第17話 血濡れの部屋

 和尚、と駆けだした一花の声はあかるい。

 今しがた座敷わらしに謝罪してきたらしい浅利博臣は、抱き着いてきた一花をやさしく受け止めて微笑んだ。

「いい子にしてたか?」

「子ども扱いしないでエ。あたし、もう花の女子大生なんよ」

「花の女子大生がオジンと連れションするかっちゅーねん」

「はっはっは、結構けっこう」

 と、博臣は一花の肩に手を添えたまま足を滑らせるように歩き出す。

 詳細について、聞いてよいのか聞かざるべきか。森谷はふたりの後ろについて歩きながら悶々と考える。しかし前方をゆく一花はあっけらかんとした口調で言った。

「お話しできたの?」

「なんとかね。あんまり多いんで驚いたが……」

「えっ。ホンマに座敷わらしいてるんですか! しかもひとりでなく?」

 おもわずさけぶ。と、同時にウッと閉口した。

 なぜか一花と博臣が目を見開いてこちらを見たからである。驚きとも威嚇ともとれぬ表情を前に、森谷はたじろいだ。一般人としては当然の反応だとおもうが、この世ならざるモノを見るらしいふたりにとってみれば、こちらの方が異質なのだろうか。

 すると博臣はいっしゅん、フッと口角をあげると、一花の背をトンと押した。

「先に行って、将臣に春江さんを呼んでくるよう言ってくれるか」

「いいよオ」

 一花は小走りで廊下を進んだ。

 そのうしろ姿を見送ってから、博臣はちらとこちらに目を向け、わらう。

「森谷さん。いつも愚息が世話になっているそうで」

「は。い、いやァ。ダブルスコアも間近やっちゅうのにいつもこっちに付き合うてもろてるんですわ。ホンマ、どっちが大人か分からんようで」

「あれは子どもですよ。口は達者になりましたが、まだまだ」

「あはは。そういやさっきシュンとしてはったんですよ、お父さんに怒られたいうて」

「フフフ」

 博臣は足を滑らせるように歩く。

 おかげで足音が聞こえない。凛と伸びた背筋を前に、森谷も自然と腹筋に力が入った。一花を先に行かせたことでなにか神妙な話でもあるのかと緊張したが、彼は導師部屋までの道すがら、意外にも他愛ない話ばかりをした。

 釜石ラーメンの美味しさや、ここ数年で一気に人気が出たピアニストの真嶋史織についてなど。彼は将臣の父らしく、その息子以上の知識と語彙で森谷との会話を楽しませた。一見すると厳格な紳士のように見えたが、意外とおちゃらけるし肚の黒いところもあるらしい。

「──って、食後にカツカレー頼むヤツ初めて見ましたよ! バケモンですわ、まークンの胃袋」

「勘弁してほしいもんだ。あの食いっぷりを外で見せられちゃ、ふだん何も食わせていないみたいだろう。あれの胃袋は母親似なんだよ、食卓につくと目の前でふたりがえらい食うもんだから見ているだけで腹いっぱいになる」

「うせやん! あのおっとりした天然チックな奥さま? へええ。人は見た目によらんってまことやな。寺の家ってホンマに精進料理ばっかなんすか?」

「はははは、そんなわけないだろう。なんでも頂くよ、修行道場さえ出てしまえばこちらのもんだ」

「ぎゃははは!」

 と。

 すっかり打ち解けたところで、廊下の暗がりに人影を見た。ちょうど目的地であった導師部屋の前に当たる場所である。目を凝らすと一花がぼうっと立ち尽くしている。その奥にはもうひとり、恭太郎が虚空をにらみつけているではないか。

 その異様な空気を前に、森谷の足は自然と止まった。

 博臣は──笑みが消えている。

 するどい目で恭太郎の見据える先に視線を向けた、ときだった。


「いやあああああああっ」


 耳をつんざく女の悲鳴が、屋敷中に轟いた。


 ※

 職業柄か、森谷のからだはいの一番に反応した。

 声のした方へ駆け出す。とはいえこの迷路のような屋敷では、いったいどこをどう行ったら目的地へたどり着くのか分からない。が、方向的にこちらは相良の親戚たちが過ごす部屋が並ぶはず。廊下に面した襖を手あたり次第に開けてゆくしかない──と先を見ると、廊下にへたり込む影に気が付いた。

 若い少女──宏美の娘だった。

 カッと目を見開いて部屋のなかを見つめている。

「おい、大丈夫かッ」

 声をかけた。

 彼女はいきおいよく顔をこちらに向けた。森谷を視認するや、ハッハッと呼気を乱して廊下を這ってくる。駆け寄って肩に手を置くと、彼女は全身をふるわせて森谷の腰元に抱きつく。同時に背後からバタバタと駆け来る足音が聞こえた。森谷につづき、あのとき廊下に出ていた者が次々に駆けつけたらしい。

 まだあどけない面影を残す少女はがくがくと顎までふるわせてつぶやいた。

「あ……あ、た。たす、たすけて──」

「部屋か?」

 と言いながら森谷がひょいと部屋の中を覗く。

 が、反射的に身を引いた。

 

 ──血、が


 ひどい有様であった。

 六畳間の中は壁や間仕切りの襖一面に血が飛び散っており、調度品や襖に描かれた美麗な模様は見る影もない。血だまりの真ん中、ぐったりと横たわるソレは大股をかっぴらいた状態で倒れていた。

 背後で床がぎしりと鳴る音がする。

 足音を聞き、冷静を取り戻した森谷はくるりとうしろを振り返る。そこには恭太郎のほか、一花と将臣がいた。三人は部屋のなかの異常性に気が付いたようで、一様に顔をこわばらせる。背後には博臣もいた。

 森谷はすぐさま部屋を出ると、四人に向き直る。

「見た通りや。ただちにこの屋敷にいてる人間全員、さっき飯食った大広間に集めてくれ。ええな?」

「分かりました。そちら──」

 将臣の視線が森谷の足もとに注がれる。

 いまだに太ももあたりを弱々しくつかむ少女がいる。

「宏美さんの娘さんもいっしょに連れて行きます」

「頼む。ついでに警察にも電話しといてくれ。来るまではオレが事情聴取や」

「了解です。さあ立って、行きましょう」

 と、声をかけられて力なく立ち上がるも、腰が抜けているのかすぐにぺたりと尻餅をついてしまった。見かねた博臣が少女を担ぎ上げる。

「私がこの子を連れて行く。お前たちは各部屋に行ってみんなを呼んできてくれ」

「わかった」

 恭太郎は一直線に神那たちのいる導師部屋の方へと駆けていった。対する一花は廊下を反対方面に駆け、手あたり次第襖を開けはじめた。将臣は父とともに大広間方面へと歩いていく。

 とりあえず、これでいい。

 森谷は深呼吸をひとつした。

 ふたたび部屋のなかへと視線を投じる。部屋を踏み荒らすわけにもいかず、遠目からの観察にとどめるが遺体は相良宏美でまちがいない。息苦しいほどけばけばしかったはずの化粧が、血の気が失せたいまではどれほど彩られてもその顔面の蒼白さは隠しきれていない。いや、そもそも顔面にまで刺創が及んでいるから、蒼白かどうかも判断はつかないが。

 傷は少なく見積もっても三十箇所以上。

 断定できないものの、凶器は包丁やナイフなどの鋭利な刃物。開脚して倒れていることから犯人に馬乗りにされた状態でめった刺しされたのだろうと推測した。

 が、しかし。

 ──それにしてもかなりの怨恨やろ、これ。

 異常である。

 これだけ血が飛び散っていたらば、犯人にも返り血がついていて然るべきである。宏美はついさっきまで奥座敷前でへたり込んでいた。その目撃時刻を鑑みても犯行時刻は確実に数十分以内、証拠隠滅の時間を考えても余裕はないだろう。外部犯行説だとしても、この時間にわざわざこの山深い家まで来るとは考えづらい。なぜならこの暗闇のなか山を歩くだなんて自殺行為だからである。

 ──となると内部犯説が濃厚、か?

 いやな仮説だ。

 森谷はぎりりと奥歯を噛みしめた。

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