広げて立ち塞がった。その手が震えている。


「こ――小池君とは、ただのバイトの仲間だったじゃない! 愛し合ったって……直接話したことだって数えるくらいしかないのに……。……や、やめて! それ以上、近づかないで!!」

「う、うるさい! 君が裏切ったんだ。こ、これは当然の報い――!!」


 その時だった。




 ――どすん。




 恐る恐る目を開けると、見知らぬ一人の男の脇腹に、ナイフが深々と突き刺さっていた。


「だ――大丈夫、でしたか……? お怪我は……なかっ――ごふっ!」


 その男は、申し訳なさそうな顔をしたまま口腔に溜まった血を吐いた。小池が逃げる。けれど、あたしにも愛花にも彼を追いかけることなんてできなかった。いいや、あたしには、絶対。




 その瞬間――あたしは思い出していたのだ。

 佐守佑太という悪魔の名前を。その顔を。




「……申し訳ござい……ませんでした。本……当に……。やっと……伝えられ……ました……」


 それが、佐守佑太という悪魔の、最後の言葉だった。


「だ、大丈夫ですか!? ああ! すぐに救急車を呼んで――! ……ママ? どうしたの?」


 ああ、あたしは――愛花に真実を伝えるべきなのでしょうか。


 この男は、あたしたちの命の恩人で――お前のパパを殺した人だよ、と。



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