小悪魔な先輩と俺

赤城ハル

第1話 ノストラダムス

「おい最上、先輩が帰ってきたらしいぞ」

 廊下で森山に捕まり、いきなりそんなことを言われた。ちょっと興奮気味の森山は気持ち悪かった。

「帰ってきた? 誰が?」

 主語をはっきりしてもらいたい。

「星野先輩だよ」

 星野先輩は俺の一つ上の先輩でフランスに海外留学中のはずで、

「……まだ3ヶ月も先だぞ」

「知らねえよ。でも帰ってきたんだって。髪もクリーム色に染めてびっくりだぜ」

「クリーム色? 何それ?」と聞こうとしたら、

「おっと、俺この後、講義があるんだわ。じゃあな」

 と森山は小走りに去って行った。


  ◯


 アパートに戻るとドアの前に女性がいた。

 その女性はドアを背もたれにしてスマホをいじっている。

 そして俺に気付くと手を振ってきた。

「チャオ!」

「……」

「あれ? 最上君、私が誰かわからない?」

「星野先輩でしょ?」

 髪を染めていても顔さえ見れば誰か判る。

「本当に? 今、すんごい顔してたよ? こーんな」

 先輩は眉を寄せ、口を蛸のようにして、両手で頬を挟む。

「そこまで変な顔してません」

 変な顔をしたのは認める。ただそれは誰か判らず怪訝な顔ではなく、「ええ!? どうしてここに?」という疑問だった。

 基本的に女性を部屋に上がらせるにはそれなりに度胸がいるし、ドギマギする。ましてや美人となると色々なものが去来する。

 俺は鍵を鍵穴に刺して回し、ドアを開ける。

「髪染めたんですね」

 部屋に入って、俺は言う。

「うん」

「クリーム色っていうから白色を想像してました」

 しかし先輩の髪色は白ではなく、灰色に近い茶髪だった。

「髪のクリーム色ってミルクティーカラーって言うのよ」

「ああ確かに言われてみるとミルクティーですね」

「ちなみにそれ誰から聞いたの?」

「森山です」

「……知らないな」

 森山……。

 そして先輩はリビングへと進む。

「ま、待ってください。片付けが」

 俺は先輩の前に立ち、通せんぼをする。

「もう! 早くしてよー」

「すぐ済みますんで」

 俺は急いでリビングに戻り、ゴミを捨て、本や衣服を片付ける。

 万年布団を畳み、端に移動させる。

「どうぞ」

 俺は先輩を座らせ、冷蔵庫に向かう。

 冷蔵庫を開いてだせる飲み物を探す。

 ……ラムネか。

「ラムネ、飲みます?」

「うん。飲む飲む!」

 俺は冷蔵庫からラムネを取り出し、一本を先輩に手渡す。

 先輩はラムネの飛び出した蓋を強く叩く。すると中のビー玉が落ちて、泡が溢れ始める。

 慌てて口をつけることもなく、なぜか先輩は噴き出す泡を見つめていた。

「先輩、泡出てます。テーブル濡れてますよ」

「ああ、ごめん、ごめん」

 先輩はティッシュでラムネ瓶とテーブルを拭いてから、ラムネ瓶を手にして飲み始める。細い喉が微かに動いているのを俺はラムネを飲みながら見つめる。

「君はラムネとサイダーの違いって知ってる?」

 ふと先輩が尋ねてきた。

「容器でしょ? 味は同じだって聞きましたけど」

「ちぇっ、知ってたか。あ、でも昔はちゃんと味は違ってたんだよ。分かる?」

「知りません」

「知らないかー」

 先輩は得意顔で喜ぶ。

「で、なんです? 違いって」

「ラムネはレモネードのこと。レモン味ね。サイダーはフランスのリンゴ風味の……何とかってやつのこと。それが日本でサイダーという炭酸ジュースになったの。それで今はラムネもサイダーも味は同じになったのよ」

「……先輩、フランスにいたんですよね。何とかってなんですか」

「まあまあ」

 と先輩はへらへらと笑う。

「フランスはどうでしたか?」

「もー! 会えば皆、それを聞くんだから」

 先輩はすごく不満そうに言う。

「まあ、いいわ。一つ良いことを教えてあげる」

「なんすか?」

「ノストラダムスの大予言を信じてたのは日本くらいよ」

「はあ」

「反応薄っ! もっと驚きなさいよ」

「そもそもノストラダムスの大予言なんて俺の生まれる前の話っすよ」

「それでも聞いたことはあるでしょ?」

「ええ。聞いたことはあります」

 1999年7の月に空からアンゴルモアの大王が訪れ、世界を混沌におとしいれるであろうというのがノストラダムスの大予言。

「本当はアンゴルモアって大王の名前でなくて、地方もしくは村の名前なんだって。しかも世界を混沌に陥れるなんて言ってないんだって」

「とんだ誤訳ですね」

「でもね。『実は当たってる』っていう噂があるのよ」

「……」

「あっ! 信じてなーい」

「シンジテマスヨ。ツヅキドーゾ」

「1999年7の月ではなく、イエス・キリストが生まれてからの1999年の7ヶ月後という意味なのよ」

「ハイパー誤訳っすか?」

「ところがどっこい。足してみてよ」

「イエスの誕生日は1年12月24日……」

「違う。12月25日よ」

「……」

 でも昔は日が暮れると翌日だったため、本当は24日ではと言われているのでは?

 まあ、今は先輩に合わせよう。

「まず1999年を足すと2000年で、そこから7ヶ月後を足すと……年が変わって2001年の7月25日?」

「さらに今の太陽暦で換算すると1〜2ヶ月ずれるから」

 まだ注文つけるのか。

「ええと……2001年8月25日から9月25日?」

「その間は?」

 日付から15を引いて。

「2001年9月10日?」

「そう! その前後に何があった?」

「え? …………あ!? 9.11テロ!」

「そう! 大正解! しかも飛行機をハイジャックしてるでしょ!」

「なるほど空からの……繋がりますね」

「でしょ。だから当たってたのよ。ノストラダムスの大予言は!」

 先輩はぐいっと顔を近づける。

 まじかよ。1日のズレはあるけど当たってる。

「びっくりでしょ?」

「ええ」

 そこで香水かシャンプーの香りで俺は先輩の顔が近いことに気づき、後退する。


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