第20話 台所まで

 さて、大広間である。

 茂樹が事情聴取を始めてから二十分が経過しようとしている。夏目九重は、壁掛け時計を見上げてちいさくため息をついた。

 先ほど恭太郎と将臣が“トイレに行く”と出ていってから、重苦しい空気がわずかに緩和された。その証拠に、誰ひとり声を発することすら躊躇われた先ほどまでの静寂は消え、みながそれぞれ現状の不満や恐怖心についてこぼすようになっている。

 とくに声が大きいのは睦実だった。

「なんだってこんなことに──いつもなら、風呂から出て晩酌している頃だ」

「そんなこと言ったってしょうがないじゃないじゃありませんか。お義母さんの葬儀だったんだから」

「葬式でなんで人が死ぬんだよ! ったく、冗談じゃないッ。おいだれだ犯人は。今のうちに自首した方が身のためだぞ!」

「やめろよ父さん。心咲は自分の母親亡くしたんだよ」

「あんなの母親と言えるか。昔からそうだ、たいしたことない男にばかり色目を向けてガキ作っちゃ棄てられて。挙句の果てに金、金、金。こうなったのも自業自得だろう。心咲だって、いつまでもあんなモンに振り回されて可哀想だった。せいせいしたくらいだろ」

「父さん!」

「うるさいッ。大体俺たちはアリバイがあるんだから、無実だろう。なんだってこんなところに監禁されなきゃならんのだッ」

 と、睦実はそばにあった座布団を壁に投げつける。

 荒れる相良家長男一家を横目に、部屋の隅でぽつんと体育座りをする心咲のもとへ神那が寄った。

「心咲ちゃん、お茶飲みません? わたし喉が渇いちゃったから入れようとおもって」

「…………あ」

「春とはいえ、嵐の夜はまだすこし冷えますね。温かいお茶にしましょう!」

 にっこりわらって、神那は床の間の前に置かれていた茶道具一式を手に取る。使用人の原田があわてて立ち上がり「湯を沸かしてきます」と大広間から出ていった。台所はたしか通り土間の先、この部屋からおよそ対極の位置にある。

 夏目は腰をあげた。

「原田さん、おひとりでの行動は避けた方がいい。僕もいっしょに行きますよ」

「はァ。申し訳ない」

「私も行く……」

 と、心咲が腰をあげた。

 するとこれまで父親の暴挙を睨んでいた睦月が「俺も」といってこちらに寄ってきた。どうやら父親をことばで宥めることは諦めたようである。

 それなら、と夏目は手を打った。

「ついでに台所から戻りがてら何枚か毛布を持って来ましょうか。自分の部屋に戻れるのがどのくらい先かも分からないし、仮眠できる体制の方がいい」

「ありがとうございます夏目さん、わたしもご一緒しましょうか」

「いや、藤……神那さんはここでイッカちゃんのそばにいてあげてください。起きて知り合いがだれもいなくちゃ、心細いでしょうから」

「それもそうですね。わかりました、お願いします」

 神那は桃の花が咲くように慎ましくわらう。

 さりげなく取り入れた名前呼びも華麗にスルーされたが、夏目の心はその笑顔ひとつで沁み入った。人死にが発生した異常事態というにこの心は躍っている。


 大広間から廊下に出る。

 納戸を挟んだひとつ先の部屋では、従弟の茂樹が事情聴取と称して宝泉寺住職と話をしているはずである。さらにその向こうは例の殺人現場。茂樹の手によって襖は閉じられており、一見するとこの襖の先に凄惨な光景が広がっていることなど想像もできぬ。心咲の心情を案じて、一同は足早に廊下を通りすぎた。

 なにか話題を提供せねばと、夏目は大げさに「そうだ」と声をあげた。

「そういえば睦月くんたち、僕たちが来るまで山の散策をしていたんだって?」

「あ……はい。原田さんに案内してもらっていました」

「シゲから聞いたんだけど、林業に興味があるんだってね。すごいなあ──いま高校生くらいだろ。いまの学校でも、そういうことを専門に勉強しているの?」

「いや──でも、心咲はそういうのが勉強できるところで大学探してるんだよな」

「…………うん」

 心咲はこっくりうなずいた。

 大広間での晩餐時から気づいていたが、心咲は睦月と話す際は明るいものの、ほかの人間が絡んでくると途端に口数が減るらしい。それは実母であった宏美に対しても、だ。よほど従兄弟である睦月のことは信頼しているのだろう。

 本音を打ち明けられる相手がおなじく茂樹いとこしかいない夏目にとって、彼女の気持ちは痛いほど分かる。

「そうかそうか。原田さんは、なにかそういうお仕事をしていたことが?」

「いやや、普通のサラリーマンでした。そのかたわら、NPO法人の自然環境保護団体に属しとりましてね。ボランティアですわ。学生時代に農学部じゃったもんですから」

「わあ、活動的ですねえ。身内にこういう知識がある人がいると心強いね。心咲ちゃん」

「…………うん」

 控えめだが、彼女はうなずいた。

 代弁するように睦月が眉をしかめて喋り出す。

「宏美さんは反対してたんです。大学行くお金だってないから、さっさと就職しろって。でも……いまは奨学金とかで行ける大学も増えているし、お金が理由で進学諦めるなんてもったいないって話をしてて。だって心咲の知識もすごいんです。樹木が病気にかかることがあるでしょ、そういうのも判断できるんですよ!」

「樹木医って職業があるよね。ああいう感じ?」

「そうそう」

 睦月はすっかり心を開いたようだ。

 わずかに声を弾ませて、心咲がどれほどすごいかを説く。自身への賛辞を聞く心咲の顔は居心地悪そうではあるものの、やはりうれしさが勝つのだろう。照れて赤くなった耳を隠すように鬢を撫でつけた。

 さらに問いかけてみようと口を開いた矢先、睦月が夏目にぐいと近づいた。

「それで、あの。夏目九重先生ですよね? 俺、『向日葵が消えた夏』が好きで」

「え、ホント」

「読書とかふだんはすぐに飽きちゃってダメなんですけど、あの本は一気に読んじゃって。あれ、映画化とかしないのかなあ」

「わあ。嬉しいな、こうやって生の声で感想を言われることってそうないからさ──でも、映画化はどうだろう。そんなに売れた記憶もないしむずかしいとおもうよ」

「えーっ、なんでだろ。ベストセラーとかになった本よりよっぽど面白かったのに」

「本なんてそんなもんだよ。僕の作品は、大衆向けに書いたものと、自分が好きで書いたものとふたつに分けられるんだ。その作品は──後者だもの」

「じゃあ俺もちょっと、大衆と感性が異なってんだ……」

「うん、誇った方がいいよ。そういう人はその人次第でいずれ大物になれる」

 と、夏目はほほえんだ。

 ベストセラー作家からの助言に、睦月は嬉しそうに瞳を輝かせたが、実際には自分に向けて言ったことばでもあった。自分にはいったいなにができるのだろう──と、時折襲われる虚無感から己を守るための呪文として。

 『ベストセラー作家・夏目九重』は自分ではない。

 は作家人生も十数年を迎えていながら、いまだにそうおもっている。

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