2章
1
「おい、どうしたんだ。メリル」
トリアスの声に、はっと顔を上げた。
「ん?」
「いや、なんか急にきょろきょろしだすから何かと思って」
訝しげな表情を浮かべる友人の顔をみやり、ごくり、と息をのみ込んだ。
気づけば、雑多に人が行き交う町の大通りに立っていた。目の前にはあの時と同じ友人たちの顔ぶれが並んでいる。
ということは――。
間違いない、あの日あの時間にちゃんと戻ったんだ。
「本当だったのか……。女神が言ってたこと……」
「ん? 女神……? メリル、お前突然何言ってるんだ?」
手鏡はどうやら本物、ということはつまり女神も本物だったということらしい。
正直ここにきても、まだ半信半疑だったんだけど。
驚きのあまりそんなことを思っていたら、そのまま声に出していたらしい。
トリアスがいよいよこいつ大丈夫か、と言いたげな顔でのぞき込んでいる。
「ははっ。いや、本当になんでもない……」
慌てて取り繕うように首を振って、へらりと笑ってみせる。
「……大丈夫。本当に平気だよ」
周りを見渡せば、ガーランとリードもいる。
まだのんきに学校の話なんかをしているみたいだし、どうやら例のあの会話はまだ議題にも上がっていないらしい。
いっそ婚約者についての話なんて誰も触れなければ、何の問題も起きないんじゃないか。そう思って、ちょうど通りの向こうに見えた屋台で売っている食べものの話にでも誘導しようと口を開きかけた。
けれど。
「なぁ、この中で婚約していないのってリードだけだよな。お前たちの婚約者ってどんな感じ?」
遅かったらしい。
始まってしまった。あの時と同じく、それぞれの婚約者についての話が。
「俺の婚約者はめちゃくちゃ美人だよ。それに頭もいい。でもさ、ぱっと見非の打ち所のない令嬢って感じなのに、時々うっかりミスとかしてさ。その時の恥ずかしそうな顔がかわいくてさー」
デレデレと顔を緩ませてガーランがそう言えば、今度はトリアスが口を挟んだ。
「俺の相手は、まぁ……、一言で言って物静かな癒やし系かな。一緒にいると落ち着く感じの。向こうも趣味が学問研究だから、組み合わせとして悪くないと思ってる」
トリアスは銀縁の眼鏡がトレードマークの、ぱっと見ちょっと人を寄せ付けない冷たい印象を与える男だ。
でも実際の性格は、穏やかで物静か、三度の飯より何より学問が好きという万年首位の優等生でもある。
つまりは婚約者と似た者同士、ということなのだろう。
「あ、俺の話も聞いて! 俺の婚約者は幼なじみだからさ、もう家族みたいな感じなんだよな。ちょっと刺激が足りない気もするけど、世界で一番俺のことを分かってくれてるって感じでさ。そういうの、悪くないよな」
そう言って少し照れくさそうに笑ったのは、ジーニアだ。
ジーニアの領地は王都から少し離れた牧歌的な地域にあり、農産物を主な収益としているらしい。
そのせいかジーニアものんびりマイペースな性格で、ある意味癒やし系とも言える。
婚約者もまた、そんなジーニアの良さを存分に理解しているのだろう。
まぁ、なんだ。つまりはどいつも、自分の婚約者にべた惚れってことで。
その中で一人だけまだ婚約者が決まっていないリードだけは、少々おもしろくなさそうな顔で口をとがらせていた。
「お前は? どうなんだ、えっと……リディ、いや違う。リフィちゃんだっけ? うまくいってるのか?」
ガーランにそう尋ねられ、思わず背筋を伸ばした。
いよいよだ。あの時もこんな流れで、リフィの話になった記憶がある。
ということは、このあとまもなくリフィがーー。
「えっ……と。そうだな。リフィは……」
どうしよう。
今まさに背後からリフィが近づいているかと思うと、緊張と嬉しさで震えが止まらない。だってもう五ヶ月も会ってないんだ。
ずっと会いたくて会いたくてたまらなかったリフィが、後ろにいる。そう思うと、振り返りたいような、怖くて振り向けないような。
動揺するあまり、頭が真っ白になっていくのが分かる。
リフィのかわいさをこれでもかというくらい熱弁を奮うつもりでいたのに、ただひたすらに好きだという言葉しか浮かんでこない。
「えっと……だから、リフィはお、大人しいけどすごくいい子で、あと字がきれいで……あとは……」
だめだ。しどろもどろなどうしょうもない言葉しか出てこない。
これじゃ前と全然変わらないじゃないか。
これであの時と同じようにリードがまた不用意な爆弾発言をしようものなら、同じことの繰り返しじゃないか。
焦ってなんとか取り繕おうと、俺は口を開いた。
「とにかく、だからリフィは誰よりもかわい……!」
けれど。
リードの言葉に、俺の声はかき消されていた。
「へぇ。まぁ所詮は、家同士の政略みたいなもんだもんな。てっきりメリルも、他の奴らみたいにぞっこんなんだと思ってたよ。けど、違ったんだな。意外だったよ」
そして、背後から聞こえるガシャン、という音に、俺は絶望的な気分で振り向いた。
「リフィ……! 違うんだっ、今のは……」
あの時と同じく、両目に涙をいっぱいにためて走り去るリフィ。
その背中に手を伸ばしたけれど、今回もやっぱりリフィの父親の妨害にあい、あの時と同じ結末を迎えたのだった。
気がつけば、現実に戻っていた。
自室の床に突っ伏したまま、動けない。
何も変わらなかった。
ほんの少し口に出した言葉が違っただけで、まったく同じ展開、同じ結末だ。
せっかく過去に戻ったのに何の意味もなかったんだ、と打ちひしがれる。
「敗因は……久しぶりにリフィに会えて、つい舞い上がっちゃったことだよな。やっぱり……」
深く長いため息を吐き出した。
少し考えれば、十分に予想できたことではあった。
会えなくなってからずっと、寝ても覚めても夢ですらみてきたんだ。リフィのあのかわいらしい微笑みを。
そのリフィが近くにいるなんて思ったら、舞い上がって頭が真っ白になるくらい予想できたはずだ。なのにそんなこと考えもつかなかったなんて。
それによくよく考えれば、俺はリフィのことを驚くほど知らない。
どんな食べものが好きでどんな本を読むのか。ダンスは得意か、何をしている時が一番楽しいか、とか。
会話らしい会話も満足にできたことなんてないんだから、当然だ。
そんな俺がリフィがどんな子か、なんて端から語れるわけもなかったんだ。
今さらながら、自分の体たらくにうんざりする。
「確かに、リフィの父親の言うとおりなのかもしれない……。俺は、リフィには不相応なのかもしれない。こんなどうしょうもない男なんて……。リフィにはもっと気の利くおしゃべりが上手でスマートにエスコートできるような、そんな男が似合いなのかも……」
そんな男がリフィの隣に並んでいる光景をふと想像して、地面にめり込みそうになる。
「でも……俺は……。俺はどうしても……」
自分にはリフィはもったいない、そう思ったってこの気持ちは消せない。
どうしたって、好きなんだ。リフィのことが。
あのふわりとしたやわらかい微笑みも。ちょっと遠慮がちで小さめな、でもとても優しい声も。小さなほっそりとした手も。
困った時に眉毛がひゅっと下がって、首をこてん、と傾げる癖も。何もかもが好きなんだ。
もしここであきらめたら、リフィは本当に他の男と婚約して結婚してしまうかもしれない。今この瞬間にだって、もしかしたら他の男が近づいているかもしれない。
俺は、がばっと立ち上がり拳を握りしめた。
「……まだあと二回ある! まだたった一回目だ。あきらめるのは早い……! 次こそやり直してみせる。絶対に……!」
今度こそ過去を書き換えてみせる。
そう意気込んだ俺が取り出したのは、これまでにリフィとやりとりしてきた、大量の手紙の束だった。
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