遺書の告げ口
ことこと煮物
第1話
■プロローグ
「困ったな...」
目の前の手紙を見て、その妖怪は本気で頭を抱えていた。
手紙は遺書だ。死体のそばに置いてあるものを、妖怪の後ろにいる付き人の男が持ってきたものである。
「せめて、せめて読める文字で書きたまえ...」
遺書に書かれた文字は、彼らが住んでいる国の言葉ではなかった。読めなくても妖怪自身は困らない。
しかし、手紙の筆者と友人であった妖怪の娘が泣くのである。
あの子に花を手向ける、と言って死体に花を突き刺すのである。
死体を埋めたくない、と言って日光の下に置くのである。
お供え、と言って妖怪が持っている貴重な本を死体の周りへ乱雑に積み上げるのである。
妖怪は困った。それはもう困った。
最悪、前者2つはいい。
だが本だけはどうにかやめてほしかった。日光の下で保管すると痛むのだ。
これ以上の奇行を増やさぬためにも、彼女の心を鎮めるためにも。本を回収するためにも。
早急に手紙を読めるようにして与えてなければ。
「翻訳が得意なやつとか、都合良く来てくれないだろうか、東人とか...」
付き人の男は、苦笑いをしながら紅茶を入れていた。
■1日目 夜
5月がようやっと始まったという頃合いで、風が暖かくなってきた森の中。
男が、もうすぐ日が沈もうという時間にもかかわらず、わずかな日光を頼りに歩いていた。
鬱蒼と生えた木々は、興味深そうに背を曲げて彼を覗き込む。黒い髪に彫りの浅い顔立ち。目には赤い朱を伸ばした男は、世界の西側に位置するこの国では珍しい
大きな荷物を背負った旅商人である。
不幸にも彼は街に行く途中、近道をしようと入った森の中で道に迷っていた。
(前に泊まった宿でランプのオイルさえ盗まれていなければ、まだ安心できたものを!)
文字通り血眼で探していたところへ、ふと何か光るものが目に飛び込んできた。
獣かと身構えたが、何度か瞬きしてもなくならない。警戒しつつも光が消えないうちにと素早く走って近づくと、不意に景色に光が指す。
(うわ、なんだここ)
どこかの貴族の別荘にしては、立地も大きさも適切ではない。
だが、その家周辺だけは木が刈り取られている。いつの間にか登った月光がよく降り注ぎ、異様な雰囲気を持ち合わせていた。
乾風が吹き込むようなひび割れは全くない家なのだから作りはいいらしい。玄関に飾られた百合の花がぼんやりと月光を反射していた。
正体はこれか。
男はついホッと息を吐いた。突っぱねられてしまえばそれまでだが、少しの可能性があれば扉の中に滑り込みたい。
万が一のため胸元にある懐刀を確認しつつ、扉をドアをノックした。
だいぶ年季の入ったドアである。
「誰だ」
しばらくしてから、太く低い男の声が聞こえた。
声色からして、訝しんでいる様子がわかる。彼は心を落ち着けながら、言葉を続ける。
「夜分遅くに失礼いたします。私は旅をしながら商いをしているものです。この先の町に行く途中、この森へと迷ってしまいました。この一晩だけ、どうか泊めてはいただけませんか」
「...少し待て」
男の声が彼に伝え、足音が遠ざかっていった。彼は周りを見渡してみる。
もうすっかり日は暮れて、闇に覆われた木々の間からはなんだかわからない獣の声が微かに聞こえている。
視線を感じるのは、きっと気のせいだ。
彼は胸を軽く叩いた。叩いた位置に懐刀がある。自身を落ち着けるための、昔からの癖だった。
不意に、扉が開いた。
「どうぞ、上がって」
言葉とは裏腹に、扉から伸びてきた無骨な手が彼の腕をぐいと掴み、引き摺り込んだ。驚いた声も上げられず、扉が閉じる音を聞く。
(わーあ、でっかっ)
目の前には、彼が見上げるほどの大男が立っていた。眉間に深い皺が刻まれた、初老の男である。一瞬の驚きを感じるが、彼はすぐにでも強張った表情を引っ込めて笑顔を浮かべた。
「ありがとうございます」
大男はじっと彼を睨みつけていた。というよりも、見下げられているから圧を感じてそう見えるのかもしれない。
「何故こんな時間に?ここは人を食う獣がいるかもしれないのに」
「以前泊まった宿で妖精の悪戯にあいました。この暗闇の中でございますから、すぐにでも街に辿り着こうとした結果森に迷ってしまいまして」
妖精の悪戯、とは小さい不幸があった時に使う誤魔化しの文句である。窃盗や揶揄いなど、人からもらう不幸を妖精の行為にすげ替えて隣人を悪く言わないための言葉だ。
大男は一つ頷くと、そっと手を差し出した。
「アイザックだ」
「
案内されたのは、家の奥の古びた扉の前だった。装飾もなく玄関のドアよりも簡素なものである。
「今日はここで休んでくれ。多少ものは散乱しているが、構わないか。」
「勿論」
アイザックはうなづくと、すぐに部屋から姿を消した。いつまでも明かりを灯すのは無駄だろう。
荷物を置けば狭くなってはしまうが、ベッドがあるだけ一夜の宿としては本当に充分なものだった。
(ここ、生活感がちょっと残ってるな...前に人がいたんだろうか)
外は獣の唸る声がする。鍵のついていない扉を外側から開けられないように多少の細工さえしてしまえば、決して害されない安堵感を得ることができる。何にも変え難いものだ。
気付かぬうちに疲労を貯めていたようである。慱飯は意識が揺蕩うこともなく、眠りに落ちた。
■2日目 朝
朝、目が覚めて慱飯がすることはまずは荷物の確認である。一通り確認を終えて、最後に出したのは胸に忍ばせている短刀。よく手入れがされていることは一目瞭然だ。
これは慱飯の手によく馴染んでいた。幾度も旅の危機を共にした信頼できる友人であり、慱飯にとっては贖宥状よりもよっぽど安心できるお守りである。とても無碍には扱えない。
(しかし、こうも暗いと視界が悪くて見づらいなぁ)
この家は、そこかしこに遮光カーテンが設置されていた。シャ、っと引くと部屋には眩い光が目を刺した。
──ニャアッ!
(え、何の声?)
一瞬ぐるりと見渡しても、猫やそれに近い獣は見当たらない。
首を傾げながらも部屋を出ると、昨晩は気づかなかったが、右手には窓があり陽の光が薄いカーテンを通り抜けている。
正面には、全く似たような扉があった。普通に考えれば、倉庫かもしくは空き部屋だ。慱飯が気にかかったのは、扉の立て付けが悪いのか僅かに開きっぱなしになっているところだった。
(昨日から開きっぱなしだったか?)
記憶を探るが、アイザックの背に隠れていたような気がする。
慱飯は躊躇なく扉に手をかけ、こっそりと中を覗いた。
「うわ、まぶし...」
その部屋は、まだ早朝だというのに日の光をよく取り込んでいた。舞う塵埃は反射して、キラキラと穏やかに身を光らせている。部屋は閑散としていて、全くと言っていいほどに物がない。
中央に安楽椅子に座った人形と、その周りにある乱雑に置かれた書物以外には。
(随分と、変な人形だ)
人形は慱飯よりもよっぽど上等な服を身につけ、瞳は硬く閉じられていた。
頭と左目から生えたその大きな百合と、不健康な白い肌。真っ黒な髪にドレスを身に纏った、女の人形であった。
(...見なかったほうが良かったかも)
慱飯は音がしないように扉を閉じた。配慮の中には、一瞬彼女を起こすと悪いから。という理由もちらついたが、馬鹿馬鹿しいと首を振る。
「早いな」
人を探そうかと歩き出してすぐ、アイザックと顔を合わせた。どうやら慱飯を呼びにきたようで彼がすでに起床していることに僅かに驚いていた。
相変わらずの圧ではあるが、昨夜ほど感じないのはこちらを怪しんでいないからだろうか。
「朝食の準備が出来ているからくるといい」
食卓までの道のりはそう遠くない。石で作られた家はどっしりと構えており、年季の入った白の壁紙はよく落ち着いていた。
普遍的な民家であればあるほど、先の人形の光景が脳裏に浮かぶ。
この家は生活に困窮してはいないだろうが、それでも精密な等身大の人形を購入できるようには見えないのだ。
どの家にも秘密の一つや二つはある。それがどうにも気になって仕方がないのは、彼の悪い癖だった。
「あら、よく眠れた?」
不意に耳に飛び込んできた声に、慱飯はびくりと肩を震わせた。後ろをゆっくりと振り返れば、そこには背の高い女性が立っていた。
──目が黒い!
慱飯の彼女に対する第一印象はそれであった。
瞳は白眼の部分が真っ黒に染まり、瞳は色素が薄いのか緑色の中に黄色が混じる。生気のない肌に、銀の髪が流れていて幽霊にでもあってしまったかとさえ思う。
そして背が高いのだ。大男のアイザックをも凌ぐ背で、優雅に微笑みながら見下ろしてくる。
(こんな化け物がいるなんて、聞いてないぞ!)
人間離れしたその容姿に圧倒され、慱飯は身を固くさせ声を出すことができなかった。
「タンパンさん。家族のマリアだ」
「やっぱり黒い髪の子は背が低くて可愛いわねぇ」
慱飯の名誉のために加えておくが、東人としては決して彼の背は低くない。
ただこの2人が体の大きな西人の中でも背が高い方なのである。彼にとっては、苦笑いするのが精一杯の対応であった。
比較的寡黙なアイザックとは対照的に、マリアはよく話す女性だった。
「料理はお口にあったかしら?いつも私が作るのよ。ぜひ食べて見て?」
「商人って本当?どんなものを売っていらっしゃるの?私キラキラしたものって大好きなの。あるかしら!」
「その目の赤いお化粧素敵ね?よく似合ってるわ!」
「あなたのお話って面白いわ、もっとよく聞かせてちょうだいよ!私お話するのって大好きなの」
一つ一つ質問に答えていけば、マリアは興味深そうに頷きながら聞いていた。
落ち着いた見た目とは裏腹に、彼女は大げさに反応する。話す速度も早く、見慣れない相手に興奮しているのか少々落ち着きがない。
慱飯が彼女に感じた印象は、無邪気であった。
「ねぇタンパンさん。タンパンさんのお名前って、どう書くの?」
食事はすっかり食べ終えて、片付けの手伝いを買って出た慱飯をアイザックはやんわり断った。
逃げ道を失いながら、すっかり主導権を握られた終わる様子のない会話を続けていると、話題は慱飯の名前へと移る。
「名前ですか?」
「ええ、聴き慣れない名前よね?顔立ちも私たちと似てないし、きっと外国の方なのよね?私のお友達も確かあなたみたいな顔立ちでね、ブレンダン君っていうのだけど、背が低くて──」
「マリア。名前の話を聞きたいんじゃないのか」
「あ、そう、そうなのよ。やだ私ったら。もうごめんなさいね!それで、お名前ね。はいこれ。ちょっと書いてみてくださる?」
マリアが差し出してきたナプキンと鉛筆を使って、慱飯はこの国言葉で自分の名前を書いて差し出した。輝くような笑顔で受け取ったマリアは、しかしすぐに口を尖らせて首を横に振った。
「….漢字はないの?」
「漢字?」
この国に漢字という文化はない。あるとして、慱飯の祖国やその隣国周辺にしか存在しない言葉である。
「私のお友達にはあったのよ。ブレンダン君じゃないわよ?お友達はこういう漢字だったの」
慱飯からナプキンを奪い去り、マリアは漢字を書き殴った。それを見て、慱飯は小首をかしげる。
「…これは?」
「薫はカオルって読むの!私漢字はこれしか知らないけど、これだけで充分。お友達のお名前よ。綺麗でしょう?」
「…これは失礼いたしました。隣国の人間が書いた文字だと思います。向こうは私の祖国にはない読み方をするのです」
「あら…そう。わかったわ、こっちこそごめんなさいね。」
それから一拍、ピンと何かが閃いたような顔をしたマリアが、慱飯を覗き込んだ。
「あなた、この国の言葉読める?わかるかしら?お手紙とか!」
「えっ?手紙?」
「そう、そうなの!ちょっと待っていてね、すぐに取ってくるわ!」
「まてマリア、私が持ってこよう」
「あらそ?じゃあお願いするわ!」
是非も判断していない慱飯を置き去りにして、アイザックは廊下へと消えていった。
「で、あなたはどんな漢字なの?」
そこに帰るのか。と内心うんざりした心持ちで慱飯は思った。彼女は気分の抑揚が激しいのか声色がよく弾む。
早く街へ売りに行きたいが、生憎と時間は亀の如くゆったりと進んでいる様子だった。
丁度、書いて手渡したあたりでアイザックが一枚の便箋を持ってきた。封は既に切られていて、中から手紙を取り出して慱飯の前に差し出す。
受け取って開けば、そこには頭が痛くなるほどの長文が並べられていた。
「ねぇ、あなたのこの漢字って意味は何?どっちが苗字?」
「握り飯という意味です、繋が苗字で、名前が慱飯」
「あら、なんで握り飯?」
「好物なので」
テキトウな回答である。
未だにナプキンに書かれた漢字を珍しげに眺めていたマリア。アイザックに、慱飯さんの名前見てーと声を掛けている姿は、大きな子供にしかみえなかった。
すぐに手紙に気づくと、あ、と声を上げる。
「慱飯さん、それ読める?」
同じような文化を持つ隣国の文字は、所々拾える部分がある。
辞書を片手に読まないと正確な意味は難しいが、慱飯はなまじその言葉を理解できるせいで意識を手紙に向け過ぎてしまった。
「…少しは」
と、うっかり言ってしまったのが彼のここ1番の不幸であったろう。それを自覚した瞬間にバッと両手を掴まれた。
目の前にはそれこそ希望に満ちた顔がある。白眼が正しく白であれば、きっと素晴らしい美貌を持つことがありありと分かった。
それ以上にその異常な目が恐ろしい。息を呑む慱飯をよそに、美しいマリアは告げる。
「読んで!」
「え?」
「私この文字は全然読めないの!大事なお友達のお手紙なのよ、翻訳して!」
あまりの気迫に押され、慱飯はつい頷いてしまった。
翻訳の仕事はこの家に泊まり込みである上、宿と食事が保障されている。とはいえ、この対照的な二人としばらく過ごさなければならない。
(...いつ町に行けるんだろ)
慱飯は、押し寄せる後悔と共に頭を抱えてたくなった。
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