下宿たると崩壊

黒瀬 木綿希(ゆうき)

第1話

 

「下宿がやりたかったんだ」

 ちょっと強い気がする暖房が効いた病室で不意に呟いた主人の言葉が私の頭にはスンナリ入ってこなかった。鼻から覗くチューブのせいで話しづらいからと、ここ最近はめっきり口数が減っていたのに、なぜ急に。


「下宿って、寮みたいあの?」

「あぁ。昔の書生や作家が多く住んでたその下宿だよ。夏目漱石や芥川龍之介なんかも下宿生活が長かったそうなんだ。作品の中でも下宿に住んでいる主人公が多かったなぁ。坊っちゃんとか」

 私はあまり本を読まないからピンと来なかった。そもそも今の時代に下宿の文化はどれくらい残ってるのかしら。


「二十年も一緒にいたのにアナタが下宿に住みたかったなんて私、全然知らなかったわ」

「そりゃ言ったことがなかったからね。それと、"住みたい"じゃなくて"やりたい"ね」

「え? つまり、大家さんみたいに人を住まわせる方ってこと?」

「そうそう」

「でも、そんなお家なんてどこにも……」

「簡単さ。我が家をちょっとだけ改装すればいい。二人で住むにはあの家は少し広すぎるだろ? 空き部屋もあるんだし」


 私は唖然とした。言ってることは簡単だけど実際にやるとなると話は別だもの。確かに主人の先祖から受け継いだ我が家は二人で住むにはスペースが余り過ぎている。子どもを授からなかったので遊んでしまってる部屋も少なくない。

 けど、だからって、ねぇ。お金の計算もしなくちゃいけないし、作るご飯の量だって普段の何倍になるんだか。養子を貰うのとはワケが違う。

「なぁ京子きょうこ。僕の最期のわがままを聞いてくれないか?」

「最期だなんて、そんな縁起の悪いこと言わないでよ」

「そうは言っても事実だからね。見てごらん僕の体を。手首なんてもうキミよりも細い」

 しんみりとした空気を嫌う主人はこういう時、決まって自嘲気味に言う。私が上手く笑えないことを知ってるから、からかう意味も込めてるんだと思うけど。


「頼む。僕の唯一の心残りなんだ」

「そう言われても……」

 仮に私がお願いを聞いたとしても本人がやらないんじゃ意味がないのでは。でもこうやって薄くなった頭を下げる主人を見ていると無碍にするのも忍びないし、困った。

「そ、そろそろ帰るわね。夕飯の支度しないとだから」

 普段ならそのあとに『また明日ね』と付け加えるんだけど今日はしなかった。また同じ話を蒸し返されるの思って。

 病室を出る際、主人は特に気を悪くした風でもなく「ありがとう」と言って見送ってくれた。それが主人と交わした最期の言葉になった。



* 岩見いわみタカシ


「ここ、だよな」

 リュックサックを背負った背中にじんわりと掻いた汗が鬱陶しくなってきた頃、ようやく目当ての家が見えた。スマホのナビに表示された住所も一致してる。つまりここが今日から俺の住む家らしい。

 寮生でもない高校生で一人暮らしなんて贅沢な気がするけど海外へ転勤する親について行くのは嫌だったし、そもそも親父とは昔からウマが合わなかったからちょうどいい機会だった。


「なんか、田舎のばあちゃん家って感じだなぁ。っていうか敷地ひれーなぁ。何坪あんだよ」

 俺の前に立ちはだかるのは木造二階建ての古き良き典型的日本家屋だ。青色の瓦が太陽に照らされて空に負けないくらい眩しい。縁側があって庭で洗濯物を干している家も初めてだ。玄関の引き戸なんて柔道場や剣道場で『たのもー!』なんて言いながら開けるのが様になりそうな木製だし。


 だけどインパクトがあるのはなんと言っても名前だ。その名も下宿"たると"。決して冗談ではなくガチでその名前。下宿って言やぁ、普通の家のスペースを間借りするもんだからアパートみたいに名前があるのって結構珍しいと思う。しかしタルトってどういうセンスなんだ? お腹が空きそうだよ。

 玄関先でグダグダしてても仕方ないし、そろそろ入らなきゃ。とはいえ地味に緊張すんなぁ。これから世話になるとは言っても知らない人だもん。けどそろそろリュックとキャリーバッグの重みが嫌になってきたからいつまでもウジウジしてらんねー。


 そう決意して俺は引き戸に手を伸ばした。その瞬間、ピシャーンと音を立てて開けられるなんて思ってもみず。あんまりにも突然の出来事で、おまけに目の前に立つ若い女の人が個性の塊みたいな風貌をしていたから頭の処理が追いつかなくて固まってしまった。

 なにせその人はツンツンした短めの髪が外で咲き誇っている桜に負けないくらい真っピンクで耳に無数のピアスを付け、極めつけにメイド服という出で立ちだったんだから。


「あら、お客さん?」

「ど、どうもっす……」

 挨拶をすると顔を覗き込まれた。ち、近い。まつ毛バシバシで目つきが鋭いからちょっとだけ怖い。カツアゲされそう。


「もしてかして今日からここに住むっていう岩見くん?」

「あ、そ、そうです」

 知られてた。もしかしてこの人も入居者なの? それからメイド服のお姉さんは後ろを向いて「京子さーん。岩見くん来ましたよー」と声を張る。京子さんってのがこの家の大家さんだ。入居前に一度だけ顔を合わせたんだけどおしゃべり好きの優しいおばちゃんだった。年は多分六十前後。

 ややあってエプロンで手を拭きながら京子さんがひょっこりと顔を出す。しかも割烹着。


「あらあらいらっしゃい。よく来たわねぇ岩見くん。今日は暑かったでしょぉ。何か飲む? お茶とカルピスとオレンジジュースくらいしかないけど。あ、お腹すいてない?」

「あ、え、えっと……」

 矢継ぎ早に質問されたからどれから答えればいいのやら。すると見かねたピンク髪メイドのお姉さんが「ちょっとちょっと京子さん。岩見くん、困ってるわよ」と助け舟を出してくれた。V系バンドにいそうな感じで不良じみたオーラをまとってるけど根は優しい人なのかな。


「あらあらごめんなさいねぇ。おばさん、若い子を見るとつい嬉しくなっちゃって」

「は、はぁ」

「ささ、こっちにいらっしゃい。疲れたでしょ。ほら、荷物下ろして」

 京子さんは素早く背後に回ってリュックを下ろそうとしてきた。思いのほかフットワークが軽くて驚く。それから俺が通されたのはちゃぶ台と座布団、掛け軸に障子と、これまたコテコテな日本家屋って感じの居間だった。


 ちなみにさっきのV系メイドお姉さんは「じゃ、アタシこれからバイトだから京子さんあとはヨロシクー」と言って出ていった。バイトってメイド喫茶とかかな。ってかあの恰好で行くのかよ。

「ごめんねぇ賑やかで。れんちゃん、ああ見えてすごく世話焼きでイイ子だから仲良くしてあげてね」

「蓮ちゃん……」

 先入観があるのかもしれないけど名前までそれっぽくてちょっとカッコイイな。


「その、蓮さんもここに住んでるんですか?」

「そうよぉ。最古参なの。ウチを下宿に改装した時から住んでるからもう六年ね」

 六年か。下宿って普通のアパートやマンションみたいに定住するような家じゃないからかなり長いほうだと思う。結構若そうに見えたけど六年って何歳から住んでるんだろう。

「タカシくんは四月から高校二年生でしょ? 偉いわぁ、その年で一人暮らしなんて」

「あ、いや、そんな大したもんじゃないです。ただ親元から離れたかっただけなんで。それに一人暮らしって言っても料理は京子さんにお願いするんだから……」

「それはそうね。腕によりをかけて作るから期待しててちょうだい。私、たくさん食べる若い子が好きだから」

「ありがたいです」

「それじゃああとでタカシくんのお部屋、案内するからゆっくりしててね。あ、そうそう。今日は暑いから駅からここに来るまでに汗掻くんじゃないかと思ってお風呂も沸かしてあるんだけど入る?」

「え、いいんですか?」

「もっちろん」


 それじゃあお言葉に甘えて、ということで俺はさっそく風呂場へ向かった。なんとこの家は薪で沸かす五右衛門風呂らしい。ボタンを押して十分程度待つだけで勝手に温かいお湯に浸かれるこの時代に薪。ますますタイムリープした気分だ。

 でもアレだよな。薪風呂ってことは京子さんが毎日沸かしてるんだよな。大変じゃね? 俺なら三日で根を上げる自信がある。

 それらを含めると色々と謎が多い人だ。この時代に下宿を開く理由も分からない。払うお金も月々たったの三万円。もちろん食費やらなんなら全て込みの金額だ。正直言って破格すぎる。


 こんな条件の下宿を見つけられたのはラッキー以外の何ものでもないんだけど俺は詳しい理由なんて全く知らない。なぜなら、転勤先には付いて行かないと親父に伝えると数日後にこの下宿先を紹介されて半ば一方的に住むことを決められたからだ。

 それより今は風呂だ風呂。長旅で――といっても二時間程度だけど――汚れた体を清めなくては、と勇んで浴室に入った俺は生まれて初めて見た五右衛門風呂にちょっぴり感動した。床も滑り止め加工が施された石でできてる。洗面器や椅子なんて木製で、対照的に新しめのシャワーや色とりどりなシャンプーとコンディショナー、ボディソープが揃えられているギャップにちょっと笑ってしまった。


 それらを拝借して体を洗い終えると不意に風呂場のドアがノックされ、外から「岩見くん、こういうお風呂は初めて?」と京子さんの声が。

「あ、はい。初めてっす」

「そう? だったらお湯に浸かる時は浮いてる板は外さないでそのまま踏んで入ってね。底で火傷しちゃうから」

「あ、はーい」

 あぶね。言われなきゃ外すとこだった。しかも背中や腕が触れないように浸からないといけないから地味に大変だ。


「あー……でもめっちゃ極楽ぅ」

 なんて言うのかな。お湯が柔らかいし、体が芯からあったまる気がする。冬場とかサイコーじゃん。ってか当たり前だけど蓮さんも同じ風呂に入るんだよなぁ……ヤメヤメ。変なことは考えるな。煩悩退散。

 とまぁ色々ありながらサッパリした俺は風呂から出たあとに事前に引越し業者が運び込んでいた荷物の整理を済ませた。俺が住むのは一階の角部屋、六畳一間の和室だ。

 大した荷物じゃないから荷解きはすぐに済んで手持ち無沙汰になり、京子さんがちょうど夕飯の買い出しに行くと言うので荷物持ちを兼ねてついて行くことにした。今日は俺の歓迎会を兼ねてご馳走を振る舞ってくれるのだとか。


「そういえば俺と蓮さん以外にはどんな人が住んでるんですか?」

三島治みしま おさむくんっていう男の子がいるわね。年は二十六だったかしら。根が優しくて真面目な子よ」

「三島さん、ですか。普段は何してるんですか?」

「そうねぇ。私はよく分からないんだけどインターネットを使って色々してるみたい」

 うーむ。範囲が広すぎて全然絞れない。今はネット環境さえあれば出来る仕事なんて山ほどあるしなぁ。


「治くんもいい子だからタカシくんともきっとすぐ仲良くなれるわ」

「タ、タカシくん?」

「あ、馴れ馴れしくてごめんなさい。嫌だった?」

「いや、全然平気っす。ちょっとビックリしただけで」

「そ、良かった。タカシくんは苦手な食べ物とかある?」

「特には……。あー、でも人参が少し苦手っすかね。カレーとかに入れちまえば平気なんですけど」

「人参ね。了解。それじゃあ頑張って克服しましょっか」

 そこは避けてくれるとかじゃないんだ……。


 などといったやり取りを交わしながら買い出しから帰ると庭で洗濯物を取り込むボサボサ頭の怪しげな男がいた。しかもやたら背が高い。猫背だから誤魔化されそうだけど一九〇はありそうだ。

「治くん。洗濯物入れてくれてるの? ありがとねぇ」

「いえ、にわか雨が降りそうな天気だったので」

「あらホント。おしゃべりに夢中で気が付かなかったわ」

 見上げると確かに重たそうなネズミ色の雲が空を支配している。門出としては相応しくない天気だな。それはそれとしてこのボサボサノッポさんが治さんか。根が優しくて真面目とは聞いていたけどなんかイメージと合わない気がする。


「俺も手伝います」

「あぁ……うん。キミが今日から暮らす岩見くんか」

「うっす。岩見タカシです。よろしくお願いします」

「僕は三島治……よろしく」

 この人、背を伸ばすことにエネルギーを使い果たしたのかってくらい覇気がないな。前髪が長くて目がろくに見えないからコミュニケーションも取りづらいし。


「治さんって呼んでいいですか?」

「……好きにしたらいい」

 若干不服そうだけど、いいや。ゴリ押そう。

「治さんって何年くらい住んでるんですか?」

「……三年」

「お仕事とか何されてるんです?」

「……人にはあまり言いたくない」

 壁を感じるなぁ。こうなったらアレしかない。打ち解けるにはやっぱり飯だ。


「今晩は焼肉パーティらしいですよ」

「……なんだと?」

 おや、急に目に力が?

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