ちっぽけな心
昼休みが終わり、桃花は職場へ戻った。
自分の席に着き、ヘッドセットを装着する。
(怖い)
お客様は怖くない。怖いのは身内だ。
まるでちょっとでもオペレーターから目を離したらオペレーターは受電をサボると思われているかのように、わたしたちの周囲を歩き回って様子を見ている先輩たちの気配は鋭い。
(まあこの部署、クレーム対応メインだもんなー。そりゃ目つきも鋭くなるか)
でもわたし、見られると緊張して集中力どっか行くから見ないでくれた方が仕事は進むんだけどな。
でも仕方ない。ここはそういう職場だ。ここにいるのは“それが普通”とすりこまれた人たちだ。
怖いな。
けれどせめて電話の向こうにいる人には「ここの窓口に連絡してよかった」と思ってもらえるような対応を。
さあ、始めよう。
「お電話ありがとうございます、〇〇〇株式会社の白石でございます」
桃花は精一杯の笑顔で挨拶をした。
何件目かの重いクレーム。
「――――〇〇様の仰る通りだと思います。大変申し訳ありませんでした」
深く頭を下げた。当然だ、これは完全にこちらの落ち度だ。
お客様は何も悪くないのに、困らせ、こうして無駄な時間を取らせた。
すると、電話口の向こうの剣呑な空気が少しだけ和らいだ。
『・・・貴女が悪い訳じゃないって、分かってはいるんだけど・・・』
それを聞いて、桃花はちょっとだけ泣きそうになった。――――分かってくれている。
たまにこうして怒りながらもこちらの立場に理解を示してくれるお客様がいてくれて、その度に泣きたくなる。
涙をこらえながら、桃花は必死でその案件について案内を進めていった。
一件一件心を込めて対応して、就業時間をようやく終えた。
『これから評価が低い人は給料が下がります。稼ぎたかったら早出・残業をしてね』
これがこの会社の意思だが、桃花はもう体力も精神力も限界だった。残業なんてとんでもない。
(人手が足りない人手が足りないって言うけど、そんな事していたら人は離れていくばかりなのに。どうして上は気付かないんだろう)
トイレに貼ってあるポスターには
『~お友達紹介キャンペーン~
あなたの友達が入社したら、あなたと友達に〇円プレゼント!』
とあったが、
(こんな所に誰が大事な友だちを呼ぶか馬鹿野郎)
と思ったものだった。
この会社は、どこかおかしいと思う。
思うが、生活していく為に辞める事はできなかった。
(・・・帰ろう)
桃花はくらくらする頭を何とか堪えながら職場を出た。
帰りのシャトルバスには知り合いはいなかった。その事に桃花はちょっとほっとした。
職場で人の悪意にさらされる内に、何となく人と関わる事が怖くなってしまった桃花である。
(人の心って、何だろう)
バスに揺られながら思う。
楽しい、悲しい、嬉しい、怒り、憎しみ。
他者に悪意を向ける人は、どんな気持ちなのだろう。分からない。
(ああ、でも)
わたしも他者を傷付けた。
何度も、傷付けた。
泣かせてしまった事もある。
(あのときの、わたしの気持ちは)
――――自分の弱い心を守るためではなかったか。
「これ以上傷付きたくない」という、ちっぽけな心を守るために、わたしは。
(誰だって傷付きたくないよな)
わかるよ。
でも、もうわたしは誰かを傷付ける事はしたくないよ。
(だって)
傷付いたらとっても痛いと、よく知っているから。
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