しあわせでした。

ボクは、カリウム。

しあわせでした。

 「あ、はじめましてアプリのしょうさんですか?」

 赤い信号が点滅を始める。

 チラッと目に映った駅前の丸時計は、二十三時三十五分をさしていた。まばらに人が通り過ぎる交差点で、目の前に現れた長髪の女子大学生が、僕にそう尋ねる。心拍が異常な速度で鼓動し出した。僕の目をジッと見つめながら、イタズラにニヤニヤしているその子に、僕も便乗する。

 「あ、そうです〜。はじめまして、三上雪音さんですか?画像より可愛いですね〜」

 本当は同じゼミに通うクラスメイトなのに、まるで始めて出会った時みたいに、不自然な会話が始まる。退屈な日曜の夜。やることも無く、マッチングアプリを漁っていた。雪音とマッチしたのが三十分前。半ズボンは、高校の時の体操着、上は白いティーシャツ、靴はボロボロのサンダル。こんな格好でも会ってくれる女の子は、きっと雪音だけだ。雪音は、いつもの上目遣いで僕の方を見て、頬を膨らませた。膨らんだ頬は、すぐに萎んで綺麗なエクボを咲かせる。そのエクボに釣られて、僕の口角も自然に上がった。雪音は、小悪魔みたいにニヤリと歯を見せた。

 「アプリは始めて長いんですか〜?」

 わざとらしい言い方で雪音は言う。

 雪音とは、前にも一度だけ、こうしてマッチングアプリを通して会ったことがある。つまり、リアルの友達とマッチングアプリで出会うのは、これで二回目。一回目も二回目も雪音だったけど。

 「そうですね〜去年の夏くらいからやってるので、一年くらいですかね」

 雪音の目をガッツリ見つめながら、わざとらしく言ってやった。

「え〜長いですね」

  口を押さえながら呟く彼女に、心の中で『お前もだろ』と呟いた。

 「立ち話もアレなんで、歩きましょう」

 不自然な敬語に鼻で笑われた気がするが、気にしないで夜の街へと足を進めた。雪音もまた、僕のすぐ隣を僕の少し遅いくらいのスピードでついて来た。二人だけで歩くのは何ヶ月ぶりだろうかと、無意識に考えが浮かんでくる。しばらく足を進めていると、。暗闇の中でギラリと光を放つコンビニが、姿を現した。コンビニの青い光に集まる虫が、バチんと音を立てて死んでいく音が、なぜか嫌に、頭の中で反響していた。僕はこれが、二人で歩く最後の散歩だと分かっていた。

 「コンビニ行こうよ」

 「えー、今日は飲まないよ?」

 そう言われても僕のつま先は、コンビニに向いていた。自動ドアが開くと『いらっしゃいませー』と、店員の声が聞こえて来る。深夜でも元気がいい。僕らは、光に集まる虫みたいにコンビニの奥で輝く、飲み物コーナーへ向かった。

 「最近、すっごいハマってたお酒があってさ、ここでしか売ってないっぽいんだよね。今日はあるかな?」

 「なにそれ、美味しいの?」

 「じゃーこれね」

 ガラスの向こうにあるアルコール度数五%の限定缶チューハイを指さした。チラッと雪音に目をやると、雪音は躊躇いもなく頷いた。雪音のくせは、僕が一番理解してると思う。雪音は、良いと思っていることも口では嫌と言うクセがある。だから、「嫌」とか「ダメ」とか「無理」って言っていても、だいたい心の中では良いと思っている。というか、前に雪音がそう言っていた。

 お会計を済ませて、コンビニの外に出るとまだ、虫の死ぬ音が響いていた。

 「早く飲も?めっちゃ喉乾いた」

 やっぱりね、心の中でそう呟いて雪音の分の缶チューハイを取り出した。近くの灰皿で、おじさんが吸うタバコの匂いが、嫌に時間の流れを遅くする。袋から缶を取り出すや否や、雪音は僕の手から奪い取った。往生際が悪いところも彼女のいつもの姿だ。これだから、いろんな男が勘違いしちゃう。

 「あの、これ開けてくれませんか?」

 うりやぁぁああっと野獣のように叫びながら、缶のプルタブを開けようとするが、すぐに諦めて僕に缶チューハイを渡して来た。ずるい。おまけに目を輝かせて、またエクボを咲かせている。ニヤリとした顔が、本当に悪い。

 「はいはい、あけますね〜」

 プシュ!という音で僕の焦りを誤魔化し、空いた缶を雪音に渡す。

 缶に目をやった雪音は、大きく目を見開いた。

 「え、凄いですね。かっこいい〜」

 あざとい雪音にハマってる僕も僕で悪いとは思うけど、それと同時に、雪音も相当罪深いと思う。もしも、あざといという罪状があれば禁錮五年は固いだろう。

 プシュ!と、もう一度音を立てて僕の分の缶も空けた。

 「かんぱーい」

 お互いに自然と口からこぼれたあいさつと共に、缶の鈍い音がする。

 雪音とは大学二年生の初夏に、大学で出会った。コロナウイルスの感染拡大で消えてしまった一年間の大学生生活分を取り返そうと、お互いに焦っていたんだろう。しかも、雪音とは奇遇なことに、同じ学部だった。始めて話した時は、何処となく気まずかったけど、勇気を出して僕から沢山声をかけた。それからは、家も近かったから二人だけで遊ぶことも何回かあって、週に一回どちらかの家に転がり込むこともあった。二人で過ごす時間には、側から見たら間違いなくカップルのような空気感があったと思う。でも、二人の間に、【付き合う】という文字だけが浮かんでこなかった。悪いことなんて何もない。きっと、二人で過ごした時間の結果、浮かんでこなかっただけだ。恋に正解の形はないと思うから間違いだとも思っていない。一度だけ真っ暗な部屋の中で「俺のことどう思ってる?」と聞いたことがある。でも雪音は、足を絡めてくるだけで、言葉にはしてくれなかった。それ以来、形に出来ない愛が、僕の中だけでずっと、灯火のように燃え続けていた。今日は、その燃え続けた灯火を、蝋燭を消すみたいに終わらせるつもりだ。自分の中だけで、気持ちが大きくなっていくのがずっと嫌だった。もう耐えられない。あの頃は、お互い、話も下手くそだしオシャレでもなかった。人は一年で大きく変わってしまうらしい。雪音は今、大きな目とブランド物のキラキラしたバックと、どんな男も虜にしてしまいそうな口調を兼ね備えている。僕にとっては悪いことだけど、雪音にとっては良いこと。だから終わりにしたい。



 「ヤバいめっちゃ酔ってきた〜フラフラする」

 そう言って、うつろな瞳とふらふらの足で僕に、もたれかかってくる。油断しちゃいけない。今日の僕は、なんだか落ち着いていた。

 「そういえば、ウチ、彼氏出来たんだよね。」

 知っていた。

 「へぇ〜そうなんだ。」

 知ってたいたから、適当な返事をした。

 「そー、でも結構前に別れちゃった」

 不意に、顔を覗かせて、ニコっとしながら僕を目を見つめてくる。油断していた僕は、目を逸らしてしまった。雪音は、徐にポケットから携帯を取り出して、元彼とのトークを見せてきた。

「好きって気持ちが分からないの〜」そう言って始まった馴れ初めトークは、「もー誰とも付き合えないよおおお」という叫びで終わった。雪音はメソメソしながら、その場に座り込んでしまった。小さく丸まった雪音の背中は、何処となく懐かしさを感じる。

「俺もね、ずっと好きだったよ」

 不意に口から溢れた。


 ダメだ。

 もう、やめよう。

 終わらせなきゃいけない。

 心の中で、何かがそう叫んでいた。


「ほら立って」

 雪音の手を引っ張りあげる。手が解けないように、恋人繋ぎで握って雪音の家の方へと足を進めた。雪音の足はグラグラと揺れる。そういえば、雪音と手を繋いだのは、これが初めてかもしれない。ギュっと力強く手に力を入れてみた。すると、雪音はギュっと握り返してきた。どうして言葉にしてくれないんだろう。

 「俺、今日で雪音に会うのやめる」

 「なんで〜そんな悲しいこと言うの〜」

 僕は、気にせず、ずっと前の方を見ていた。

 「なんでも。もう、これで最後にするからいっぱい言いたいこと言うね?」 

  最後くらいは、全部言おうと思った。いつから好きだったとか、どのくらい好きだったとか、気づいたら缶の中身は空になっていた。

 「今言ったこと明日には、全部忘れちゃって良いよ。俺も全部忘れるから」

 携帯の時刻は、深夜二時を指していた。静まりかえった帰り道は、まるでこの世界に、僕ら以外誰も住んでいないようにも感じた。雪音は相変わらずフラフラしながら、一歩一歩、足を進めている。ゆっくり流れるこの時間が好きだった。なぜ僕は、こんなに夢中になっていたのか。自分に聞いても、いつも答えは曖昧だ。ただ何となく、雰囲気とか仕草とかそーゆー些細なことに飲み込まれていって、いつの間にかこの沼から抜け出せなくなっていた。彼氏が出来ようと、しばらく話してなくても、会うことすらなくても、なぜか心の何処かに君がいた。

 後ろに繋いでいた手は、いつの間にか解けていた。雪音の家の前に着いて、僕は大きく深呼吸をした。

 「え、ありがとう。ここで良いよ〜えへへ」

 「うん。じゃあ、いろいろありがとう」

 やっぱり、罪深いエクボだ。

 しばらく沈黙が続いた。

 すると突然、フラフラしていた雪音がスラっと背筋を伸ばした。

 その瞬間、冷たい風が流れた気がする。僕の目は自然と、雪音の目と合った。一、二、三、四…。雪音は、五秒経つ前に、まるで磁石を無理やり外す時みたいに、後ろを向いた。徐に、そのままアパートに向かって歩き出す。アパートの廊下には、靴と地面がぶつかる音だけが響いていてだんんだんそれは小さくなる。その音にハッとして、雪音の音が聞こえなくなってしまう前に、帰ろうと思った。呆気ない最後だなと思いながら後ろを振り返った瞬間、携帯の通知音が鳴った。雪音からだった。すぐそこにいるのに、何でメッセージを送ってきたんだろう。考える間もなく、雪音とのトーク画面を開いた。

 「幸せでした」

 雪音から短い一文だけが送られて来ていた。その一文で何となく、全ての意味が分かった気がして、何だか笑えてくる。3回も読み返せば、怒りも湧いてきた。でも、全部をひっくるめて、僕も一言で終わらせてやろうと思った。

 「幸せになってね。」

 その八文字を打ち終わったあと、何も考えずに、雪音の連絡先を消した。

 何だか清々しい気もする。もう吹っ切れようと決意して、自分の家の方に向かって無理やり足を進めた。曲がり角を曲がる手前、僕はふと、後ろを振り返った。雪音の部屋が明るくなっている。ポツポツと浮かんでくる思い出と雪音の表情が、後悔の渦の中へ引きずり込もうとしていた。きっと、この恋の物語に、終わりは来ない。夏の終わりを告げる虫が、遠くでないていた。

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しあわせでした。 ボクは、カリウム。 @KAMIZAKI_K

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