異世界は主人公=ダメ、女神=ダメでお送りします。

紅切藍

第1話 ハズレ×ハズレ

とある馬鹿みたいに暑く、晴れ渡った夏の日だった。扇風機の音と、窓の外から流れ込む蝉の声だけが部屋に響き、汗はゆっくりと布団に伝い、汗染みを作っていた。じっとりと逃げ場のない憂鬱と絶望が絡みつく。


「よし、死ぬか。」


光野朔ひかりのさく、22歳の夏だった。覚悟さえ決まれば意外と動けるもので、半ば今死ななければという義務的な衝動に駆られるがまま遺書もなくアパートを飛び出し、5時間後には自分の足は有名な自殺スポットの砂を踏みしめていた。

自殺スポットに向かう新幹線の中で自分に優しくしてくれた人を思い出して自殺を踏みとどまる、なんて話があるらしい。そんな思い出が出てくる人は、本当は幸せ者だったに違いない。仕事も何一つ出来ずクビになり、家族の関わりから逃げて、部屋に引きこもり寝て起きて起きて寝てを繰り返した人生の走馬灯には、優しい思い出どころか厳しい思い出すらろくに映らなかった。部屋の中で一人出来損ないの自分を責める光景が、あの日あの時のあいつが屋上から飛び降りる瞬間が、新幹線に揺らされる俺の脳内でループしていた。つくづくどうしようもない人生だった。


「綺麗だな…海」


靴を脱ぐと、意外と岩肌が冷たい。足裏から、今から死ぬのだという感触がじわじわと伝わって来る。


「来世は…もうちょっとちゃんとしたものになりたいなぁ…」


崖の下には、海と、岩、そして『あなたを大切にしてくれる人は、きっとそばにいます。早まらないで。』と書かれたくだらない看板。


「馬鹿みたいだな……ごめんなさい。」


鼻で笑って地面を蹴った。風が、景色が、空が、雲が、海が、地面が。視界が二転三転し、そして━━━━━━



背中が冷たい。痛みが来ない。苦しくもない。衝撃も。俺は本当に死んだのか?そう思い目を開けるとそこは洞窟だった。何処までも暗く、定期的に鍾乳石から水がしたたっているのであろう音が聞こえる。格好はあのときのまま。怪我も何一つない。死後ってこんななのかと思ったその瞬間。脳に見知らぬ声が響く。


『おめでとうございます!貴方は選ばれました!えっと…私はこの世界を創生せし女神。貴方をこの世界の主人公に任命します!』


「…は?」


知らない女の声。少しテンションが高い。興奮しているのか、若干辿々しいように感じる。


『貴方は選ばれたのです。この世界を再構築し、自らが求める世界に作り変える権利が与えられます!しかしながら私がその権利を差し渡す訳ではありません!貴方の力で、自らが求める世界を作り変える権利を手にするのです!!』


何を言っているのかよくわからない。聞こえないとかではなく、説明が下手だ。同じような事をずっと言っている。おそらくさっきの話がいちばん重要なのに。


「俺が…主人公?」


『そう、貴方が主人公です!貴方は力を手に入れ、悪を倒し、自らが求める世界を権利によって作り上げるのです!』


「えぇ…」


情報があんまり進展しなかった以上、自分で考えるしかない。俺は死んだ。そしてこれが夢や幻覚で無いのなら、ひょっとすると異世界に転生したのかもしれない。そしてそれがもし事実なら、今自分はその世界を作った神様と対峙している。そしてこの神様はかなり説明下手だ。その神様いわく、権利を手に入れて世界を自分が望むままに作り替える権利を…


「あの…女神さま…」


『はい?』


「大変失礼なんですが…女神様より説明が上手な人は居ませんか?」


『えっ!…えぇ〜…マジか…説明下手だったかなぁ…でもなぁ…そりゃ説明下手だよ!だって初めて自分の世界に人召喚できたんだもん…あぁ…緊張するマジで…』


「女神様…?声というか心というか…漏れてますけど…」


『うえぇっ!?わぁっ!そうじゃん待って!ヤバ…


そして脳に流れ込む音がプツンと途切れた。大した情報もないままに。女神とやらに主人公がどうたらだか世界がどうたらだかという目的で召喚されたということしか分かっていない。


「女神様!女神様!?」


『…失礼しました。引き続き説明を行いますね。』


少し震えた声で女神が言う。聞いているだけでも不安になってきた。


「…あの…さっきの話は…あと、なんで俺をここに召喚したんですか?」


『それは…この世界で旅を続ける中でいずれ理解することでしょう。』


「え…いや…旅とかするつもりは無いんですけど…このままだと多分俺この洞窟で餓死するだろうし」


『いえ、その心配はありません。…ともかく、もしこの世界の真実を知れば、元いた世界に帰ることができますよ。』


女神が丁寧な口調とトーンで続ける。ミスは全然取り返せていない。


「元いた世界でろくに生きていけなかったから自殺したんですけど…帰されても…」


『あっそうじゃん…自殺者転生選んだじゃん!くっそ…生存者転生選べばよかった…ケチらなきゃ良かったマジで…でもなぁ…最初は自殺者転生でコスパよく世界と執筆に慣れようってサイトに書いて…』


「女神様!?金ケチって俺を召喚したんですか!?」


『うぇえっ!?ちょっ待っ…


そしてまた脳に流れてくる声がブツリと途切れた。あんまりにもグダグダすぎてなんか腹が立ってきた。何でここまで段取りのない状態で一回自殺した人間を自分の世界に召喚したのか。


「女神様!?女神ー!」


『…失礼しました。』


「失礼しましたじゃあカバーしきれませんよ?何で俺を召喚したんですか?教えて下さいよ!」


『マジで鬼ミスった……もう計画とかはいいか…進路変更で行こ…良いでしょう。全部教えます。なぜ貴方が召喚されたのか。』


女神が深いため息をつく。おそらく上位存在的な立場なんだろうが、最初の方から割と威厳がない。


「…ありがとうございます…」


先程までの丁寧な雰囲気は消え去り、落ち着いたトーンでぺらぺらと話し始める。おそらくこれが女神の素なんだろうなと解った。


『まず、あなたは異世界転生物語みたいなものを見たり聞いたりしたことがありますか?一度死んで、その先の世界で色んなスキルを手に入れてセカンドライフを送るみたいな類の…』


「まぁ…はい。」


『今、私達の世界ではそれの作り手になること、つまり異世界転生作品の執筆が超一大ブームなんです。誰も彼もが自らの世界を作り上げて、そこに人間を召喚して、その人間にスキルを与えて、物語を作るんです。自らが作り上げた箱庭でどのような物語が、苦悩が、感動が生まれるか。そしてその箱庭の激動を書き綴り、一つの書物にするんです。』


「……」


『その書物が感動的だったり、面白かったり、爽快だったり、ドラマチックであればあるほど、執筆者とその世界の評価は上がります。現実は小説より奇なりと言うように、本当の人間からしか生まれないドラマと物語があるんです。』


「つまり俺は女神様が作り上げた世界で物語を作るための主人公として呼ばれた…みたいな事ですか?」


『はい。私達神は争いで死ぬこともなければ、病や老いで死ぬこともありません。数千年前まで、地獄のような長い時間を持て余していたんです。ある日、とある神の一人がとある書物を出版するまで。私達の退屈を終わらせたあの書物…「冴えない一般人が異世界転生したら死ぬほど呪文手に入れて完全無双状態〜雨かと思ったら最上位禁断魔法で草なんだがw〜」の初版は博物館の最上階に歴史遺産として保管されています。』


「遺産って銘打ってる本に草ついてんの嫌だな…しかもタイトルも遺産感がゼロだ…」


『私は…今は神のランクで言うところの一番下です。数百年前までは物語を作るための世界すら与えられませんでした。だからこれが始めてなんです!ここで貴方を主軸にした作品を作って、人を引き込む文章を書いて、私も神著者になってやるんです!!』


先程までの絶望的な原稿の音読を聞かされたあとだとあまり信用はできないが、取り敢えずお前は死んで地獄行きですとかよりは大分マシだ。何より、現実世界でクソほどうまく行かなかった自分が異世界転生でチートスキル付与で無双なんて、本当に小説みたいだ。いや、これから小説になるから当たり前なのか?何にせよ、折角の0からのスタートだ。与えられた人生を楽しく過ごしたい。


「わかりました。俺…主人公になります。」


深く息を吸って、洞窟にこだまする声で女神に応えた。俺のセカンドライフが始まる。この洞窟から。


『素晴らしい…今ここから、物語は紡がれ始めるのです!…ところで、転生前の貴方はどのような仕事をしていたんですか?』


「あ…ゎ……」


俺のセカンドライフ、ピンチ。俺から先程までの勢いとやる気が完全に消え失せた。前世のすべての苦しみがフラッシュバックする。


『あっ…そっかごめん…自殺転生ですもんね…そうか…えっとじゃあ…サバイバルは出来ます?』


「…無理です…」


『う〜ん…建築とかはどうですか?製図とか…』


「……」


『運動とか…どうですか?』


「………」


『………』


「何を黙ってんですか!な~んも出来ないから死んだのに勝手に呼んだのそっちじゃないですか!?勝手に呼んで勝手に絶望しないでくださいよ!?」


逆ギレも良いところだが、もう逆ギレしかない。やっぱり人生はクソッタレだ。


『うっさい!チェンジだチェンジ!!主人公チェーーンジ!!確かにこのままだと洞窟で餓死するよ!!どうすりゃいいんだよ!こんなことなら著者やってる友達に色々聞いときゃ良かった!』


「チェンジ出来るならしてくださいよ!どうするんですか!!」


『こっちのセリフだよ!!』


「こっちのセリフでしょ!!」


その後数分、丁寧口調すら捨てた女神とのレベルの低い罵り合いが続いた。


『…あー…ともかく、ウチも金は無いし、新しい主人公を〜とかは無理な訳で、一先ず私が付与できる限りのスキルをお前にぶち込むから、何とか生き延びて洞窟から出て。話はそこからだわ。』


女神がおそらく頭を抱えながら言っているのが伝わる。何とか働けていた頃、仕事が出来なさすぎて上司に叱られていた頃を思い出した。


「…わかりました。そんで、スキルは何ですか?爆発魔法とか?」


『贅沢言うんじゃありません。チート魔法とかは中堅女神からしか使えないんで!お前はこれで我慢!』


【スキル:夢追いの旅人を獲得しました】

【スキル:飢え忘れの望を獲得しました】


「これは…どんなスキルなんですか?」


『歩いても疲れないやつと、一ヶ月は飲まず食わずでもギリ死なないやつ』


「おぉ…」


『結構凄いけど地味だな…みたいな反応!まぁ…地味だけども!』 


どうしようも無い奴を最低限生き延びさせるセットだな、という言葉を喉奥にしまい込んだ。


「それで、このスキルを使って洞窟から出る…で良いんですよね?」


『そうそう。』


「それは解ったんですけど、もし洞窟から出たらどうすれば…?」


『そうしたら、私と合流しよう。』


「え…?この世界の創造主ポジなのにそんなすぐ合流しちゃっていいんですか?」


『…実は世界作るときにミスって自分が作ったら世界にプレイヤー設定で入っちゃって…全然出れそうにないし私もサバイバル出来ないから、自分のスキルで雑草食いながら凌いでるんだわ…』


思わずため息が漏れた。何してんだこの女神。


『ま、上から見てるだけじゃ、本当の物語は作れない…ってね。』


「俺も女神チェンジしたい…何で下界から出れなくなってるんだよ…女神なのに…!」


先行き不安以外の何物でもない。それ以上。先行き絶望。これから俺はどうなってしまうのだろうか。


『まぁそれはそれとして…名前は?』


「…光野朔です…」


『う〜ん…じゃあヒカリ!いや…サクにしよう!さぁサク!!いざ!世界を、あとそれより先にまず私を救う冒険に旅立つのだ!!』


女神が高らかにのたまう。


「洞窟で野垂れ死んでやろうかマジで…」


かくして、無計画かつ唐突に、どうしようもない俺とどうしようもない女神による前途多難のセカンドライフは始まったのであった。

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