第4話 嘘とウソ
女の友情は浅はかだ。
言うなれば腐れ縁と類似し、自分が絶対一番で相手の事は二の次だ。だが、そんな風にないがしろにするくせに、へこんだ時はこの世の終わりみたいに頼って来る。
沼らせ女はまさにそれだ。女は都合がいい事しか見ないし、都合のいい様にしか考えない。
私は女だけど、女が嫌いだ。
「琴奈、なんか企んでるっぽい!」
「なんの事?」
親友の彩葉がめざとくツッ込んでくる。
私はとぼけた風に、再び文庫本に目を落とす。
ここはサークルの部室。幼馴染の清史郎に頼んで作った私のオアシスだ。サークル名も私が考えた。「いみじくもひとごこち」と言う。
名前に意味はないと言えば嘘になるが、大袈裟に言えば此処に所属する人間が自分で意味に遭逢すればいい。普段は隠れたスイーツや焼き立てパンの名店を探す。
「琴奈、バレンタインのチョコ、一緒に手作りしょうよ!」
「やだ、手作りは重い、私は既製品派。安ければなお良い」
「えっ、お、重いかなぁ……」
彩葉がしょげて挫けそうになってしまった。
面白いけど本意ではない。私は言い方が少しきついタイプだ。ここは助け船を出そう。
「私が嫌なだけで、世間の男は喜ぶかも知れない。それにバレンタインは今年で終わりじゃない」
「ええっ、失敗する前提なの!」
駄目だった。
そうか恋する乙女はネガティブだと失念していた。しかるに面倒臭い。切り捨てよう。
「安全なのは既製品。それでいけば?」
「ううん、逆に燃えて来た!」
駄目だ、制御出来ない。
彩葉はこういう女だ。だから好きだ。彼女は目立つ。美人で性格も良く、男前でもある。私とはまるで違う世界の人間だ。しかし親友だ。
女嫌いの私が、唯一心許せる女の子。彼女が私の何を気に入って、親友でいてくれるのかなど興味はない。私が彩葉を好きである、これで充分なのだ。
彩葉は他の女とは違う。嘘がない。素直でもある。無鉄砲でもある。面倒臭くもある。ややこしくもあって、迷惑でもある。つまり、総じて私に元気や喜びをくれる。そんな素敵な女の子だ。理屈はいらない。
そんな彩葉が手作りチョコか。転じて厄介だ。本人は看過されてないと思っているが、もっか絶賛沼系男子に片思い中である。まあ彩葉も天然沼系だが。
相手の名前は春斗。同じサークルの仲間だ。いい男だ。例えるなら炭火焼きみたいな男で、心の奥に烈々たる熱を秘めながら、落ち着いた大人風に展観せしめている。しかもさりげなく思いやりを使えるから、中々タチが悪い。
私は勿論気にいっている。友人としてだ。恋人となると、嫌だな。距離感が近そうだ。私は適度な距離を傾慕する。
ただ春斗は今の所、恋人を作る気は無いらしく、浮いた噂はない。
彩葉の不穏な様子を見るに、もう3回くらいは告白し拒否られてるのではないかと推察するが、これも定かではない。まあ、私は親友として、応援もしなければ諦めさせる気もない。
閑却するのが一番の親愛の証だ。
さて、本の続きを読もう。
「ほら、行くよ、琴奈!」
「えっ?」
彩葉は強引に私の腕を引っ張ると、全力で拉致をした。結局私はチョコ作りに無理矢理参加させられる。うーん、やはり制御出来ない。
バレンタインが終わり、もうすぐホワイトデイが来る。
彩葉の手作りチョコは男子に概ね好評で、名義は「作成彩葉、監修琴奈」と言い渡した。存外感謝というか喜悦され。こういうのも悪くない。
「おつかれ! って、今日は琴奈だけか……」
部室の扉を大きく開いて清史郎が間抜け面を覗かせた。
「彩葉はヘアカット、春斗は家庭教師のバイト、蒼汰は行方不明」
「いやいや、蒼汰だけ知らないって素直に言ってやれよ」
清史郎は笑いながら椅子を手繰り寄せた。
大柄な彼は椅子の背面を前にして、行儀悪くガ二股で私のすぐ近くに座った。
「あのな、蒼汰は彩葉が好きだぞ」
「なに!」
私は驚愕した。
蒼汰とはこのサークルの良心とも言える男の子だ。一見覚束なく見えるが、却々男気があり、春斗なんか惚れまくっている。
私は彼が大好きだ。勿論、友達としてだ。恋人は、嫌だな。間違いなく私みたいなタイプは、彼に盲目的になってしまう。相性は最悪だ。沼る事間違いなし。
その蒼汰が彩葉を好き、これは由々しき事態である。
彩葉は春斗が好き、春斗は蒼汰が好き、蒼汰は彩葉が好き。完全にカオスじゃないか。私達のサークルはどうなってしまうんだ!
「清史郎、ソースはどこだ? どうやって知った?」
「ん? ああ、俺の勘だ!」
サムズアップしてニカッと笑う。
殺意とはこういう感情か、ムカつく奴だ。
清史郎が言うには、勘で蒼汰が怪しいと睨み、そこで本人に直接尋ねた。清史郎のこのダイレクトな行動原則は恐怖だ。私に向かない事を願う。
聞かれた蒼汰は「違うよ」とだけ答えたが、唇が僅かに震えていたらしい。それで清史郎は確信した。だが、曖昧ではある。
「どうしたんだ、琴奈?」
「いや、実は私の観察によると彩葉は春斗が好きだ」
「なに!」
今度は清史郎が驚く番だった。
と言う訳で私達はカオスなこのサークルを守る為、緊急対策会議を開くに至った。
「で、お前はどう思うんだ?」
清史郎の奢ってくれた紅茶を飲みながら、私は自分の結論を述べる。
「私は誰にも傷ついて欲しくない。ここから誰もいなくなって欲しくない。ゆえに正直誰にも動いて欲しくない」
清史郎はほっこりと笑顔で私を眺めた。
「それは無理だ。諦めろ」
「なっ、じゃあ、清史郎は誰かがいなくなっても、いいって言うのか」
「そんなの嫌に決まってるだろ。みんな友達だ」
「でも……、絶対に誰かが傷ついて、いや、蒼汰も彩葉も春斗も相手の事を大事にするから、全員傷つくに決まっている、全滅だ」
「いいじゃないか、傷ついたって。いいか、怪我したら治せばいい、それだけだ。大袈裟に考えるな」
「心の問題はそんな簡単じゃない! 清史郎は楽観過ぎる!」
思わず私は興奮を隠秘出来ないが、それでも清史郎はニコニコしている。
「あのなぁ、琴奈、お前さ、拗らせてるな」
「なっ、私が拗らせるってどういう意味だ」
「お前はこの居心地のいい空間を勘違いしてんだ。お前だけがここを作ってるんじゃない。みんなで作ってるんだぞ。お前の居心地良さをみんなに強要すんな。そんな考え方であいつらを繋ごうなんて、拗らせ以外の何者でもない」
「別に私はみんなに依存なんかしていない」
「でも望んでいるのはそういう事だろ?」
むっ、私は何も言えなくなってしまう。
「俺は結婚って言うのが最悪の愛の形だと思っている」
清史郎は脈絡もなく、突拍子もない事を時偶言い出す。
「だってそうだろ、好きな人となんで税金の話やゴミの収集日の話をしないといけないんだ」
「生活するっていうのは、そういう事だ。別にいいじゃないか」
「俺は好きな子とはそういう話をしたくない。つまり俺にはそういう愛の形がある。だからさ、蒼汰や彩葉や春斗が誰かを好きって言ってフラれても、それはそういう愛の形なんだよ。付き合うだけを愛って言って、それ以外を否定しなくていいだろ。どんなにいびつでも、どんなに不格好でも愛って言っていいじゃないか」
「そんな言い方をされると、否定しづらい」
清史郎は素直だ。
その素直な言葉に嘘はない。だから他の人間が言ったら信じられない事でも、こいつの言葉は信じたくなってしまう。
「俺は恋愛なんかでここは崩れないと思う。みんないい奴だからさ。大丈夫だ、安心しろよ、琴奈」
清史郎の言う事は、私なんかより断然仲間を信頼仕切っている。清々しいくらい晴れやかに、一般論では有り得ない結論で私を諭した。なんか悔しい。
「ただ、俺は蒼汰だけは心配だ」
それまで穏やかだった清史郎は急に気概なく、困り顔を浮かべた。
「あいつは優し過ぎるから、自分の気持ちと心中してしまいそうで怖い」
蒼汰は強くて弱い。矛盾を抱える彼は最後にはきっと潔さを選択してしまう。
「私がなんとかする」
そう宣言をした私に清史郎は、「拗らせるなよ、琴奈」と言った。そしてこの後、酷い後悔をする事を私は知らなかった。
「春斗が彩葉にホワイトデイで告白するかも。ベタだよね」
蒼汰が部室から帰ろうとする直前、私は何気なさを装いこう告げた。
何故こんな事を言うのか?
答えは簡単だ。蒼汰に彩葉を諦めさせる為だ。
蒼汰が告白する前に結論を提示する。嘘がばれても勘違いで済ませるだけだ。
私の知る彩葉なら、今は片思いでも遅かれ早かれ確実に春斗の心をこじ開ける気がする。春斗は彩葉とお似合いだ。私は勘は鈍いが、気に入った友人と親友の事はわかる。
ならば、蒼汰が傷つくにしても、その傷を出来るだけ浅くしてやれば良い。これで彼は親友と友人を祝福する側に変わる。辛いだろうが優しい人だから。
彼は狼狽えた姿を隠す様に何気なく「そうか」とだけ言ったが、その瞳を見た瞬間、私は名状しがたい気持ちに見舞われた。
なんて寂しさだろう。
美しくも綺麗な煢然、私の胸を激しく締め付ける程、彼の寂しさは綺麗だった。
一瞬で彼の心を私は理解した。蒼汰は彩葉が春斗を好きなのを知っている。それでも彼はその事実を受け止め、尚好きだったんだ。
私はなんて浅はかで小賢しい嘘をついてしまったんだ。傷つけたくない彼を、最も最悪の方法で追い込んでしまった。
私がそう戸惑う内に、彼は帰ってしまった。
手遅れだ。私は大切な友人に酷い嘘をついてしまった。取り返しのつかないザラザラとした寂寥感だけが、この場に漂泊していた。
私は馬鹿だ。胃が痛い。吐きそうだ。自分の都合でしかものを考えられない、この世で一番嫌いな女という生き物。私はそんな唾棄すべき人間と同種だった。自爆した沼女だ。
ホワイトデイの飲み会が終わった帰り道、私は蒼汰に駅まで送ってくれと頼んだ。
季節外れの雪が降り、寒々とした街並みの街灯が妙に暖かく感じられた。
蒼汰は変らない。飲み会も普通だった。むしろ私の方が耐えがたい贖罪に死にそうになっていた。
「琴奈、大丈夫? 飲み過ぎた?」
俯いて歩く私に彼の穏やかな声がかかる。
私は屹然と立ち止まると、右隣の彼の方を向き叫んだ。
「ごめんなさい! 私は嘘をついた!」
全力で頭を下げた。
視界には薄ぼんやりとした街灯の明りが、アスファルトに灯っていた。
「春斗が彩葉に告白するなんて嘘。私は蒼汰に酷い嘘をついた!」
駄目だ、上手く謝罪出来ない、言葉が出て来ない。
こんな言い方は卑怯だ。
己の行動を謝罪するのではない。彼の心を推し量り、傷付けた事実を認め、それに謝罪するのだ。私はこの期に及んで、己の罪だけを述べるだけなのか。情けない、私は嫌な女だ。涙が出て来る。
「……、琴奈。泣いてるの? なんで?」
「う、ぐっ、ぐっ、私が最低だから。私は自分が許せない。嫌な女だ」
駄目だ、自分の事なんかどうでもいい、蒼汰を見るんだ。
頭を上げた私の視界は涙でぼんやりするが、そこには蒼汰の驚いた顔があった。
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん」
拳を硬く握り締めて、子供の様な事しか言えない自分が情けなく、悔し涙がさらに溢れて止まらない。
すると、蒼汰は私の頭をポンと叩いた。
「じゃあ、これが仕返しで、もう終わり」
「そ、そんな軽いもんじゃない! そうだ、私を思いっきり殴ってくれ、気の済むまで殴ってくれ」
もう前後不覚に私は叫ぶと、急に蒼汰は空を指差した。
「ほら、雲の切れ間に月が見えてる。綺麗だね」
雪雲の隙間に、ぼんやりと輝いていた月が僅かにその姿を見せ、鮮やかな光を放っていた。
「琴奈が何を考えて嘘をついたか大体わかるけど、そんなに酷い事じゃない。例えるなら可愛いチワワが、玄関でおしっこをしちゃったみたいなものだ。僕はやれやれって思うだけ」
「私はおしっこを玄関ではしない!」
「そうだね」
蒼汰はわざとらしい比喩を使い、私を少しだけ怒らせる。
「あのさ、琴奈の嘘はカタカナのウソだから大丈夫」
「カタカナのウソ?」
「そう、ほら、漢字だとリアルだけど、カタカナにすると意味合いが薄れない? 誰も不幸にしない嘘はカタカナのウソ。気持ちは十分伝わった。逆にぐじぐじ言うなら怒るよ」
私は茫然としてしまった。
もう涙はとまっていて、彼に諭される自分が情けなくも恥ずかしいだけだった。
「蒼汰、ごめん……」
あの時垣間見た彼の寂しさは微塵もなく、ただ優しい瞳だけが夜空の月みたいに綺麗だった。
ふと見た近くの公園は、溶けた雪で土が濁って泥水みたいに汚くなっていたけど、天空の月の輝きを反射して、救われたみたいに澄んでいた。
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