レモンティ 最高のギタリスト鮎川誠氏に捧ぐ

 僕は車のスピーカーが壊れてしまうかと思った。


 彼女が僕のオンボロ車で、ボリュームをガンガンあげて再生したレモンティという曲のせいだ。


 彼女は弾けるような笑顔で、困惑する僕の肩を揺さぶり、「ボリュームあげて! 」と激しくせがんだ。


 結局、嫌がる僕を押しのけ勝手にあげたけど。


 がなり立てる様なギターを聞き、僕はもうやめてくれって、こっそり神様に祈った。


 僕らは夏の海岸線をドライブしている。


 段丘に沿った曲がりくねった道は、道幅も広く舗装も真新しい。カーブを曲がる度に様々な角度から海を眺められ、心地良い潮風がここは特別な場所だと教えてくれる。僕はハックルべリー・フィンみたいに自由だった。


 この車は祖父の所有していたものだ。とてもボロだけど、一応オーブンカーでは世界で1番売れたらしい。今時貴重なマニュアル車は、恋に傷ついた女の子みたいに手強く、免許取り立ての僕の練習用となる。


 洗いたてのシーツに寝転ぶみたいに風と空を感じ、オンボロだけどこれが世界で最高の一台だと、僕は信じていた。


 大学の夏休みに帰省した僕は、懸命に学費を捻出してくれる両親のスネをひと夏もかじる気はない。


 だからこの夏の間にバイトを始めた。実家から車で20分くらいの場所に最近経営者が変わったリゾートホテルがあり、そこで庭園管理をしている。真夏の外仕事は結構大変だ。


 僕の車の隣に乗るのはヒビキ。


 目立つそばかすをファンデーションで誤魔化さない潔い子だ。でもとても美人で凛としているから、寧ろそばかすがその美しさを引き立ている様にさえ僕には見える。


 ヒビキは僕のバイトするホテルで、地元採用により18歳から勤め、21歳の現在は宴会のホール担当をしていた。


 僕より二つ歳上の彼女はとても落ち着いていて、朝食会で利用に来る地元商工会議所のおっさん達に人気らしい。


「あー気持ちいいね、この車!」


 猫みたいに素敵な伸びをして、全身で太陽を浴びる彼女は日焼けなんか一切気にしていない。逆に僕の方が狼狽えてしまい、慌てて日焼け止めをプレゼントしたくらいだ。


「湾岸線にはやっぱりオープンが最高!」


「……そうだね、でもこの騒音さえなければだけど!」


 僕はハンドルを切りながら、片手でわざとらしく耳を塞ぐ。


「ロックだよ、ガツンと カッコイイのに!」


「ヒビキ、僕は基本音楽は聞かない。自然の音で充分だ。風の音、海の音、波の音、そして車のエンジンの音、そう言うのが心地いいんだ」


「ロックは魂、君は自分の魂を知らないね!」


 力説するヒビキを、僕はやれやれと思う。


 あんなに普段は落ち着いていて、まるでモデルみたいクールなのに、ことロックを語る彼女は、入園式を控え興奮する園児みたいに手に余る。


 僕はすぐさま不毛な議論を打ち切った。


 女性の価値観を変えるのは、大国の政治を改革するよりも困難を極める。


 僕は潔く、そして情けなく、彼女のかける耐えがたい騒音でしかないロックなるものを聞き流す。









 ヒビキは恋に悩んでいた。


 僕から言わせれば、馬鹿としか思えない。


 クラウドファウンディングで金わ集め、ポカロ系の音楽を作っている男が好きらしい。


 そこにロックな要素なんかまるでない。奴は地元イベントなんかにも出ていて、この地方都市では有名だ。


 父親が議員のぼんぼんで、世の中を舐め切っいる。良くない噂しか聞かない。


 例えば、女の子を取っ替え引っ換えして、たまにボーカルに立てては揉めて捨てているとかだ。


 そんな糞みたいなゴミ野郎に、ヒビキは献身的かつ身内的なポジションで関わっていた。僕が嘘だろって思ったのは、1万払うと一緒に食事してくれるしい。勿論奴は食事代を払わない。何様? って感じだ。死んで欲しい。


「自主配信でもファンが多いのよ」


 誇らしげで嬉しそうに語る彼女。

 

 僕はその頬を叩き、説教したい気分だったが、残念ながらそれは出来ない。


 なぜなら、僕は彼女に恋してる。


 まあ、単なる年上への憧れだろうと考える。僕はマイ・ブルーベリーナイツのブルーベリーパイみたいに、恋と穏やかに向き合いたいタイプだ。


 だから、大人しく糞つまんないムカつくクズの話を聞き、決して愚痴を言わない彼女が、時折漏らす溜息みたいな悩みに真剣に耳を傾ける。


 僕はそういう時間ではさえ、十分にときめいていた。





 ヒビキと知り合ったのは、バイトを始めて5日目の事だ。


 僕と同じく庭園管理部には、浅黒く焼け、ずんぐりむっくりで無精髭を生やした不潔な男がいた。


 ゴリラみたいだから僕はゴリ男ってあだ名をつけたが、このゴリ男はやたらとウザ絡みしてくる。


 いつも酒臭いゴリ男は、僕の態度、仕事振り、服装なんかをネタにして、顔を合わせればやたら怒鳴ってくる。つまり僕としてはガードレールで叩きのめしたいタイプの人間だった。


 ちなみに僕の名誉の為に言うなら、僕は彼より遥かに丁寧に早く仕事をこなし、キチンとした服装で、お客様には率先して挨拶を心掛けていた。


 要は新参の僕が気に入らないだけ。


 そんなゴリ男はここの支配人の弟である事実から、良心の呵責をボールボーイみたいに拾う事が出来ない従業員達は誰も注意が出来ない。勿論、新人の僕も文句が言える訳がなく、マッシュ・ポテトみたいに彼のやっかみを黙って恭しく聞くしかなかった。


 そんな時、突然現れたヒピキだけが僕をかばい、ゴリ男に喰ってかかってくれた。


「そんな注意、違うんじゃないですか! 秘密バラしますよ!」


「はぁぁぁ! 小娘が出しゃばるな!」


 するとヒビキはゴリ男の耳元で何事かを囁くと、彼の顔色は救急病棟に担ぎ込みたくなるくらいに変わり、「もういい!」と不貞腐れ去って行った。


 後で聞いたのだが、ゴリ男は元小さな親族経営の会社の社長だった。娘がホストに入れ込み、会社の金を横領し倒産。妻も娘も去り、借金返済の為、一念発起して立ち上げた会社も敢え無く潰れ、今はここで支配人である兄の情けで働いている。そしてホストを思い出すのか、若い男のバイトを悉くいびり倒し辞めさせているらしい。


 聞けば哀れではあるが、彼の態度に辟易していた僕は、まるで同情する気が起きなかった。


 僕はヒビキに丁重にお礼を述べ、それで終わりだと思っていたら、彼女は僕の車に興味を持った。


 彼女のどんなアドレナリンだかホルモンだかが反応したのか知らないが、やたら送ってけ、休みの日はドライブに連れてけと煩い。


 19歳の僕が、恩義もあり、美人でクールな女の子の誘いを断るなんて、殺し屋に始末されかねない暴挙だ。


 とは言え、嗜みを心得た僕としては、女性のこういう誘いに浮かれたりはせず、随分やせ我慢をしたスタンスで、実に紳士的に対応させてもらった。


 信頼とは他者との比較で構築される。僕は恐らく彼女の周りの男どもよりも、きっと狂暴性が低く、残念ながら性的な魅力も乏しく、ルックスはさておいて、取り敢えず手間のかからない良心的な室内犬くらいには心許せるみたいだった。


 気がつけば彼女の行き帰りの送迎は僕の日課となっていた。


「これは私のおじいちゃんが大好きな音楽!」


 そう言って聞かせてくれたのが、シーナ&ロケッツのレモンティーだった。


「ギタリストの鮎川誠さんが、元々サンハウスってバンドにいて、その後に奥さんであるシーナさんとバンドを作ったの。久留米弁がとっても素敵な日本最高のロックギタリストよ」


 僕には航空機の設計図と同じくらいまるで不要な情報だった。


 おじいちゃん子だったヒビキは、70年代から現代までの長いロック史を、様々に語ってくれた。


 くそ野郎の音楽に入れ込んでいるのは聞いていたが、不思議な事に僕といる時は一切その音楽をかけたりせず、ひたすら耳障りなロックばかりを聞かせてくれる。


 僕は彼女のそんな迷惑行為にも革命前のフランス市民みたいに耐え、ひたすらロックなるものを教育された。


 こうして僕の19歳の夏は、ピカソと同棲するモネみたいな気分で過ぎ去り、夏も折り返しに入ろうとしていた。





 僕は彼女に告白するなんて考えない。夏が過ぎれば大学に戻るし、遠距離恋愛は毎日冷めたコーヒーを飲むみたいに味気ない。


 だから僕は必要以上には深入りせず、「この恋は夏の思い出だ」、というテロップを心の中にこっそり準備していた。






 そんな時、彼女が泥酔いして深夜に電話をかけてきた。浅い眠りについていた僕はスマホを危うく壁に叩きつけかけたが、どうにか会話が出来た。


 ただし、こんな事は今まで一度もない。


 実はその前日に僕は彼女と激しく喧嘩をしていた。


 例のクソ野郎が浮気をしているという話を聞き、実は彼女はサポーターではなくずっと付き合っていたという事実を聞かされたからだ。あのクソ野郎は浮気どころの騒ぎじゃない。


 正直僕はイライラした。


 自分でも驚くのだが、独占欲や嫉妬心なんて言う恋のオプションは、出張ストリッパーくらいに僕には不要なものだと思っていた。


 しかし惨めな嫉妬心に染まった僕は、断固別れるべきだと主張したが、彼女は聞く耳を持たない。逆にクソ野郎の良さを話し始めて、僕をさらにイライラさせた。


 怒鳴り合いにまで発展した言い争いは、物別れに終わり、僕はもう彼女とは関わらないと強く心に決めていた。


 そんなヒピキからの突然の電話。しかも激しく酔っている。


 僕は何か嫌な予感がしながら、彼女の指定した海浜公園に急いで車を走らせた。


 彼女は誰もいない駐車場近くの砂浜に、打ち上げられ魚みたいに寝ていた。僕は死んでるんじゃないかと驚いた。


「ヒビキ! 大丈夫、生きてる?」


 慌てて駆け寄ると彼女は勿論生きていて、いきなりUSBメモリを渡して来た。


「これ、大音量でかけて!」


 駄目だ、目が座ってる。


 これだから酔っ払いは嫌いだ。


 僕はまるで隠し口座を発見出来なかったハッカーみたいに頼りなく彼女の命令に従い、周囲には誰もいないが社会的には迷惑だろうなとも思いつつ、カーステレオをフルボリュームにして音楽をかけた。


 そこから流れて来たのは、彼女の好きなシーナ&ロケッツのユー・メイ・ドリームだった。


 波の音が響く月明かりだけの深夜の海を眺めながら、彼女の近くに行くといきなり抱きつかれて砂浜に転がされた。最悪だ、服が砂まみれだ。


「なにを……」


 と言いかけると、すぐ隣の彼女が夜空を指差した。


 そこにはこの海岸の空を彩る無数の星々が、美しくも静かに輝いていた。


 彼女は無理矢理僕に腕枕をさせ、胸に顔を寄せて言った。


「今日別れたから」


 言葉と裏腹に、どこか頼りないその表情は、僕の心を激しく揺さぶった。


 僕は何も言わずに彼女の肩をそっと抱いてキスをした。そのまま暗闇の中、2人で星をずっと眺めていた。


 遠くで僕の車からロックが優しく響いている。






 その翌日、彼女が自殺未遂をした。






 慌てた僕がご家族に聞くと、一命はとりとめたが、誰にも会いたくないらしい。病院で看護師がこっそり囁いていた話しで、僕は彼女が妊娠2カ月だった事を知った。


 それからの僕は、返事の来ないメールを毎日送るしか出来なかった。


 彼女はホテルの仕事も辞め、何も進展のないまますっかり味気ない夏が過ぎ去り、僕のバイトも終了したその日、彼女からメールが入った。


 内容は「空港まで送れ!」なんて言う突拍子もないものだった。


 意味がわからない僕が彼女の家に行くと、キャリーケースを引き、少し痩せた彼女が微笑んで健気に手を振ってくれた。僕はちょっと泣きそうになった。


 僕らは高速に乗り空港を目指した。彼女は関東にいるお姉さんの所に行き、そこで仕事を探すと言う。


 僕は「そうなんだ……」とひねりも何もない事しか言えなかった。


 空港に着き、中まで見送りに来なくて良いと言う彼女が、別れ際あの時のUSBスティックを渡して来た。


「これで勉強しなさい」


 それが彼女が僕に言った最後の言葉だった。


 僕は帰りの道すがら、彼女が好きで僕の大嫌いなロック、その代表たるシーナ&ロケッツを聞いた。


 相変わらず僕には理解出来ない煩い音楽だか、今日だけはボリュームをあげて我慢して聞いた。


 地元に入り、彼女といつも一緒に走っていた海岸線の道になった時、スピーカーからレモンティーが流れて来た。


 その瞬間、僕はどうした事か胸がいっぱいになり、我慢できずに涙が溢れて来た。


 ギターがガンガン前に出て来て、ボーカルがシャウトして、どこまでも煩いロックなのに、鮮やかに彼女の笑顔を思い出し、彼女の仕草を思い出し、彼女の弾ける声も、彼女のロックな言葉も、そして僕がこんなにも彼女が好きだったんだと言う事を。僕にはとても耐えられなかった。


 別に一生に一度の恋でもない、破滅に身を焦がす恋でもない。


 でもこの道を一緒に走った彼女との記憶がありありと浮かび、震える程の愛しさが込み上げ、僕は涙が止まらかった。


 ヒビキの言葉を思い出した。


「素敵なロックは、聴いた時の感情を忘れさせないの!」


 僕は車を停めた。


 目の前には彼女と眺めた夏の海が広がる。


 最高にロックなギターが鳴り響き、レモンティが流れていた。






 この作品は2023年1月29日に亡くなられた、日本最高のギタリスト鮎川誠氏と愛用する黒の69(ロック)年型レスポールに捧ぐ。





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