第19話 二匹のネズミ

「大変なお仕事ですな」博臣は微笑んだ。

「お互いに」森谷は苦笑した。


 別室に移動している。

 こういう事情聴取は不満な声があがることも多いが、さすがというべきか、教養の高い浅利住職はこの状況すらも楽しんでいる。いや、人が死んでいる以上楽しむという表現もそぐわぬか。

 浅利博臣は畳に正座する。

 彼を前に、森谷はゆっくりと対面へ腰を下ろした。

「初めにお伝えしておきたいんですが──正直、ボクのご住職への疑念はゼロに近いんすわ。まークンのお父上ってのもそうですけど、そもそもあの奥座敷から現場となる宏美さんの部屋まで行くには導師部屋を通り過ぎんと行けへんですしね。足音があったなら恭クンが“和尚の足音やァ”言うはずですから」

「彼ならそう言うだろうな。あるいはこの事情聴取もすべて聞いているかも」

「でしょうなァ。納戸挟んだとなりの部屋ですもん」

 と、苦笑してから森谷は居住まいを正す。

「で、ですね。ボクがおもに聞きたいのは、あの奥座敷で何をされていたのか──ってところなんです。これは警察の聴取というよりは単純に、ボクの興味で」

「興味か。……さてどうしたものかね。企業秘密ということで隠しておきたかったのだけれど」

 博臣はほくそ笑んだ。

「こうなってしまった以上、いっそ話してしまった方がいいのかもしれない」

「どういうことっすか」

「『わらし様という神様』なんぞ、あの奥座敷にはいないということだ」

「!」

 背筋がぞくりと冷えた。

 やはりと言えば、そうだろう。座敷わらしとは、過酷な環境下における人間社会の闇から生み出された伝承にすぎない。神様とやらがそうそう家に憑くわけはないのである。

 しかし、博臣はこちらの心情を見透かしたように首を振った。

「『わらし様』がいないということではないよ」

「どう違います」

「神仏というのは、人間が信仰してはじめて生み出されるものだ。座敷わらしの『わらし様』はいるが……相良の人間はそれを信仰していたわけじゃない。あくまで、『わらし様』の世話をしていただけだ」

「だァ、さっぱり分からへん。世話っちゅうのは、物理的な存在があってこそちゃうんですか」

「むん……」

 博臣は閉口した。

 めずらしく言葉に窮している。何かを隠している、とおもった。

 警察官的な視線で彼をじとりとにらみつけると、博臣は苦笑して肩をすくめた。

「警察の人の視線は怖いな。立場が人を作るというが──君はりっぱな警察官だ」

「恐縮です」

「そんな君だからこそ、お伝えすべきか決めかねていることがある。相良ミチ子さんが執拗に東京宝泉寺の住職を求めた理由も、ここにあるんだ」

「え?」

 想定外の回答だった。

「それは。でも、お付き合いがあったんでっしゃろ」

 とは言いつつも、ここまで固執するか──とは思うが。

 それだけじゃない、と博臣は首を振った。

「……秘密の共有者だったからですよ。先代が」

 懐からあの茶封筒を取り出した。

 その眉はめずらしく、キリリと絞られている。


 ※

 恭太郎は唸っている。

 いま、大広間はお通夜のような雰囲気に包まれて、誰一人口を開くことはない。事情聴取のため別室に捌けていった森谷と博臣は、ふたつ先の部屋にて聴取という名の語らいをつづけている。とうぜん恭太郎の耳には筒抜けなのだが、博臣が語ることについてたいした驚きはなかった。

 隣で坐禅する将臣の袈裟をひっぱる。

「トイレ」

 つぶやく。

 将臣は動かない。反対隣にいる一花はごろりと転がって寝息を立てている。もう一度彼の袖を引っ張った。

「トイレ」

「…………」

 伏せられた瞳がゆっくりと開く。

 ──“ひとりで行けよ”。

 という苛立ちにも似た音が聞こえた。ふだん、将臣から心の音が聞こえることはない。もちろんいまのは彼がわざと聞かせてきたものだ。しかし、なおも変わらず将臣を見つめてみると、彼はこちらの意図に気が付いたのか、こんどは真剣な顔をこちらに向けてきた。

「トイレ?」

「うん。ひとりで動くなってシゲさんが言っていたろう」

「仕方ないな」

 先ほどまでの面倒くさそうな態度はどこへやら。

 背後で冬陽と身を寄せ合う神那に向かって笑みを向けると、

「お手洗いに行ってきます」

 と声をかける。

 動きのなかった大広間のなかで突如交わされた会話に、一同の視線が自然と恭太郎たちに向けられる。停滞する空気を動かすように勢いよく立ち上がると、神那は心配そうに眉を下げた。

「ふたりで大丈夫?」

「僕が先導して行きますから平気ですよ。コイツに任せたら一生経ってもたどり着けないとおもうけど」

「それもそうだけど──気を付けてくださいね。何に、と言われると難しいのだけれど」

「分かっています。夏目先生」

 恭太郎は夏目九重を見た。

 おもえば彼とは初めて会話を交わした気がする。初対面時から、神那で頭がいっぱいだったこの男が好かなかったからである。しかしこの状況においてはその方が好都合だ。彼ならば、万が一姉の身に危険が迫ったとしても身代わりくらいにはなってくれるにちがいない。

 ハイ、と妙にしおらしく夏目が顔をあげた。

「ちょっと席を外します。くれぐれも、──…………イッカのことよろしくお願いしますね。こいつ一度寝るとなかなか起きないんです」

「え? あ、ああ。イッカちゃんね、大丈夫だよ。行っておいで」

「…………」

 なんとなく“姉のこと”とは言いたくなかった。

 部屋を出た。

 廊下を進み始めてすぐ、背後で将臣がクックッとわらう。

「シスコンだなぁ」

「うるさい。そういうんじゃない。あの男に姉上を託すには役不足だと思っただけだ」

「そういうことにしておいてやるよ。ま、神那さんなら何かあってもたいてい自分の身は自分で守れる方だしな」

「そうだ。あんなもやし野郎がそばにいたところで、なんの役にも立たない」

 すこし進んだ先で恭太郎の足が止まった。

 大広間から納戸を挟んだ隣の部屋、襖に隔たれた向こう側にはいま森谷と博臣が話をしている。うしろに続く将臣の足も止まる。ふたりは互いに顔を見合わせると、どちらともなく自然と息をころして部屋のようすをうかがった。

 もちろん恭太郎はこんなことをしなくとも、中の状況は手に取るようにわかる。ちょっとした悪戯心だ。森谷が問いかけ、博臣が語る。先ほどから続けられていたこの問答は、恭太郎たちが部屋の前に来てからすぐに止まった。

 森谷が息を呑む音。

 袈裟の衣が擦れる音。

 指が、襖の取っ手に引っかかる音。

 ──気づかれた。

 とおもった恭太郎は将臣の手を取り、足音を忍ばせてふたたび廊下を進む。将臣は日ごろから足音を立てないで歩くので気にならぬ。廊下の角を左に曲がってすこし歩いたころ、襖がわずかに開く音がした。

 ネズミが二匹いたようだ──と、笑いを含んだ博臣の声が聞こえる。ふたたび襖が閉められると、こんどはよほど声を殺して喋りはじめたようで、恭太郎の耳でさえもくわしく聞き取ることはむずかしかった。

 奥座敷の手前にある厠が見えたころ、恭太郎はようやく手を離してぎろりと将臣を見下ろした。

「おまえの親父ってホント癪に障るよ」

「我が父ながら同感だ」

 疲れた声を出して将臣はつぶやいた。

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