刑事たちの事情

 夕方になると、法医学教室から笹本の遺体が戻ってきた。

 霊安室付きの葬儀屋が、手際よく仮の祭壇を組み上げ、遺体を安置する。

 院内に笹本の帰還が報されると、霊安室前には焼香をあげようと集まった人で長い行列ができた。

 それを糸原は、霊安室の開け放ったドアの前に立ち、葛西と二人で眺めていた。

 あのあと、瑞樹は眠ったまま、まだ目を覚ましていない。薬の効き目もあるのだろうが、酷い興奮状態だったので、身体への負担も大きかったのだろう。

 昼食から帰ってきた由佳と菜緒子は、男三人がぐったりと疲れ果てている様子に、何事かと驚いていた。なんとなく事情を察したニノ方だけが、不憫そうな目をこちらに向けた。

 そのニノ方も、結局、まだ自宅には戻れていない。夕方に部長の遺体が還ってくると聞いて、当直室で仮眠を取って待つことにしたらしい。

 ついでに、藤田も一緒に仮眠を取っている。

夜の捜査会議までは、葛西と二人、この病院に張り付いているのだという。しかし、早朝から働き詰めで休みもろくに取っていないようだったので、当直室を使えるように手配した。

 結果、藤田は仮眠を取り、葛西はつい先ほどまで、笹本のデスクを鑑識と一緒に調べていた。そして、たった今、笹本の遺体の帰還を聞きつけ、やってきたところだった。

 糸原は葬儀の打ち合わせを行っている菜緒子に代わり、弔問客への応対をしていた。

「こんなにも行列ができるなんて、よほど笹本さんは人徳のある方なのですね」

 葛西は感心する。

 そうですね、と糸原はうなずいた。

「部長は院内でも古株でしたし、新人の指導や色々な役回りも引き受けてましたから。かなり顔が広いんです。それに、明日、勤務がある者は葬儀に参列できませんから。今日のうちに、という者も多いのでしょう」

「なるほど……。私なんかは、自分の葬儀には誰も集まらない気がしますが……」

 冗談のつもりなのだろうが、朝からの彼の様子を思い起こすと、現実味のある話だ。

「それにしても、明日には葬儀と火葬までを執り行ってしまうとは、随分と手際がいいですね」

「今流行りの一日葬という奴です」

 また変に葛西に勘繰られている気がして、糸原は弁明した。

「本当は、きちんと通夜も行いたかったのですが、状況が状況だけに……それに遠方から駆けつけている菜緒子さんの負担を思えば、早目に済ませてしまったほうがいいと思いまして」

「それはそうですね。……明日は、何時からの葬儀になりますか?」

「午前11時からです。……もしかして、いらっしゃるつもりですか?」

 嫌な予感がして確認する。

 はい、と当然だとばかりの顔で葛西はうなずいた。

「ご迷惑でしたか?」と一応、形だけの気づかいを見せる。

「いえ、そういう訳では……」

 どう答えようと、結局、葛西はやってくるのだ。糸原は曖昧に言葉を返した。

「葬儀の参列者を確認したいですからね。……それに、もしかしたら、大道さんにお会いできるかもしれませんし」

「大道に?」

 糸原は眉をひそめた。

 まだ大道に拘っているのか、と呆れて「どうですかね」と投げやりに答えた。

「部長の訃報は大々的に報せたりしていないので、うちの病院関係者以外、知る術はないと思いますが……」

 それに、葛西は大きく頷いた。

「ええ、だからです。……それでも、大道さんが現れたとしたら、笹本さんに対して並々ならぬ関心がある、ということが証明されますよね」

 嬉々として話す。弔問の場にはあまり似つかわしくない態度だ。糸原は渋面を作った。

「糸原さんっ」

 ふいに名前を呼ばれ、声のしたほうを見た。ニノ方が藤田を引き連れて、小走りにやってくる。

 彼は、糸原の前で立ち止まると「部長にはもう会えますか?」と尋ねた。

「ああ、もう霊安室に安置されている」

「それじゃあ、僕、ご焼香あげてきますね」と弔問の列の最後尾へと移動した。

 そのやり取りをなんとなく眺めていた藤田が、葛西に話しかける。

「葛西さん、代わりますので、少し休んできてください」

 そういえばそうだ、と糸原も思う。早朝から今まで糸原の知る限り、葛西は休みを取っていない。下手をしたらご飯も食べていないのかもしれない。顔色が悪かった。

「そうですね、休んだほうがいい」

 糸原も藤田の意見を後押しした。

「大丈夫です。それでしたら、糸原さんこそどうぞ」

 葛西は首を振って、糸原に話を投げた。

「私はきちんと休みを取ってますよ。さっきも軽く仮眠したところですから」

 当直の時は、合間を縫って休憩を取るというのが常なので、休める時に休むという癖が付いている。いつでも寝れて、いつでも起きれる。

「ほーら、葛西さんだけですよ。ご飯も食べてないし……。いつまでも若者ぶってないで、休んでください。身体、壊しますよ」

 藤田は鼻で笑って、辛辣なことを言った。

「……わかりました。少し、休んできます。藤田くん、あとをお願いします」

 葛西は珍しく不機嫌そうな顔をする。そして、クルリと方向転換をし、エレベーターホールへと向かった。

「意外に素直でしたね……」

 葛西のあまりにも素直な態度に、呆気に取られ、本音が口をついて出る。

 藤田はフフッと得意そうに「コツがあるんです」と言った。

「コツ?」

「はい。プライドの高い人ですから。ちょっとからかってやれば、ムキになって、あのとおり言いなりです」

 愉快そうに告げる。

 なるほど、と糸原は感心するが、それも彼らの間だから通用することなのだろう。

「まぁ、でも、あのくらい言わないと休んでくれないから、困るんですけど……」と藤田は眉根を寄せた。

「葛西さん、事件に夢中になると、寝るのも食べるのも疎かにしてしまって……。実際、本当に体調を崩したことなんかもあったりして……」

 心配顔をする。

「今回だって、事件が事件だけに、すごくのめり込んでいて……」

「事件が事件だけに?」

 藤田の言葉が気になり、糸原は聞き返した。

「あっ……」

 途端に、藤田が余計なことを言ったという顔をする。

「どういうことですか?」

 糸原は改めて尋ねた。

 藤田はボリボリと頬を指先で掻いて「まあ、話しても葛西さんは気にしないか……」と独りごちた。

 それから、キョロキョロと辺りを見渡すと、糸原の袖を掴み、人気のない場所へと引っ張った。

「西城公園での誘拐事件って覚えてますか?」

「誘拐事件?」

「はい。一〇年くらい前だったかな、女の子が西城公園で誘拐されたって事件です」

 言われて、記憶が蘇る。

 確か、西城公園に母親と遊びに来ていた女の子が、強引に男に連れ去られた、という事件だ。

 必死に女の子を守ろうとした母親は、男に突き飛ばされた拍子に頭を強く打ち、意識不明の重体。

 警察はすぐに捜査を行ったが、女の子は遺体で発見。犯人はほどなく逮捕された、というなんとも後味の悪い事件だった。

「覚えてます。被害者の父親が弁護士で、その弁護に不満を持った男の犯行でしたよね」

 そうなんです、と藤田はうなずいた。

「それが、葛西さんとどういう関係があるんですか?」

 糸原は疑問に思い、尋ねた。

「まあ、そうですよね、そうなりますよね……」とつぶやく。

 しばらく逡巡し、藤田は口を開いた。

「──その父親が、葛西さんなんです」

「えっ?」

 糸原は、軽い混乱に陥った。パチパチと目を瞬かせ、藤田を見つめる。

 藤田はしたり顏でうんうんとうなずいた。

「えーと、いまいちピンときませんが、誘拐された女の子の父親が、葛西さんだということですか?」

 はい、と藤田が答える。

「しかし、女の子の父親は弁護士ですよね?葛西さんは刑事なので、話が合わないのでは……」

「それは……葛西さんが弁護士を辞めたからです」

「弁護士を辞めた?」

「もちろん、弁護士の資格は持ってますよ。ただ、法律事務所を畳んで、警察官に転職したってことです」

「転職……」

 そういう人間がいるのかと、半ば信じられない。弁護士は、医者の糸原から見ても高級取りのように思える。わざわざ危険で給料も下がるであろう警察官に転職するとは。

「やはり、変わった方ですね、葛西さんは」

 ほんとですよね、と藤田は小さく笑った。

「でも、弁護士という仕事に嫌気が差したみたいです。

──訴訟がある度に、人のドロドロとした影の部分を見て、勝った負けたを争う。勝ったからと言って、必ずしも自分が正しいわけじゃない。悪の味方になる場合もある。日々矛盾を抱えてやっていたみたいです。

それで、娘さんの事件があって……。それなら、絶対的正義である警察になってやろうじゃないかって……」

 とつとつと語る藤田は、どこか物寂しげに見えた。

「随分と、葛西さんの内情に詳しいですね」

「ええ、まぁ、よく捜査で葛西さんと組になるので。それで、移動の時なんか、世間話になったりして……」

「それじゃあ、葛西さんとは長い付き合いなんですね」

「そうでもないです。二年くらいかな……」と藤田は首を捻って言った。

「本当は、捜査をするにあたって、誰かと決まったコンビを組むってないんですけどね。葛西さん、あの通りだから、他の人から敬遠されちゃって……。僕が初めて事件の捜査に関わった時から、ずーっとお守りを任せられてます」

 そう言って、はにかんだ笑みを浮かべた。

 迷惑そうな口ぶりではあるけれど、その奥底にある、葛西への信頼や尊敬が伝わってきた。

「でも、大変じゃないですか?」

 だからと言って、葛西の慇懃無礼には付き合いきれたものではないだろう。

「まあ、大変は大変です」と藤田は苦笑いした。

「だけど、どこか憎めないんですよね」

 その気持ちは、糸原にもなんとなく分かる。

 今朝からのちょっとした付き合いでも、葛西の事件に対する真摯な態度は充分に伝わってくる。それは葛西の不躾な態度を鑑みても、充分尊敬に値するものだ。

「あの、それで、糸原さん……」

 思い出したように、藤田がモジモジと話しかけた。

「先ほどはすみませんでした」と、頭を下げる。

「先ほど? 何か謝られるようなこと、ありましたか?」

 糸原は片眉を上げた。

「大道さんのことです。……何も知らないのに噂を鵜呑みにして、酷いこと言ってしまって、すみません」

 再び、深々と頭を下げた。

 ああ、と糸原はうな。

 糸原はさほど気にも留めていなかったが、藤田は自分の行為を恥じているようだった。

「いえ、こちらこそ、嫌味な言い方をしてしまって、申し訳ありません」

 糸原も謝辞を述べる。

「ただ、噂話はあまり好きではなくて、つい、大人げない態度を取ってしまいました」

 糸原の言葉に、藤田は、気をつけます、と恐縮した。

 そんな藤田の素直な反応に好感を持つ。葛西が彼と組む理由もそういうところなのだろう。

「それにしても、藤田さんは子供の扱いに慣れてますよね。瑞樹くんへの対応とか。……もしかして、お子さんが?」

 いやいや、と藤田は慌てて首を振った。

「僕、独身です、独身」

 左手を顔の前に翳して、結婚指輪をしていないとアピールする。

「随分子供の扱いが上手かったから、てっきり」

「それは、たぶん、交番勤務してたからです」

「交番勤務?」

「はい。新人の頃、地域の交番に配属されたんで……。交番って配属されるまでは、つまんなそうって思っていたんですけど、意外に自分に合ってて。毎日、お茶を飲みにくるおばあちゃんが居たり、落とし物だよって手袋片方持ってくる子供が居たり。……猫持ってこられた時は、困っちゃったけど。あと、通学路の交通安全指導とか、地域の見回りとか。毎日、何かしらで人と触れ合って、お話しして、それが自分には心地良かったんです」

 嬉しそうにニコニコ話す。本当に、交番勤務が好きだったのだろう。

「意外ですね。警察になろうという人は、刑事ドラマの刑事に憧れてなるんだと思ってました」

 とんでもない、と藤田は首を振った。

「むしろ、刑事ドラマは苦手で……」

「そうなんですか? それならどうして?」

「いまどきの子って言われるかもしれないですけど、僕、公務員になりたかったんです」

「公務員? まぁ、確かに、公務員と言えば公務員ですが……」

 何か違う気がする。

 微妙な空気を感じ取った藤田は、はにかんで言う。

「色々な公務員試験を受けたんですが、結局、受かったのが、警察官だけで。で、今に至ります」

「でも、今は捜査一課の刑事さんなんですから、相当優秀なのでは……」

「んー、それもどうでしょう?」

 藤田は首を傾げた。

「刑事になれたのも葛西さんのお陰ですし……」

「そうなんですか?」

「はい。……交番勤務の頃、とある事件で、葛西さんと組む機会がありまして。それで、僕のこと気に入ったらしく、捜査一課への推薦をしてくれたんです」

 葛西という男は、自分が気に入った者へのご褒美は、手厚くするタイプらしい。というより、言いなりになる手駒が欲しかった、というところか。

「まぁ、だから、葛西さんの面倒を見るのは、僕の使命みたいなものです」

 藤田は鼻息を荒くした。

 それも何か間違った認識のような、と糸原は思った。微妙にズレた感覚の持ち主らしい。

「なーに、二人でヒソヒソ話してるんですか?」

 焼香を上げ終えたニノ方が、糸原と藤田の間に割り込んできた。

 こういう時、小さい身体はどんな隙間にでも入り込めるから便利だな、と感心する。

「いや、ニノ方には関係ない」

 わざと冷たくあしらってみると、ニノ方は「なんですか、それっ」と悔しそうに地団駄を踏んだ。

 藤田は、そんなニノ方を面白そうに眺め「弔問客の様子を見てきます」と霊安室の前に戻った。

「もー、ほんとに、何話してたんですか?」

 ニノ方はまだ諦めきれないようだ。

「大したことじゃない」

 にべもない態度に、ニノ方はプーッと頬を膨らませた。

 子供か、と呆れ、小さく息をついた。

「……そう言えば、ニノ方」

 ふと、思いついて糸原は尋ねる。

「ニノ方は瑞樹くんのあの興奮状態は、経験済みだよな」

 糸原の問いに、ニノ方は表情を固くし「はい」と答えた。

「どう思った?」

「そうですねぇ……。極度のストレスで、精神的に不安定になっているのかもしれないな、と。ただ、ちょっと、状態が激し過ぎるのが気掛かりですけど……」

「やはり、そう思うか」

 糸原は口の中で呟き、指を顎に当てて考えを巡らす。

「……一度、心療内科の診察を受けてみた方がいいかもな」

「そうですね」とニノ方はうなずいた。

「明日にでも手配しておきます」

「ああ、頼む。それから、念のため、詳しい血液検査とMRIも頼む」

「分かりました。……ところで、糸原さんは、明日は葬儀に出席するんですか?」

「ああ。明日は休みになるから、今夜の当直と勤務を交代してもらった。今は人手不足だから、なるべく休みたくないんでな」

「それは、お疲れ様です」

「お前は? 殆ど休めていないのに、明日も出番で大丈夫か?」

 仮眠を取ったとはいえ、流石に疲れが顔に出ていた。

「はい、大丈夫です。僕、まだまだ若いんで」

 ニノ方は軽口を返し、わざと明るく振る舞う。

「ほー、それはそれは。それなら、若いニノ方くんには、明日からまたバリバリ働いてもらおうか。……そうだな、5日連続当直でどうだ?」

「いやっ。それは、絶対、いやっ」

 糸原の冗談に、ニノ方は瞬時に首と手を振って見せた。

 ちょっとした日常のやり取りが戻ってきて、気持ちが和らいだ。

「……それにしても、瑞稀くん、葬儀に出席できないのは可哀想ですね」

 ふと、ニノ方は寂しそうな表情を浮かべる。

「仕方がないさ。いつ興奮状態になるか分からないんだ。葬儀場で発症されると、対処のしようがない」

 冷たい言い方なのは分かっているが、割り切らなければ、瑞樹の身も危険に晒される。

「まあ、そうなんですけど……」

 ニノ方は、まだそこまでの踏ん切りがつけられないようだ。何かを言いたげに唇を噛んだ。

 廊下の蛍光灯が、ジーという音と共に、短い点滅をし、再度灯る。

「……瑞樹くんは、どうだった? もう、起きていたのか?」

 一向に切り出さないニノ方の代わり、糸原が口を開いた。ニノ方は無言で首を横に振った。

「そうか。目覚を覚ますのは、夜遅くになるかもな……」

 それを待って面会となると、明日も葬儀で忙しい菜緒子さんの負担になってしまう。ただでさえ、長旅で疲れているだろうに。

 チラリと腕時計を確認する。午後五時を廻っていた。

「今日は、菜緒子さんにホテルを取って、由佳に瑞樹くんの付き添いをしてもらうことにするか……」

 西城中央病院は、基本的に付き添いは任意だが、今の瑞樹の状態を考えると、付き添ったほうが安全だろう。

「ニノ方、すまないが、弔問客の応対を代わってくれ。少し用事を済ませてくる」

 ニノ方が無言で頷くのを見て、糸原は霊安室をあとにした。

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