「さっきはごめん。」

だっちゃん

「さっきはごめん。」


 「無礼な人間がいるわけではない。無礼に扱って良い人間がいるだけだ。」

 そんなことを言ったのは誰だっただろう。たまにこの言葉を思い出しては、それこそ正に自分のことだと思い到る。

 先日デートをドタキャンして音信不通になってしまったあの子もきっと、大事な人が相手だったら無断で約束を反故にするようなことはしなかっただろう。

 しかしそうやって私のことを粗末に扱う人間は、異性としての優越的な立場を前提にしているのであって、喩え女であろうと友人たちにとっての私はそうではない、と思っていた。だからこそ、少ないながら友人たちのことは私なりに大事にしてきたつもりだった。



 ナギサとは3年前、社会人になって間もない頃に出会いアプリで知り合った。

 国際協力関係の団体で働いていて、それなりにインテリの仕事をしていた。結局付き合うことはならなかったけれど、たまに合コンに誘ってくれることもあったし、職場が近かったから二人で飲んだりすることも度々あった。

 出会ってからしばらくして彼女が結婚したときには、ナギサの婚活卒業を二人で祝った。

 それ以来疎遠になった。お互いフルタイムで働いている以上、基本的には夜しか空いていない。既婚者となったナギサと二人で夜に会うことは憚られたし、といって共通の友人がいるわけでもなく、また無理に会う理由もさして見当たらなかった。

 月日が流れ、LINEの通知に見覚えのあるアイコンが現れたのは先週のことだ。


「ナギサだよ、最近どうしてる?未だ独身なの?たまには飲もうよ。」


 最後に会った日に飲んだお酒は美味しかった。何年も疎遠にしていたって、きっと時間が止まった関係性のまま楽しく話せるだろう。そして何より誰の特別にもなれない身のすさびには、友人が誰かと話したい夜に指名してくれることの有難さをある種の救いのように感じた。

 錦糸町駅から徒歩数分のところにあるビル地下のおでん屋で待ち合わせ、久しぶりに再会したナギサに海外出張のお土産を手渡した。


「相変わらずマメなのねぇ。」


そう言って笑うナギサは、少し髪型が変わっていたくらいで3年前のままのように見えた。

 梅酒で乾杯し、没交渉だった間の近況を報告した。

婚活のアポを五連でドタキャンされたこと、せっかくホテルに連れ込んだ女の子に逃げられたこと、拙い事業を興し損ねたことで多額の借金を抱え首が回らなくなってしまったこと、その他あれやこれや。今となっては笑い話だけれど、考えてみると散々な人生を送っているのだった。促されるまま私が話している間、ナギサは手を叩いて笑っていた。


「何か、おれだけ喋ってない?」


 気が付いてそう訊くと、「うーん。」と唸ってナギサは言った。


「実は私、こないだ離婚したんだよね。姑との関係がうまく行かなくてさ。」


 そこからいかに姑が図々しくも新婚生活に介入してきたのか、いかに元旦那が姑の肩を持ち自分のことを蔑ろにしてきたのか、とそういう話をナギサがする間、私はいぶりがっこをつまみに酒を飲んだ。幸いなことに子供がいないから、さっさと次に進みたいと思って離婚を決断したんだという。


「まあまあ、私まだギリ20代だからさぁ~。」


 そういって私のいぶりがっこを取り上げた。「あ、お前!」というと、ナギサは「ふふふ。」といって笑った。


「あのね、アナタが相変わらず不幸で何かほっとしちゃった。私、自分より不幸な人を見て安心したいって思ったんだ。」


「自分の方がまだマシだと思ったでしょ。」


「予想通りで笑ったよ。アナタは本当に幸せにはなれないねぇ。」


「難しいね。一応アポは頑張って作ってるんだけどさ。」


「諦めた方が良いよ。今日バレンタインのチョコ持ってこようかと思ったんだけど、勘違いされても困るし、やめた。」


 そこからいかに私の男として至らないかについて滔滔と語り始めるナギサを尻目に、私は段々疲れて眠くなってきてしまった。



 ナギサからおよそ半額分のお札を受け取りレジで会計している間、ナギサが私の斜め後ろから話しかけてきた。


「ありがとう、付き合ってくれて。」


「いいよ、そういう日もあるから。おれにもあるし。」


「私がアナタなら、とっくに死んでるなって思ったわ。」


 「そういう風に思われることには慣れてるよ。」と言おうとして、踏み止まった。目を合わせていなくて良かった。


「ねえねえ、もう一軒いかない?」


「ナギサ、自分の顔トイレで見た?真っ赤だよ、今日はお開きにしようよ。おれはまたいつでも付き合うから。」


「アナタには彼女できないからね。借金もあるし!」


「うるさいんだよ、早く帰れ酔っ払い。」


 彼女は酔ってはいたけれど、決して顔が赤くなんてなってはいなかった。ただもう、一緒にいるのがどうしようもなくしんどくなってしまった。ナギサを改札に送り出してから、そのまま一人で立ち飲みのバーに入って電子書籍をしばらく読んでみたけれど、あまり内容は頭に入ってこなかった。


 彼女にとって、かつて確かに私は友人だったんだろうと思う。以前は今夜のように私の不幸をいたずらにあげつらうことも、私の不幸を期待して話を聞きに来るようなことも無かった。

 今では感情を吐き捨てるだけのただのゴミ箱で、自分の方がマシなんだと思う為の身近な物差しに過ぎない存在となってしまった。誰かに気持ちを吐き出したい、そして誰かの人生のいたらなさを責め上げたい日もあるかもしれない。けれど、失えない相手には言い留まるものだろう。

 そして私を責め上げる思いつく限り全ての言葉を口にしたとき、きっとナギサは解っていたはずだ。

 私がもうこれ以上友人を失いたくないと思っていること、だから何を言っても許されるであろうこと、そして最悪私との関係を失うことになったとしても、数年疎遠な男友達を一人くらい失ったところで痛くも痒くもないということを。


 苦し紛れにLINEの名簿をスクロールしてみたけれど、私には思うまま責め上げ感情を吐き出していい相手なんて、つまるところ私の方から失って良いと思う関係なんてないのだと判った。とそのようなことを相手に気取られてしまうから、今日のナギサがしたように私はただ感情を吐き捨てるゴミ箱となるしかないんだろう。

 つまり誰の特別でもないとはそういうことだ。自分が誰かの特別な存在だという自負があるから、自分のことを粗雑に扱う誰かを容易く切っても孤独にならないと確信していられるのだ。私はそうではない。

 傷付くことがイヤだったら、孤独に生きるしかないのだと思った。


 スマホを見ると、「また飲もうね!」とナギサからLINEが来ていた。「早くお休み。」と返事をし、彼女の名前をLINEから消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「さっきはごめん。」 だっちゃん @datchang

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ