3
ようやくここにきて、なぜ突然リフィの父親が婚約解消を言い渡したのか分かった。
全部、俺のせいだったんだ。
父親にしてみたら、ちゃんと娘を愛して大切にして、互いに理解し合うために努力を惜しまない男を伴侶に迎えたいと思うに決まってる。それなのに、俺の態度ときたら。
無様な姿を見せたら嫌われるんじゃないかとか、カッコ悪いとか恥ずかしいとか、そんなことばかり言って。好きだという気持ちも伝えず、のうのうと五年もの間リフィを不安にさせて。
普通の婚約者同士なら当然のようにデートをして、たくさん互いのことを話して理解を深め合って、そうやって関係を作っていくのに。その努力もろくにしてこなかった。
考えれば考えるほど、不甲斐ない。だめな男だと思う。情けなくて自分をぶちのめしたい。
でも、ようやくそのことに気がついた今。
じっとなんてしていられなかった。
「会いたいんなら、はじめからこうして会いに行けば良かったんだ! 今まで何やってたんだ、俺」
メリルは、リフィの屋敷を目指してひたすらに駆けていた。
馬車を使えば良かったのだろうが、あいにく屋敷の馬車は出払っていた。町で辻馬車を見繕おうにも、待っている時間さえもったいなかった。
とはいえ、リフィの屋敷まではなかなかの距離がある。
さすがに早計過ぎたかと、後悔し始めていたけれど。
「じっとしてられないんだから、しょうがないよな。だって、もううじうじと引きこもるのは止めにしたいんだ……!」
婚約を一方的に解消されてリフィとまともに話すことも叶わず、ひとりで不貞腐れて屋敷に閉じこもって。
会いたいと言いながら、拒否されるのが怖くて一度も会いに行こうとさえしなかった。
そんなばかな意気地なしの自分を、殴ってやりたかった。
「リフィは会いたくないかもしれないけど、……こんなヘタレな俺なんかと婚約を解消できて、清々してるかもしれないけど……。でも、会いたいんだ! どうしても……はぁ、はぁ。最後くらい、ちゃんと顔を見て自分の気持を伝えないと……!」
リフィの屋敷まで、あと少し。
もう息も絶え絶えだけど、あと少し頑張ればリフィに会える。そう思うと、重いはずの足が一気に軽くなる気さえする。
「はぁ……はぁ……はぁ……。っく……ふぅ」
すっかり上がった息を整え、久しぶりに見るリフィのいる屋敷の外観を眺めた。
きっとこのまま玄関から訪問しても、リフィには会わせてもらえないだろう。婚約解消してからも絶対に会いに来るなと、幾度となく念押しされているくらいだから。
でもそれも、自分の身から出た錆だと思えば仕方ない。
でも、リフィが何かの用事で外に出かけるのを屋敷の外からじっと待っているくらいは許してほしい。だってこうでもしないと、リフィに会う方法なんてもうないんだから。
もちろん見つかったら、間違いなく追い返されるか犬でも仕向けられそうだけど。
メリルはようやく落ち着いてきた息を潜め、少し離れた木陰へと身を潜めた。
「リフィ……。屋敷にいるのかな。どこかへ外出するタイミングとうまく合えばいいんだけど……」
今日リフィが外出するとは限らない。明日も明後日も、出てこないかもしれない。
でも今日がだめなら明日もくればいい。リフィに会える可能性がわずかでもあるのなら、それに賭けたい。
祈るような気持ちで、リフィの部屋の辺りを見つめる。
どうか姿を見せてくれ、と願いながら。
そうして身を潜めること、しばし。
なんと神は、いや――女神は味方をしてくれたらしい。
ずっと恋い焦がれていたその姿に、俺はうっかり泣きそうになった。
リフィが、使用人と言葉を交わしながら屋敷から出てくる。
屋敷の前に屋敷所有の馬車が止まっているところを見ると、これからどこかへ出かけるつもりなのだろう。
買い物にでもでかけるのかな。なんて考えながら、必死に目をこらす。
そして、今まさに馬車に近づこうとこちらを向いたリフィの姿に、思わず息をのんだ。
まずい。感激のあまり、鼻血を吹きそうだ。
この嬉しさの極地に陥るとすぐに鼻血を吹く癖を、なんとかしたい。
普段着よりも少しおめかししているかな、くらいのよそ行きの格好をしたリフィはあいも変わらずかわいくて、ふんわりとした若草色の地に白いレースが施されたワンピースを身につけていた。一瞬浮かんだ笑顔がまるで花のようで、胸がぎゅっとつかまれた気がした。
できることなら、今すぐにかけ寄って話しかけたい。
あの時のことを謝って、もう一度やり直すチャンスをくれないかと土下座したい。
でも、そんなことをすればリフィを困らせるだけだ。
リフィの父親に会うことを禁じられているのだから、俺が強引に会いに行けばもめるに決まっている。そんなことになってつらい思いをするのは、リフィなんだ。
なんといっても今の俺は婚約者なんかじゃないどころか、友人ですらないんだし。
となると父親の姿がないところで、リフィに話しかけるしかない。行き先さえ分かれば追いかけることもできるけど、あいにく相手は馬車で俺は足というハンデがある。当然追いつけっこない。
やっぱり馬車を拾ってくるんだった……と自分の衝動的な行動を後悔していた時だった。
見かけたことのないひとりの青年が、リフィに近づくのが見えたのは――。
「あの男、誰だよ……」
口からつぶやきがもれた。
年や背格好は、多分自分と同じくらいだろう。
やたら親しげにリフィに話しかけ、リフィもそれに笑みを浮かべて何か答えているのが遠目でも分かる。その上、馬車に乗り込もうとするリフィの手をさりげなく握り、支えてやっていて。
そのあまりに近すぎる距離に、気付けば俺は拳をぎゅっと握りしめていた。
なんであの男、リフィの手を握ってるんだ。何者だ?
リフィには兄はいないから家族であるはずがないし、家族じゃないにしてはあまりに距離が近すぎる。
気がついたら、向こうから気づかれるかもしれないのに大きく身を乗り出していた。
そして、男はこともあろうにリフィと同じ馬車に乗り込むと、二人を乗せた馬車は動き出した。
呆然とする俺を残して。
「なんだよ……。なんなんだよ……。リフィ、その男は一体、誰なんだ……」
嫌な想像しか浮かばない。
もうリフィは婚約者がいない身なんだ。だとしたら、次の婚約者探しをはじめたって、全然おかしいことじゃない。
だけど――。
思いもよらぬ光景に衝撃を受け、その場に立ちすくんだまま身じろぎ一つできなかった。
きっとリフィは気づいていないはずだ。俺がここにいたことに。
今頃俺がのこのこ現れるなんて、きっと想像もしていないだろうし。
だから、きっと一瞬リフィの目がこちらに向いた気がしたのは、しかもその直後にリフィがぱっと顔を背けた気がしたのは、きっと気のせいだ。
俺がいるこの場所は屋敷からは離れているし、こんな茂みに誰かが隠れているなんて考えもしないだろうし、見つけられるはずがない。
だから俺がこんな今にも泣きそうな情けない顔をしていたことは、リフィは永遠に知らないはずだ。
リフィが最後に見た俺の姿がそんな情けない姿じゃなかっただけ、まだマシなのかな。
そんなことを考えながら、俺は去っていく馬車を名残惜しそうに見つめることしかできなかった。
「リフィ……」
口から、大好きなリフィの名前がぽろりとこぼれた。
絶望が鉛のように体にのしかかってくるような気がして、俺はただこれからどうしたらいいのかをぼんやりと考え込んでいた。
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