第27話 白昼夢

「だから、ほんとうに突然だったんです!」

 風見は錯乱していた。

 彼曰く、事情聴取開始からしばらくはいたって普通だったのだという。聴取時に確認する内容──事件発生時のアリバイ確認、参加者との関係性、被害者についての情報や関係等──を一通り聞いていただけ、とのこと。

「相良の家について雑談混じりに聞いてたんですよ。ほら、相良の家ってけっこうこの辺りじゃ名士でしょ。いろいろ噂も聞いたんで。お屋敷ずいぶん立派ですね、とか、いつから建てられているんですかとか。それから奥座敷、座敷わらしの噂について話を出して、……」

 座敷わらしじゃなくて別になにか隠されていたりして、とか。

 という風見のことばに、森谷は嫌な予感をおぼえた。

「その──話のあとですか?」

「え? えっと……そうだったかな。ええ。そうです。原田さん、急に剣幕になって。それで、ああやって首絞めてきて──情けない話なんですが体格差に負けてあんな事態に」

「体調はどうだ」

「すこし休めば大丈夫です。あと十秒も絞められていたら、死んでいたと思いますけどねえ!」

 来巻の問いかけに、風見はつとめて明るく振舞った。

 一ノ瀬が後輩の無事をよろこぶとなりで、森谷はうつむき思案する。

 ──座敷わらし。

 やはり、原田は座敷わらしという存在にとりわけ強く反応している。彼はいったいなにを恐れて、いや──想っているというのか。

 あの奥座敷にはいったい、何があるというのか。


 所轄刑事に挨拶をして大広間へ戻る。

 脳みその奥の奥で鈍痛がする。さすがに疲労もピークに達している。この職についていればこんな日も多くあるものだが、大雨による低気圧のせいか、はたまた加齢のせいか、森谷はうんざりとした顔で畳に足を踏み入れた。

 手前側一間を見渡す。

 いの一番に視界へ飛び込んできたのは、床の間の前に鎮座する浅利博臣である。やはり目立つ。坊主頭ということもあるが、何よりその存在感は一般人のソレではない。さらにその隣にいる将臣と恭太郎も目立つのだからなおさらだろう。

 神那と総一郎は和尚たちの近くで談笑、春江と冬陽は、再度来巻から原田について話を聞かれているらしく、大広間前の廊下で立ち話をしている。襖の桟を挟んだ向こう側は睦実家族と心咲、井佐原がいるだろう。

 ──イッカは?

 部屋を見渡す。

 いない。どこに行ったのか。くるりと大広間を背にして廊下の先を見た。奥の奥、トイレにでも行ったのだろうか。しかし彼女のことだ、その場合はきっと誰かしらに声をかけてから行くにちがいない。

 所轄刑事を見た。彼らは依然として忙しそうにしている。ふたたび、廊下を見た。


 チリリン。


 音が、廊下を滑るように奥へ向かった。気がした。つぎの瞬間、森谷の足はふらりと音がゆく先へと歩み出していた。ギシ、ギシ、と森谷の体重に合わせてわずかに沈む床板。左右に立ち並ぶ襖を横目に、森谷は道なりに廊下をすすむ。この先は知っている。奥座敷がある方だ。

 チリリン。

 と、鈴の音は誘うように奥へと滑りゆく。

 目前の角、赤い裾がひらめくのを見た。床板もきしまぬほどタタタッと軽い足音が遠ざかる。森谷はもはや無意識のままに廊下の先々へと歩きつづけた。

 ──この光景を覚えている。

 森谷は歩いた。

 やがてたどりつく、鴨居から下がる紙垂と紅い紐、見慣れぬ文字が書かれた二枚の御札──奥座敷。

 襖が空いている。

「!」

 敷居を跨いだ向こう側、一花が呆然と立っていた。

「イッカ」

 呼び掛ける。

 反応はない。

 イッカ、とふたたび呼び掛ける。

 しかし彼女は指の先までピンと張り詰めたまま、身じろぎひとつしなかった。その様があまりに不自然で、森谷はおもわずその肩に掴みかかった。

「おい、イッ」

 カ、と言いきる前に、森谷は瞬間、白昼夢を見た。


 ────。

 モノクロの映像。

 声が聞こえる。


 ──潰せ。潰せ。潰せ。

 ──は要らぬ。潰せ!


 石がなにかを砕く音。

 ぐちゃりとなにかが潰れる音。

 声にもならぬ絶叫。


 ──ごめんね。ごめんね。


 畳に落つる水滴。

 懺悔の慟哭。


 ──きゃははははッ。


 畳。長い黒髪。白い四肢。

 額をこすりつけて引きずられるのは、老婦。


 ──やめて。やめて……やめてっ。

 ──手を離せッ。離せエッ。


 子どもの金切り声。

 鈍く鳴った桐箪笥。

 乱れ切った呼吸音。


 ──大丈夫。だいじょうぶ。

 ──私が守るからね。

 ──まもるからね……。


 スカートから生えた生白い両脚のあいだから、ひょっこりと顔を出す幼き少女──。


 ※

 少し前。

 総一郎は、不審な挙動をとる従弟に気が付いた。

 声をかけようとした矢先、茂樹は踵を返して廊下の奥へと歩いていった。いつもならばトイレ離席かな、という程度で気にも留めないが、どうにも先ほどから妙なことが立て続けに起こるため気になった。神那との会話を途中で切り上げて、立ち上がる。

「夏目さん?」

「いや──シゲ、大丈夫かなぁとおもって。アイツなんだかずいぶん疲れてそうだったから」

「大変。そうですよね。森谷さんが一番ハードワークなさっていましたもの」

 といって神那も立ち上がり、心配そうに胸元で手を結ぶ。

 茂樹のあとを追うべくそのままふたりで大広間から出ようとしたときだった。背後から肩をがしりと掴まれた。想像以上の力強さにおどろき、肩を跳ねさせる。

「び、ビックリした……ご、ご住職?」

 博臣だった。

 彼はいつになく険しい顔で廊下の先を見遣る。射すくめるような瞳のなかにこれまでの穏やかさは微塵も見えない。

「森谷さんも存外、こちら側だったか──」

「え?」

「いや」

 博臣が総一郎へと視線をもどす。

 その目はいつもの穏やかなソレである。

「これは浅利の仕事だ」

「なにが起きているんですか」

「なにも起きてやしないよ。もともとあるものを終わらせるだけだ」

 というや、博臣は黒い袈裟をばさりとはためかして、大股に廊下を進んでいった。

 すると間髪入れずに将臣と恭太郎があとにつづく。ふたりの足取りに迷いはない。ゆえか総一郎もまた、惹かれるようにそのあとを追った。

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