一口だけ。
からんな
女王様と
「ねえ、また女の子弄んだでしょ」
後ろから声をかけると、彼は振り向かずに曖昧にグラスを傾けた。まだあまり減っていないマンハッタンを、彼は愛おしそうに飲んでいた。
私は彼の隣に立ちマティーニを一杯注文する。
「弄んでないよ」
「またあなた絡みの女の子来たんだけど」
彼は、軽く笑うだけでそれ以上何も言わなかった。
実際私のもとには様々な用事で、けれど元を辿っていけば彼にたどり着く、そんな女の子たちがたくさん来るのだ。ある日は彼の恋人が私に嫉妬をぶつけて、またある日は彼に遊ばれたと、そしてまたある日には彼の連絡先を聞きに。
もう何回も彼に苦情をぶつけている。しかしいくら声を投げかけても彼は謝りもせずに、いつも笑うだけであった。
「マティーニ、いいね。僕に合せてくれたの?」
「さあ、なんの話かしら」
しばらくの沈黙が続き私のもとにカクテルが来た頃、彼はグラスを置いて口を開いた。
「さっき君が言っていた子とはもう別れたよ」
「はあー、それで?」
ため息とともに次はどんな子なの、と聞くと彼は再びグラスを持ち上げ、人差し指を立てて唇に近づけた。
「いいよ、また遊んでるだけなんでしょ」
「ははっ、君の方はどうなんだい?」
「知っていることを聞かないで」
「そうだね」
彼は女を切らしたことがないが、それとは正反対に私は男を作ったことがない。それはそのはず、近くにこんな魅力的な男がいたら、それ以外の男は大抵石ころのように見えてしまうものだ。
彼は変な男だ。整った顔に、人より少しだけ高い身長。そして何より、とにかく魅力的なのだ。一つ一つの言動には色気がまとわりつき、優しく艶めかしい声は人々を虜にさせる。そしてその彼は、きっと私のことを好いている。それなのに、私がどれだけ彼に言い寄っても指一本も触れてくれない
「私のこと抱いてくれない?」
「君はまた。僕今彼女いるんだけど」
「どうせすぐに別れるんじゃないの?」
彼はまたグラスに口をつけた。そしてマンハッタンに沈む赤い夕日を口に含み、ゆっくりと咀嚼する。彼の周りだけ時が止まっていてもおかしくない。
無意識のうちに見惚れていると彼が私の方をちら、と見た。
「愛というのは面倒なんだ」
「答えになってない」
「僕じゃなくても君を大切にしてくれる人はいるよ」
「私を弄んではくれないのね」
わざとらしくそんなことを言って、気を紛らせるように自分のグラスを口に運んだ。
「私にそれらしい人ができない理由、あなた、わかる?」
「僕のせいだろう?」
「分かってるじゃない。よく自分を好いている人と酒が飲めるわね」
彼はまた曖昧に笑って黙り込んだ。そして再び数分の沈黙が訪れ、それぞれ酒を味わった。
先に沈黙を破ったのは彼だった。
「このお酒は僕には甘すぎたよ。君のを一口くれないかい?」
「あなたはいつもそうじゃない」
グラスを彼に渡すと彼は律儀に一口だけ飲んだ。
彼はいつもそうなのだ。本当に一口だけ口をつけて、それで終わり。一瞬の期待だけをもたせ、まるでそれを楽しんでいるかのように繰り返すのだ。
「私には一口くれないの? このお酒、私には大人すぎるのだけど」
「もうないけど、それでもいいなら」
「そうだと思った」
やはり、もうあの甘美を頂くことはできないらしい。彼が一口のんだマティーニを再び口に運ぶ。やはり、私にはこのお酒は早すぎるのかもしれない。この後味のなさに物足りなさを感じてしまっている。
今日はこのまま朝日が昇るくらいまでここで二人で過ごすのだろう。そして彼は、私の住んでいるマンションまで私を送っていって、私を抱かずに帰るのだ。数日後には、私に一行のメッセージを送って食事や飲みに連れ出すだろう。
その誘いを断れない私も悪い。それでも私は彼の甘い毒を一口でいいから飲んでみたい。今のところ、まだ喉は乾いたままだ。そしてこの喉は、一生潤う気がしない。
一口だけ。 からんな @mochimochidango
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