第十九話「最愛のひと」

 美夕は静かにふすまを閉めると、

「白月さん、篁様。ありがとうございます」と頭を下げた。

「私も手伝います」

 晴明の傷に白月と薬を塗り始めた。

 晴明の肉体は、鍛えられた身体で適度な筋肉が付いていた。

 試練で付いた傷の他に傷がいくつもあり、陰陽師の仕事の過酷さが伺えた。



 包帯を巻き終えると、美夕に白月が言った。

「美夕ちゃん……晴明様。うわ言で貴女の名前をずっと、呼んでいらしたの。

 貴女のことを余程、心配なさっているのね。

 ね、美夕ちゃん。晴明様の手を握っていて差し上げて?きっと、目を覚ましてくださるから」

「はい。わかりました」

 美夕は、眠っている晴明の手を握った。

 晴明の手は大きく、硬くてひんやりと冷たかった。



 美夕は晴明の手を自分の頬に押し付け、愛しそうに頬ずりした。晴明は夢を見ていた。

 ――晴明様、晴明様。大好きですっ!――

 晴明の脳裏に、美夕の記憶が広がる……

 やきもち焼きなのが玉に瑕だが、優しくて、明るくて花のように可憐な少女。

 晴明にとって、放っておけない存在。

 彼女の声、彼女の笑顔、彼女の温もり彼女の香り……

 こんなにも、愛しくて命を懸けて護りたい……私の一輪の花。

 ――私を愛してください、晴明様。――



 そう言って、お前はあの日泣いた。泣かせたくはない。

 愛せるものなら、私とて愛したい! なれど、私は半妖の妖狐……

 お前を、逆に不幸にしてしまうかもしれない。それが怖いのだ……!

 晴明は、悪夢から逃れるように目を開けた。

 晴明の傍らには、愛しい少女の寝顔があった。

 そして、握られている手からは温もりが。

 晴明は、安堵感に浸りながら美夕の髪をそっと、撫で額に優しく口付けを落とした。



 その時、「ちぇっ! 何だよ。唇にしないのかよ!」と、

 甲高い声が背後から聞こえた。

「なっ!!?」

 晴明は、口から心臓が飛び出すかと思うほど驚いた。

 晴明が赤面して振り向くと、篁がにやにやと薄ら笑いを浮かべていた。

 いつも冷静で、腕の立つ晴明だったが、

 神出鬼没の篁を相手にすると、少し勝手が違うらしく。激しい動悸がしていた。

 篁は、わざとらしく「愛せるものなら私とて、愛したい!

 なれど、私は半妖の妖弧、お前を不幸にしてしまうかもしれない!それが怖いのだ!」



 何と、晴明の夢の中での言葉を呟いた。

 晴明は青筋を走らせた。

「それは、私の夢の中での!おのれ! 夢を覗いたな!?」

 と篁の腕を掴むと、

「お前は恐れ、美夕に本心を明かせない!

 それじゃあ、オレが美夕をもらっても良いよな?」

 と、篁はニヤリと口角を持ち上げた。

 晴明は、ギロリと篁を睨み。

「この期に及んで、馬鹿を言うな! 美夕は物ではないのだ!

 それにお前に美夕の何が、わかるというのだ!? 軽々しく申すな!」と叫ぶ。



 篁は目を細めて。

「生意気な事を申すな……小童こわっぱ

 少なくとも、俺はお前より長く生きてるからな。女の扱いは、上手いもんだぞ?

 どんな女も俺が抱けば、良い声を上げて鳴く。

 楽しみだ。美夕は、どんな声を上げるのだろうな?」

 クククと笑うと、晴明の頭にカッと血が上った。

「このゲス狸! 美夕を誰がお前などに抱かせるか!!」

「お~、お~可愛いなぁ。お前が、めずらしく嫉妬か? 何なら、お前も抱いてやろうか?」

「だ・れ・が! 抱かれるかぁあああっっ! いい加減にしろぉおおおっっ!!!」



 あの冷静沈着な晴明が、篁の術中にはまって興奮している。

 そのけたたましい声に晴明の側で、眠っていた美夕が目を覚ました。

「うう~ん……晴明様?」

 美夕は半分身体を起こし、晴明の姿を確認すると、

 瞳を涙で潤ませ、晴明に抱きついてきた。

「晴明様! 晴明様! 良かった! あのまま、目覚めなかったら。

 私、死んでしまう所でした!!」

 晴明は、何時の間いつのまにか怒る気持ちも消え、



 いつもの穏やかな表情に戻り、美夕を優しく抱きしめていた。

「晴明様……」

 晴明の温もりと、包容力に頬を染め、うっとりする美夕。

 その時、含み笑いをしながら篁が言った。

「晴明よ! オレに美夕を盗られたくなければ、あかしを見せろ!

 お前がはっきり証を見せなければ、お前から美夕を奪う!!」

「晴明様……どういうことですか?」

 美夕は自分独りが、取り残されたような不安を感じ、晴明の顔を見やった。



 その次の瞬間、美夕の唇に柔らかく、暖かな物が押し当てられた。

 美夕がそれを晴明の唇だと、気づくまで。

 一瞬の間があったが、気づいた途端とたん、美夕の顔が夕日のように朱に染まり、

 晴明の香り、晴明の温もり。たとえようのない幸せを感じ、うっとりと夢心地になった。

 しばらくして晴明は、唇を美夕からゆっくりと離した。互いの心臓の鼓動が重なる。

 美夕は指を唇に当てぼうっとしていたがはっと我に返ると、

 晴明を見詰めながらぼろほろと、涙を流し始めた。その様子に晴明は慌て始めた。

「すっ、すまない! 美夕。そんなに嫌だったか? 私との口付けは!?」

 と、いつもの彼らしくない反応であたふたしていると。



 美夕はぶんぶんと強く首を横に振り、最初は小声で次にははっきりした口調で言った。

「嫌……じゃ、ないです。ただあの晴明様が、

 私を女として、愛してくださらないとおっしゃった。

 晴明様が私に口づけをなさるなんて、何ということでしょう。

 まるで、夢のようで驚いて……ただただ、嬉しくて」

 と声を震わせ泣き出してしまった。

 思わず、抱き寄せよしよしと頭を撫でる晴明。



 撫でながら晴明は静かに言った。

「これまで、辛い思いをさせてしまって、すまなかったな。

 私はな、前にも話したが、妖狐だ。」

「人でも、あやかしでもない半妖だ……それゆえに美夕、お前を愛してしまえば。

 お前を不幸にするのではないかと、ずっと悩んでいた。私は弱い男だ」

「お前を傷つけまいとした事が裏目に出て。逆に思い悩ませてしまった。

 だが、私のせいでお前が鬼に成りかけ、あまつさえ篁に奪われると思った時。

 美夕はこの私が愛し、守ってやらねばならないとやっと、気づかされたのだ!」

 と、強く抱きしめた。美夕は頬を紅潮させ、子供のように泣きじゃくった。



「晴明様、晴明様! 私も……私も誰よりも、貴方のことを、お慕いしております。

 何があっても、貴方のことを信じます。もう、離さないでください」

「ああ、私も愛している美夕。お前をもう、離したりなどしない」

 紫と金の瞳が交差する。

 これは夢?と、美夕が目で訴えかければ、晴明は柔らかに微笑み。




「夢ではないよ」と、自身の唇を美夕の唇にもう一度重ねた。

「けっ、ガキの頃から世話のかかる奴だぜ! まあ、不器用なお前にしては、上出来だ」

 篁は穏やかに笑うと、

「よーく、捕まえておけよ。晴明」と言い残し、部屋を出て行った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る