【短編】ボクのテロリズムあるい彼女とのラブコメ

渡月鏡花

ある男子学生の告白

 ある朝、気がついた。

 ボクは選ばれし存在なんだって。

 だから、ボクはこの無価値な世界を壊すことにしたんだ。


 だってそうだろ?

 ボクは生まれてから一度も誰からも必要とされてこなかったんだ。

 ボクのことを必要としない世界なんてバグにちがいない。


 世界は修正しきれないほどのバグを抱えているんだ。


 例えば、一度、水がコップからこぼれ落ちたら、もう二度と自然には水が元のコップの中に戻ることはない。


 世界はきっとそれと同じくらいに必然的で絶対的で元に戻すことのできないバグを抱えているんだ。ずっとエラーを吐き続けている。


 そんな世界の真実に気がついてしまった。

 世界の本質を理解してしまったんだ。


 だから、一度全てを壊すしかないんだ。

 リセットする必要があるんだ。


 ゲームのようにリスタートするんだ。

 でも、このままの世界ではダメなんだ。


 ゼロから作り直す必要がある。

 表面だけの雑草を除去してもすぐにまた生えてきてしまうように、世界の表面だけを壊しても意味がないんだ。


 深く深く、深層に達するまで壊すんだ。

 ありとあらゆる全てを。

 舞台そのものを壊して、新たに舞台を作り直す必要があるんだ。


 だからこそ……今日、本日、この日、ボクは爆弾を爆発させるんだ。


 このどうしようもないクソみたいな世界から解放されるんだ。


 そして、新しい世界を作るんだ。

 ボクのことを必要とする正しい世界に——

 誰もが必要とされる美しい世界を——



 遡ること一日前のこと。


 レトロな雰囲気の喫茶店『喫茶アンラジェ』。 

 いつものようにボクたち以外にお客さんの姿はない。


 マスターの姿も先ほどから見当たらない。

 先ほどまでつまらなさそうにコップを拭いていたが、今ではカウンターにその姿がない。


 少し甘いコーヒーの香りが、ボクたちが座っているテーブル席まで運ばれてきていた。その匂いとともに、知らないジャズの音もまた静かに流れてくる。


 静寂というほどではないが、心地の良い音がボクたちを包んでいた。


 だから真剣な表情で彼女がボクのことを凝視しているのにすぐに気がついた。


「ねえ、黒斗くん……ううん、岩戸くん」

「え、急にかしこまってどうしたの?」

「私たち……別れよっか?」


 そう言って、木下姫奈きのしたひめなはボクの目をまっすぐと見た。

 いつもであれば笑顔を浮かべて、美味しそうにパンケーキを食べる姫奈の姿はなかった。


 いや、違う。

 最近、姫奈の笑顔なんて見ていなかった。


 果たしていつ姫奈の笑顔を見たのだったか。少し照れたようにアーモンド型の瞳を細めて、口元を隠して微笑む……可愛い笑顔。

 そして少し視線を逸らして、またボクのことを見て微笑む。

 そんな柔らかな表情を見たのはいつ頃だったのか。

 

 ……わからなかった。

 それすらもわからない。


 今はただの義務感のようにそこにいるだけの存在。

 仕方なく付き合っている、そうとでもいいたげな表情だ。

 

 端正な顔を歪めて姫奈は浅く息を吐いた。


「私から付き合って欲しいって言ったけど、ごめん、もう岩戸くんのこと好きじゃないの」

「そ、そうか……」

「それ」

「……?」

「そのなんでも諦めたようなところ、ほんと嫌い」


 先ほどまでの穏やかな時間が嘘みたいだ。

 閑散とした店内は、一瞬だけ姫奈の静かな怒りの声が支配した。


 ボクたち以外誰もいないからよかった。

 こんなくだらないカップルの別れ話を聞かされるお客さんがいなくてよかったものだ。


 そんなどうでもいいことを考えていると、いつの間にか姫奈は席を立っていた。


「岩戸くん、次付き合う人とはもっと楽しそうにいたほうがいいよ?じゃあ、さよなら」


 有無も言わさずに、姫奈は立ち去ってしまった。


 ……てか、しれっと伝票置いていきやがった。



 手短に会計を済ませて、ボクはきた道を引き返す。

 これまで何度も彼女——姫奈と一緒に歩いた道だ。

 駅と大学の中間地点に存在する閑静なお店『喫茶アンラジェ』まで、一緒に散歩した思い出の場所。

 

 今、ボクの隣を歩く彼女の姿は無くなってしまった。

 彼女にとってボクは必要ではなくなってしまった。


 ボクは一人だ。

 

 どうやらボクはまたしても必要とされ無くなってしまったらしい。

 思い返せば、これまでのボクの人生において誰かに必要とされ続けたことなどあったのだろうか。


 受験では第一志望に合格せずに滑り止め先に進学した。

 現在行っている就職活動では内定一つあるが、たいして興味もない業界の営業職。


 ボクの人生はこのままずっと必要とされない存在のままなのだろうか。

 いや、正確には違うのかもしれない。


 ボクという人間は、誰かや何かにとっての一番という存在になることのできない存在であり、必要とされ続けるに値しない存在なのだろうか。


 いや、もしかしたらただ気がついていないだけで、ボクのことを本当の意味で必要としてくれる場所や人はあったのだろうか。


 あれ……?

 本当の意味ってなんだ。


 ……よくわからない。


 でもこれだけはわかる。

 必要とされた回数と必要とされなかった回数を比較すると、確実にボクは後者の数が多い。


 それはきっとボクという無価値な存在を証明する証なのだろう。


 ……なんてマイナス思考であれやこれやを考えていたからかもしれない。

 気がついた時には、今まで見たことも聞いたこともない異国情緒のある路地に迷い込んでしまっていた。


 東京の雑踏にこんなところあったっけ?



 暗い路地裏をあてもなく歩いていると、一件のお店に辿り着いた。

 とっくに空は闇に支配されてしまっている。

 

 だからだろう。元来た道がわからない。

 ボクは一体全体どこから来たのだろうか。

 いや、でも行き先はなんとなくわかった。

 

 暗闇を照らす一筋の光。ぽつんと色白い光が灯っている。

 その光に惹きつけられる無数の蛾のように、ボクはそのお店の扉へと手を伸ばしていた。


 ガラガラと立て付けの悪い音を立てて中へと入ると、綺麗な喫茶店のようだ。

 数人の黒ずくめの男たちが話すのをやめて、一斉にボクの方へと振り返った。


「キミが最後のひとりか」

「遅かったな」

「さあ、座りたまえ」

「これから明日、決行する例のプランの最終打ち合わせがあるんだ」

「……?」

「さあ、はやく。我々には君が必要なんだ」


 何が何だかわからない。

 でも彼らはボクと誰かを間違えていることだけはわかった。

 否定の言葉を口から出そうとしても、結局発することはできなかった。


 彼らが言った言葉——我々には君が必要なんだ。

 その一言が脳内に入り込み、ボクという存在を肯定している気がした。まるで初めから決められていたあらすじのように、ボクという存在は彼らと一緒なのだと思えた。


 必要とされない人たちの必要とされる存在になった。


 気がついた時には、ボクは彼らの話を黙ってじっと聞いていた。数分か数時間かよくわからなかった。どうやらこのお店では時間の感覚というものがずれているらしい。


 先ほどから店内に掛けられている時計の針がちっとも進んでいない。

 それなのに、テーブルに出されているティーカップはずっと湯気を出し続けている。

 なんとも不思議なものだ。

 ずっと温かさが消えていないのだ。


 隣のテーブルの上には、広げられたままの古びた地図や映画の中でしか見たことのない黒光りする拳銃が無造作に置かれている。


 いつの間にか話し声がかき消えていた。

 すでに彼らは自分たちの話したいことを終えていた。


 彼らのうちの一人が、ボクへと丁寧に教えてくれた。


「君は選ばれし存在なんだ」

「誰に?なんのために?」

「神に選ばれたんだ。君だけが世界を救うことができるんだ」

「どうして?」

「君は聞いてばかりだね。でも、その問いへの答えはきっとそのうち分かるさ」


 おそらくボクとそう年齢も変わらないはずの黒ずくめの青年は、笑顔を浮かべた。


 それから、青年は一つのスマホを差し出した。

 どうやらこのスマホがボクの持ち物のようだ。

 

 このスマホを使うことが、どうやらボクの役目らしい。

 ただなんとなくだが、直感的にわかった。

 ろくに彼らの会話を聞いていなかったが、わかってしまった。


 いつの間にか、黒ずくめの男たちがボクの周りを囲っていた。


「君の役目はわかっているね?」

「そのスマホのボタンをタップすればいいんだ」

「そう、明日の朝、君の乗る電車で押すこと。それが君の役目だ」

「君が必要な理由さ。君だけが操作することのできるスマホだからね」

「残念ながら我々では開けることのできないんだ。厄介なことにロックがかけられてしまっているんだ」

「だからこそ、我々には、君が必要なんだ」



 気がついたら、ボクは自宅にベッドの上にいた。

 いつの間にか……右手にはスマホを握りしめていた。


 少し圧迫感のある頭の痛みがボクの思考を奪っていくような気がした。


 すでに時計の針は、一人暮らしのこのアパートから出る時刻を示していた。


 ボクはいつものように身支度を済ませて、駅へと向かった。


 そうだ、ボクを必要としない世界を壊す必要があるんだ。

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