第2話 トドカナイ
夜空の月は優しくて、切ない想いが留まる場所だと私は思う。
夜の海は寂しくて、隠していた想いが闇夜に揺れて、見えない悲しさが溢れた場所だと私は思う。
昼間の太陽は眩しすぎて、そんな私を拒むみたいにただそこにいた。
「春斗、なにやってるかなぁ、もう!」
「えっ? くつろいでるだけだろ?」
「だから、なんでポテチを床にこぼす! お掃除する私と琴奈に謝りなさい!」
「悪かったな、ふん!」
「可愛くなーい!」
私が癇癪を起すと、彼はすぐに掃除用具を取り出し、せっせと片付けを始めた。一応罪悪感はあるみたいだ。うん、これからもしっかりと教育しないといけない。
ここは部室。「いみじくもひとごこち」という謎のサークルに私は入っている。とは言え、活動は隠れた美味しいスイーツ店や焼き立てパンのお店を探索し、みんなでピクニックみたいに公園で食べ合う、そんなのどかなサークルだ。私はとても気に入っていて、とても大切に想っている。
「お疲れ~、って、えっ? 春斗が掃除? どうしたの、自分を見失った?」
今入って来たのは、春斗の親友の蒼汰くん。
控え目な男の子だけど、時々変な比喩を使ってみんなを惑わす。まあ、いい人っていうのは駄々洩れしてるんだな、これが。
「そこの暴君が酷いんだよ、蒼汰! お前からも何か言ってくれ」
「……どうせ、またお菓子をこぼしたんだろ。ほら手伝ってやるよ」
やっぱりいい人だ、この人、でもその前に。
「誰が暴君なのかな、春斗平民、くそ生意気な発言は斬首!」
私はそう言って春斗の首にチョップを加える。
「いたっ! そういう所だろ、平民いってるし。体罰すんな、訴えるぞ」
文句を言う割には、やり返したりはしない春斗。この人はとても優しい。
「ふふん、仕方ないなぁ、ついでに大掃除をしよう、ねっ!」
私は腕まくりをして、「ええっ~、マジかぁ!」という男子二人をこき使う。
こんな煌めく宝石みたいな時間が、いつまでも続けばいいのに……。
実は私は春斗が好きだ。そして拗らせ今に至る。
情けなくも大胆だけど、もう三回告白している。
一回目は「俺以外は真に受けるから、やめろ」と軽く流された。
二回目は「お前、そういうのいいから、行くぞ」と相手にされない。
もうやけくそになって、クリスマスの飲み会で弾けまくって、店の外の路地でゲロをゲーゲー吐いた最低の私は、介抱に来てくれた春斗に嫌がらせみたいに絡みまくって、そして三回目の告白をした。
「……好きです」
我ながら滅茶苦茶だ、胃酸で臭いよね、ムードも何もあったもんじゃない、もう顔もあげられない。
でも春斗は静かに聞いてくれて、ポツリと言った。
「……俺はお前の気持ちに応えられない」
いつも冗談を言って、そのくせこっそり熱いのに冷静で、私より遥かに大きくて優しい人。第一印象は「うわぁ、こんな人って、絶対女子がはまるタイプだ!」って思った。
男の子なのに指先は繊細で白い。時折みせるこの人のどこか儚げな表情が、私は少しだけ気になっていた。
それは私が部室の壁にコルクボードを打ち付けていた時だ。
「痛っ!」
ぶきっちょじゃないんだけど、トンカチを打ち損ね、釘が曲がって私の指を切り裂いた。慌ててティシュで血止めを行なおうとした私を、のんきにマンガを読んでいた春斗が見咎めた。
「おい、血が出てるじゃないか!」
「あっ、平気平気、ちょっと手元が狂いましたです、はい」
私が誤魔化す様に苦笑いを浮かべると、それまで見た事もない真剣な表情で春斗は立ち上がった。
「来い!」
「えっ?」
彼は唖然とする私の手を取り、早足に廊下に出た。
「ちょ、春斗、えっ?」
いきなり男子に手を握られてしまい、怪我の痛みよりもそっちの方がめっちゃ恥ずかしい。春斗はちょっと有無を言わさぬ雰囲気で、振り返りもせずにずんずん進んでいく。
そして一番近くの水道につくと、私の手を持って傷口を水で洗った。
他の学生が「なになに?」みたいな好奇の視線を向けるし、もう晒し者みたいで恥ずかしくて私は口をつぐんだ。
洗い終わると、春斗は綺麗な自分のハンカチで私の指を拭き、今度は学内の保健センターに連れて行かれた。結局私は大袈裟な包帯を巻かれる羽目となる。
「破傷風とかあるから、あんな錆び錆びの古釘をなめるな」
帰りの道すがら、とても真剣な顔でそう言われ、私は「うん……」とだけ答えた。
だってずっと春斗は私の手を握っていたから。あの優しくて繊細な白い指先が、まるで必死に何かから守る様に、私の手を包み込んでくれていた。
私は彼が見せた事のないその感情が気になって、それから急激に春斗を意識してしまう。吊り橋効果なのかな、違うか。こんな事で人を好きになるってあるの? ないよね?
でも意識すればするほど、彼がよくわかって来た。誰にも気がつかれない所で、こっそり人知れずに気を遣う。誰よりも周りの人間を気にして気を配って、その癖恥ずかしいのか、表面上はクールを装おう。
別に私に対しての態度は何も変わらない。変わったのは私の方だ。
「……俺はお前の気持ちに応えられない」
クリスマスの夜、初めて私の言葉を受け取ってくれた彼は、とても真剣に、そしてまるで罪を償う様に切なそうに言った。
私は酔っていたせいもあるけど、自分の中からこみ上げる想いを隠せず、彼の胸の中で声を上げて号泣した。
夜空から音もなくしくしくと雪が降っていて、なんで溶けてしまうのに雪はその想いを重ねて、懸命に積もるのかと切なくなった。
「あ~あ、蒼汰も付き合いが悪いな、めっちゃ写メで攻撃してやるぞ!」
「だね!」
バレンタインの飲み会の席で、サークルリーダーの清史郎くんと私の親友である琴奈が悪乗りし、欠席して妹さんと会っている蒼汰くんに嫌がらせをしていた。
自然、私と春斗が話す事になる。
「また飲み過ぎるなよ、彩葉」
「やだ、飲みたい時は断固飲む!」
「まったくこの酒好きがぁ、次は放置だな」
呆れる春斗は悪戯っぽく笑った。
あの後、私はサークルを辞めたりしなかった。ずるい言い訳をすれば、私が辞める事で春斗に責任を感じて欲しくなかったからだ。だから「平気だよ」と精一杯明るく言って、今日もこうして飲み会に参加していた。
「春斗、はい、チョコレート。みんなの分もあるからね」
そう断って、私は準備していた手作りチョコを春斗に渡した。
昨日蒼汰くんに渡した時に、味にうるさい彼でも「おいしい」と言ってくれた。まあ、半分は言わせちゃった感はあるけど、蒼汰くんはまずい時ははっきり言うし、多分大丈夫だ。
「彩葉」
チョコを渡された春斗が、マジ顔で私をじっと見つめる。ついドキドキしてしまう。
「こういうの、くそ重いな」
「ひ、ひどい!」
「うそうそ、ありがと」
そう笑ってリボンを綺麗に外すと、包装紙を破らずに丁寧に開いて無造作に一個つまんで食べてくれた。
彼のそういう所が、私は大好きだ。
ホワイトデイの前日、急に蒼汰くんに部室に呼び出された。
そこで、私はなんと告白されてしまった。
春斗の親友でとてもいい人の彼は、告白する時に何故か涙を流した。
私は瞬時に理解した。
この人は私が春斗を好きなのを知っている。
自分の想いがトドカナイ事も知っている。
そして、告白して私にフラれてきっとサークルも辞めて、親友と私の前から姿を消す気なんだとわかった。
気が付いたら私も泣いていた。
彼の切ない想いが、私の切ない想いと重なった。
思わず自分を抱きしめるみたいに彼を抱きしめ、私達は声を上げて泣いた。
彼は孤独な私の想いを、きっと誰よりもわかってくれた。
だから、泣き尽くしてお互いに苦笑いをした時にお願いした。
「蒼汰くん、サークルは辞めないで。うまく言えないけど、それは違うと思う」
私は涙と鼻水でぐしゃぐしゃな顔のまま訴えた。
きっとすごいブサイクから言われ、蒼汰くんが引くかと思った。でも、彼は少しだけ考えて、「……君がそう言うなら」と言ってくれた。
残酷なお願いだ。でも、私の直感がそうさせてはならないと訴えて来る。
「これは僕のポリシーに反する事だけど、彩葉だけに教える。お願いだから誰にも言わないで」
そう言って彼は春斗の秘密を教えてくれた。
春斗は高校二年の時に、当時付き合っていた彼女と死別していた。
私は驚いて声を失う。
蒼汰くんは詳しく語らなかったが、細菌性の病だったらしい。だから春斗は私が怪我をした時、あんなに真剣に動いてくれたんだ。
私はその彼女の気持ちを考えると、また泣き始めてしまった。
どんなに後悔を胸に秘めていただろう。どんなに残された人々を気にかけただろう。
そして春斗の事を考えると、これではいけないと思った。
私の事が好きでも嫌いでも、それはどちらでもいい、まあ、よくはないけど、でもいい。
死んでしまった想いに囚われて、いつまでも引きづるのはきっと彼女も望んでないはずだ。私みたいな部外者がどうこう言える問題じゃないかもしれないけど……。
それでも目の前で苦しむ人がいたら、お節介でも何でもいいから何かしてあげないといけない。
私は断固そう思う。
翌日のホワイトデイ。私は飲み会の前に春斗を呼び出した。
理由は簡単、取り敢えずメールで「決闘を申し込む!」と打って場所と時間を指定しておいた。
ここは公園だ。外周はジョギング出来る程広く、私達サークルはよくここでプチピクニックをしていた。ただし!
「さ、寒い!」
私は馬鹿だった。昨日からの雪が薄っすらと積もるわ、風は冷たいわ、貼るカイロがまともに効かないわ、もうしくじったなぁ。そして鼻をすすりながら待っていると、背面から声がかかった。
「お前、これ絶対に嫌がらせだろ、寒すぎ」
春斗だった。
そう言った彼は、おしるこの暖かい缶をひょいっと私に投げてくれた。
「で、お前は何がしたいんだよ」
速攻で缶のタブを開き、ぐびぐびと幸せに飲んでいた私はハッとした。
そうだ、今日は決闘なんだ。
私は気合を入れ、大きい声を出した、恥ずかしくなんかない!
「私は春斗が好きです!」
もう一度はっきりとそう宣言した。
「ああ、知ってる」
春斗は一切動揺もせず、普通に私を見ている。
こ、こいつ流石に4回目だと慣れて来ているな、悔しいぞ、私は。だがまだだ。
「それと! 春斗が恋人と死別した事も聞きました!」
私がそう言った瞬間、憎らしい程クールだった春斗の顔が一気に変わった。
悲しみとも怒りともはがゆさとも言えない、そんな複雑な表情だった。
「……蒼汰が言ったのか!」
激昂しかけた春斗に私はさらに言った。
「そんな顔したって、無駄だよ」
「……」
春斗はプイっと顔を背けた。
「俺は帰る。今日の飲み会は急用で不参加だと言っておいてくれ、じゃあな」
そう吐き捨てる様に言うと、身を翻して歩き始めた。
私は慌てて彼の前に行き、両腕を精一杯広げると、通せんぼをした。
「駄目! 帰らせない!」
「どけよ、お前と話す事なんかない!」
「私にはある!」
私は春斗をこれ以上ないってくらいに睨みつけ、そして叫んだ。
「私は別に春斗に立ち直れとか、可哀そうだねとか、私がいるからとか、そんなくだらない説教や同情や、ましてや慰めなんかは絶対にしない!」
「じゃあ、なんだよ!」
「いいから、一発殴らせろ!」
「はぁぁぁ!」
私はそう言うが速いか、びっくりしている春斗の顔面をグーで殴り、ついでに胸や腹もボコボコに殴り、とどめに蹴りを放った。
まあ、非力な私だからダメージは一切なく、春斗は呆れる様に立っていた。
「一発じゃないだろうが……」
不貞腐れ気味に春斗はそう言った。
「つい、楽しくて」
私は頭をかきながら笑った。
「で、これがお前の話しなのか?」
「そうだよ、しょげて情けない私の大好きな人に喝を入れたの!」
「……酷い話だ」
そう呟くと春斗は力なくペタンと座り込んだ。私もその前に座る。
芝生は雪が残りとても冷たい、コートが汚れるけど構わない。
「あ~あ、俺はとんでもない奴に目をつけられたな」
そう言うと春斗は急に声をあげて、馬鹿みたいに笑い始めた。
ひとしきり笑った春斗はニカッと微笑んだ。
「顔が一番効いた」
「あっ、ごめん」
私はそう言って、慌てて彼の頬を撫でてやった。
春斗はされるがままに、とても優しい瞳で私を見つめてくれていた。
空から止んでいた雪がちらほらと遠慮気味に降って来る。
私達は寒くて震えていたけど、それでも冷たい雪がふれると、儚く溶けてゆく。
冬の雪はいとおしく、忘れていたトドカナイ想いが、そっと寄り添うように降っていた。
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