最終章「それぞれの愛の形」

第五十話「地獄の大穴での最期」

 すかさず、伯道上人が炎獄鬼の足元に地獄の大穴を開ける。

 炎獄はバランスを崩して足を踏み外した。

「くそ、おのれ…!」


 炎獄鬼は片手で宙ぶらりんになり地獄へ落ちそうになっている。

 穴の中は雷鳴が、とどろき恐ろしいうなり声がこだまして聴こえてきた。


『ウオオーン……』

 いつの間にか無数の亡者が現れ、炎獄鬼の足の下にむらがっている。

 炎獄は、亡者の群れを炎で焼き払った。

 焼け焦げ、奈落の底へと落ちてゆく哀れな亡者の群れ。



 その時、自我じがを無くしているはずの美朝が茂みから突然現れ、炎獄鬼を追って穴に飛び込んだ。

 落ちないように片方の手で美朝の手をつかむ。

「み、美朝……! 正気にもどったのか!?」

 炎獄鬼はこれまで、見せたことのないようなやわらかな笑みを浮かべ

 美朝を引き寄せて、抱き締めほうようした。寄り添う二人。


 炎獄鬼は、洞穴ほらあなのある大きく岩が突き出した場所を見つけ

 それ以上、落ちないように美朝とそこにとどまった。

 しかし、今度は地獄の穴の奥から地獄の役人達が現れ、炎獄鬼の足を掴んで地獄へ引きずり込もうとした。


「くふふ。こいつらを食わせれば。美朝は完全に戻れる!」

 美朝を抱き、激しく役人達と戦う炎獄。

 しかし、美朝は炎獄を力いっぱい押さえつけた。


「何をする。美朝!もう少し、もう少しなのだ! 俺はお前を戻すために!!!」

「あ…ナタ。もうイイノ。モういいのよ」


 その声は、すでに人のものではなかった。

 だが、美朝は炎獄鬼の罪をうれい涙を流した。


「篁、俺達も行くぞ!」

「ああ、解っている」

「なに!? お前達だけでは行かさぬ!私もゆく! 篁はともかく。生身のお前が冥府めいふへ落ちて、ただで済むはずがなかろう」


 晴明が驚いて、道満の肩をつかんだ。

「バカヤロウ! お前には美夕がいるだろ! 美夕を、俺の妹を悲しませるな!」

 道満は、初めて鬼の形相で晴明をどなった。

「道満……」


 道満の、その言葉を聴き晴明は、身が引き締まる思いがした。

「ははっ。お前、なかなか、男らしいじゃないか!見直したぞ」

 篁は嬉しそうに笑った。


 道満は、美夕を見つめて、頬を愛しそうにさすりながら胸のうちを明かした。

「俺は、美夕ちゃんが好きだ! 腹違いの妹だとしても愛してるよ!」

「私も大好きです。道満様っ」

 涙でむせび泣く美夕。


 道満は、美夕の肩に手を置き、腰をかがめて口づけをした。

 美夕をいつくしむような優しい口づけ。

 唇が離れるとふたりは、お互い照れて顔が真っ赤になった。


「ごめん、美夕ちゃんの唇を」

「いいえ、いいえ……私は」


 美夕は、目を真っ赤にして、首をふるふると横にふった。

「お願い! 行かないで。兄さまあっ」

 これで、今生こんじょうの別れになるかもしれない。


 美夕は道満に必死で、すがりつく。

 道満は美夕の頭を優しく撫でた。

「俺が行かないと、ダメなんだよ。美夕、解ってくれな」

 涙をこらえながら、くしゃくしゃの顔で精一杯、微笑みかけた。


 美夕は辛そうにはいと承知した。

 その様子を見ながら篁はかつて、自身も禁忌きんきを犯し、おのれの腹違いの妹を愛したことを思い出していた。


「兄は辛いな……風太」


 そうつぶやくと、篁も穴に飛び込む準備をする、

 雪花の魂を体から出し晴明に渡す。

「これは氷獄鬼…オレの恋人、雪花の魂だ。信じて、お前に預ける。お前がこいつに新しい生を与えてやってくれ」

「ああ、承知した」


 蘇生した際、篁に美夕と共に、事の次第を聴いていた晴明は篁の頼みを聴いた。

 そして、篁は晴明の耳にそっとささやいた。

「なに!? 私は罪人ではないだと? どういうことだ。それに、帰って来られないかもしれないだと」


 篁はポンと晴明の肩を叩いた。

「すまんな、晴明! 色々世話になる。もし、運が良かったら改めて話す!」


「行くぞ! 道満!」

「おう!」



 ◇◆◇

 二人は、晴明と美夕に笑いかけると大穴に飛び込み

 炎獄鬼を押さえつけ、地獄の方に引きずり込んでいく。


 変化の反動で、地獄の魔気に耐えられずに怨霊となりかけている

 炎獄鬼を篁と道満が押さえつける。


「巻き込まれるぞ! 早くこの穴から離れろ――! こいつは、オレ達が何とかする!」

「晴明ちゃん、美夕ちゃんを大事にしてよ!美夕ちゃん。晴明ちゃんと幸せにね。」


 篁は、晴明と美夕を取り込もうとする。地獄の穴を自身の能力で必死に抑え込もうとしている。

 道満は、最後まで人の良い笑顔と想いを残して。穏やかに晴明と美夕に笑いかける。

 炎獄鬼の傍らには、押さえつけながらも母、美朝が寄り添っていた。


 ゆがんだ愛情を持つ夫でも、彼女は純粋に愛していたのだ。

 美朝は顔を上に向かってあげた。


「ゴ……めんね。ミユウ。アリがト…ウ。オンみょうジさま」

 美朝の、最後の言葉を晴明と美夕は聴きうなずいた。

 美夕ははらはらと涙を流した。

 美夕は胸に秘めていた言葉を舌にのせてみた。


「母様。母様は、幸せでしたか? あたしはそれが気がかりだったの」

 美朝は笑顔でうなずいた。

 美夕は涙で目の前が曇った。急いで涙をぬぐう。


「母様、ありがとう。あたしは、いつまでもあなたの娘です。

 そして、父様あなたがたとえ、どんな人でも私にとってはたった一人の父様です。」

「篁様、道満様も地獄のお役人様方も。父と母をよろしくお願い致します」


 その娘の言葉に、炎獄鬼の苦痛にゆがんだ顔が、一瞬反応したように美夕には見えた。

 美夕は篁と道満、役人達に向かってふかぶかとおじぎをした。


 晴明は、大罪人とたくさんの混血を食った人間がどんな、罰を受けるかを篁に聴いて知っていた。

 だが、美夕のためを思い言わなかった。


 これからの、罪を償う美朝と炎獄鬼を、母親を二度亡くすことになる美夕の苦しみを思い、胸を詰まらせた。

 そして、これから冥府で待つであろう。道満と篁達の闘いの勝利を祈った。


 ――篁、道満。美朝殿の事を頼んだぞ!――


「道満、篁! 私と美夕はいつまでも、待っている……別れの言葉は言わない! 無事に帰って来い」


 晴明は、万感の思いを込めて、道満と篁達に呼びかけた。

 晴明と美夕は、急いで穴から離れると伯道上人がしゅを唱えた。

 地獄の大穴は、地響きと共に凄まじい音を立てて閉じていった。

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