第2話 魔女の夢②

彼女の言う通りだった。私の喉元に銃口を突き付けている彼女の要求を聞き入れるしか今の私には選択肢が無い事は明らかだった。


「……その頼み事とは何ですか?」


 創造した短剣を床に捨てる。そして抵抗する意思が無い事を示すために私は両手を挙げた。そんな私を見て、館長も銃を下ろした。

 そんな時だ。


「ちょっと待てえええ!」


 そう叫びながら、ワンピースを着た女が血相を変えて走ってきた。


「げっ」


 お姉さんが咄嗟に銃を消す。


「はあ、はあ……」


 走って来たせいか呼吸が荒く、その人の黒く長い髪はボサボサになっていた。彼女は館長と同じように整った顔をしていた。年はお姉さんと同じくらいだろうか、だが彼女とは違って胸が……二回りは発達していた。

 邪な視線を察してか、黒髪の女は探るように目を細めながら私を見た。


「今、変な事考えてたでしょ……」

「いえ、全く」

「そんなことよりも……でっかい音がしたと思って来てみれば何やってんのよ!」


 未だ二つに割れたままの海を指さして、彼女は館長に向けて言った。


「ああ、これは……まあ色々とあってだな、はは」


 館長は目を泳がせて答えた。彼女は妙に下手にでていた。


「イトリ、あんたって子は…… この綺麗な景色を作り上げるのにどれだけの時間がかかったと思ってるの……」


「ご、ごめん……」


 あれ、ちょっと待てよ。

 何だか頭に引っかかる。


「――今、イトリって言いました?」


 私は反射的に尋ねていた。

 この人は館長の事をイトリと呼んだ。イトリ、その名を私は知っている。母の魔女の物語の読み聞かせで何度も聞いた。忘れるはずがない。


「ええ、言ったけど……ていうかあなた誰?」

「い、今更ですか……私はアニマです、アニマ・フェルメール。 あなたさっきお姉さんのことをイトリって呼びましたよね?」


 なぜかその人は目を大きくして驚いた。そして慌てた様子で口を開いた。


「アニマ……え、まさか。 ねえ――」


 しかしその続きを聞くことは出来なかった。

 お姉さんが遮ったのだ。


「この人は空間の魔導士、アイデシア。 そして私はイトリ――そう、時の魔女だ。 もう少しキミにお姉さんと呼ばれていたかったが……まあバレてしまったことだし仕方がない」


 お姉さん――イトリはお手上げといった感じで諦めたように口にした。


「はあ⁉ あなた何言って――」

「アイデシア、お願い」

「……わかったわよ。 ええそうよ、イトリの言う通りよ」


 黒髪の女――アイデシアは腕を組みながら渋々頷いた。 


「えっと……つまりその変な恰好した方が夢を創り出して世界を滅茶苦茶にした「時の魔女」で、このラフな格好した方がその時の魔女を打ち倒した「空間の魔女」ってことですか?」

「ああそうだ」

「そういうことよ」


 軽い! 軽すぎる! そして殺し合っていたとは思えない程仲がいい!

この二人が魔女の物語に出てきたあの二人だというのか。それは余りにもあの凄惨とした物語と乖離していないか? 


「イトリってこんな子供っぽくなくてもうちょっと大人でお淑やかだったような…… アイデシアはこんな男勝りな口調じゃなくてもっとクールで騎士みたく整然としていたような……って痛い痛い!」


 二人に無言で殴り蹴り込まれる。

 唐突な神話級のカミングアウトに私の頭は大混乱していた。変な夢に迷い込んだと思ったら、どうやら私はとんでもない所に辿り着いてしまっていたらしい。


……待て、だが何か変だ。


「何で空間の魔導士がここにいるんです?」


 あの物語だと空間の魔導士は時の魔女を異世界へと封印した。だからなぜ彼女自身がこの世界にいるのが分からなかった。


「何であたしがここにいるかって? そりゃ時の魔女が私をこの世界に引きずり込んだからよ!」

「い、痛いよアイデシア」


 イトリの口を引っ張りながらアイデシアは言った。


「でもそれって史実とは違くないですか? 時の魔女はあなたが不意打ちで倒したんじゃ……」

「――なるほど、そうやって歴史が語り継がれているのね」


 アイデシアは納得したように頷いた。


「ええ、確かに私は時の魔女をこの異世界に転移させたわ。 知ってるでしょう? ここって最初は何もなかったの。 だけど魔女がその後私の能力を使って色々作り始めたの」


 ここまでは史実通りだ。私は頷いた。


「なんだか自分の庭が荒らされてるようで気分が悪かった。 だから文句を言いに私も異世界に行ってみたの」


 これは知らない展開だった。


「……だけど言ったでしょ、その世界は二度と戻ってこられない――不可塑的な世界なのよ」

「魔女に引き込まれてないじゃん! あんたのせいじゃねえか!」


 ああ、この人はバカだ。思わず突っ込んでしまった。


「まあこんな感じで私はこの世界にいるのよ。 受け継がれてる話がちょっと違うのは……王国ってほら、メンツに拘るやつらだから「完全勝利!」なシナリオにしたかったんでしょ、きっと」

「なるほど……」


 なんで事の顛末を知ってる魔女本人が納得しているんだ。


「わ、分かりました。 そういう経緯があったんですね……」


 もっと壮大な物語が背景にあると思っていた私は思わず拍子抜けしてしまった。


「ええ、そういうことよ。 ……ところで、イトリ。 なんでさっきは銃をぶっ放したの?」


 眩しいくらいの笑顔でアイデシアは言った。

「え、えっとそれはだな……」


 イトリは胸の前で手をいじくりながらぎこちなく答えた。


「……まあいいわ。 とにかく今はアニマへの用事を済ませたら? もう時間、あんまりないんじゃないの」


 館長は時計を創造し、時間を確認した。針は午前三時を指していた。

 そうだ、夢の外では夢の中と同じように時が流れている。もう数時間したら私は意志関係なく元の世界へと帰っていくだろう。


「そうだな、ありがとうアイデシア」


 彼女はもうログハウスへと向かって歩いていた。そして振り返らずに手を挙げてイトリに答えた。


「……で、キミにお願いがあるんだが。 とりあえず僕についてきてくれないか?」


 イトリは少女のように微笑んだ。私の胸に銃口を当てながら。


「またかよ! ……分かりました、ついていきます」


 うむ、と満足そうにイトリは頷いて、銃を離した。

 とにかく今は彼女に従うしかなかった。

 心臓目掛けて打ち込まれる心配はなくなったとはいえ、館長のマスケット銃はまだ彼女の腰にぶら下がっていた。

 何はともわれ、私の命が今すぐにでも危ぶまれる心配はなさそうだ。


「では契約成立という事だな。 ――改めてようこそ僕の世界へ、キミを歓迎するよ」


 館長は律儀に腰を下ろし一礼した。その作法はさながら貴族のようであった。改めた私は彼女がかつて国王の妃だった時の魔女なのだと実感した。

私は呆気にとられながらも彼女の手を取った。それは驚くほど冷たく、雪のように白かった。


 私とイトリは海から離れ、草原を歩いていた。そこは点々と廃墟がある、遺跡のような不思議な場所だった。

なんともすっきりしない気分だった。勿論、恫喝されたことはそのわだかまりの一因ではあるのだが、それとまだもう一つある。

それは夢に来た最初に聞いた言葉だ。「ようこそ」彼女はそう言っていた。今思うとその口振りはまるで人が来ることを知っているかのようだった。


「イトリさん、一つ質問してもいいですか?」

「ああ、かまわんよ」

「貴方はこの夢で誰を待っているんですか?」


 二人の間に少し強い風が吹いた。どこからか飛んできた木の葉が石畳の上を走る。館長は飛ばされないように帽子の鍔を持った。

 そして何事もなかったかのように、しんとした静寂が訪れた。

帽子に隠れたその表情は伺えない。ただ雲のように真っ白なその髪が穏やかな波のように揺れていた。


「――キミと同じさ」

「……私と同じ?」

「ああ、キミと同じ。 患者を待っているんだ――まあ私の場合、相手は獏だがね」

「何でそのことを……」

「わかるさ、ここにはキミの同業者がやってくるんだよ。 夢診療所のことだろう? 相談屋ってのは」 

「……はい、そうです」


 夢診療所、それは夢から出られなくなった人を助ける獏による医療機関だ。

 私が勤める「西ロンドン夢診療所」をはじめ、ロンドン市内には五十近くの診療所があり、全国の獏の半分近くが住んでいる。

 ともかく、これにより不当な理由から差別されて働き口の無かった獏の多くが手に職を得る事が出来たのだ。おかげさまで学も金もない私も今こうして働けている。


「同業者がなぜここにやってくるんですか?」

「知らないのかい? てっきり全員の獏が知ってるものかと思っていたが……」


 イトリは心底驚いた様子だった。


「まあいいか。 知らないのならキミに教えてあげよう……夢から出られなくなった――夢に沈んでしまった人は獏の手ですくう事が出来る。 だが一方で、獏が夢に沈んでしまったら?  それは私のように一生籠から出られなくなることを意味するんだ」


 思わず私は絶句してしまった。獏は夢を見ない、と母から教わってきた。実際私は生まれてこの方自分の夢を見たことが無い。


「キミは親や同族の友人から教わっている筈だ、獏は夢を見ないと。 あれは間違いだ、獏は夢を見る。 だが一度見ると二度と夢から出る事は出来ない」

「そう、だったんですね……」

「ああ。 だからここは兆候がある獏が送られるか自分の意思でやってくる場所だ。 獏が夢に沈まないようにする、最後の砦、とでも言った所か」

「じゃあつまり……」


 私が自分の意思と関係なしにこの世界に来たのは。


「このままだとキミは夢から出られなくなるよ」


 イトリは申し訳なさそうな表情で私にそう言った。

 冷や汗が頬を伝った。

 夢から、出られなくなる? 

 それは私がこのままだと死んでしまう事を意味していた。


「じゃ、じゃあ私はどうすればいいんですか?」

「安心しろ、僕を誰だと思っている? お姉ちゃんだ」


 魔女って言わないのかよ。


「ちゃんと策はある。 ――これはさっきみたいな脅迫じゃないんだが」

「またピストルを創造しながらそれいいますか⁉」

「もしよかったらこれからキミの仕事の手伝いをしてもいいか? 長い期間ともにいる事で君がここに来てしまった原因も分かるはずだ」

「別にいいですけどこめかみに銃を当てるのやめてください!」

「やった!」


 銃を持ちながら嬉しそうにはしゃぐな。

 まあ人は足りてないからこっちも嬉しいし、その上自分の命が助かるならお釣りがくるくらいだけれど……


「ところで仕事の手伝いってどうやってするんです?」

「うむ。 キミが見ている患者の夢に私もついていくんだ」

「なるほど…… でも、仕事中は魔女であることは隠してください」

「どうしてだ? 明かした方が箔がつくのではないか?」

「いや、ダメでしょ……」

「だがしかしそうなると僕は何と名乗ればいいんだ?」

 

 魔女は論外だが、イトリの名も誰もが知っている。なら――


「私の妹ってのはどうでしょう」

「却下」


 即答だった。イトリは口を膨らませてあからさまに怒っていた。

 

「じゃあ助手ってことで」

「むむ……じゃあお姉」

「却下」


 今度はこっちが即答した。

 当然だろう、だって歳は確かにイトリの方が数百上かもしれないが、彼女の見て呉れじゃ傍から見たら新種のプレイをしてるんじゃないかと誤解されてしまう。 


「じゃあ助手で」

「わかったよ……」

 イトリは渋々頷いた。


「しかし、こうして働くなんて――だな」

 言いよどんだイトリは、すぐに目を伏せて小さく息をついた。


「え、今何か言いましたか?」

「……いや、何でもない。 さあ、早く行こうじゃないか!」

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