第4章

第28話

 俺は角から顔を出すと、素早く安全確認クリアリングした。敵を見逃すことは許されないが、かと言って長く留まれば遭遇そうぐう確率は上がる。時間と精度の最適なバランスを見つけることが、効率良く進むための……。

「気にしすぎでしょう」

 秋月あきづきの呆れたような声に、俺はびくりとした。集中力が途切れるからやめて欲しい。

「いや、誰かに見られたら困るだろ……」

「禁止されてるわけでもない」

 平然と言う。それはそうなんだが、暗黙の了解というものがある。仮に無かったとしても、激しく気まずいことは間違いない。だってその、女子を……。

 我に返りそうになって、俺は慌てて索敵さくてきを再開した。誰にも会いたくないというのも確かだが、どちらかと言うと現実逃避のためにやっている。そうでもしないと、平常心を保てないのだ。とっくの昔に崩壊しているとも言う。

 いずれにせよ、残された時間はわずかだった。階段はもう上がってしまったし、通路を進めば目的地に着いてしまう。

 つまりは、寮の俺の部屋に。と言うかもう着いた。

「……なあ、ほんとにここでやるのか……?」

「何を今更いまさら言ってるの。効率悪い」

 最強の武器効率悪いすらも、今の俺の心には大した影響を与えなかった。もう十分以上に乱れているからだ。さっきから心臓の音がうるさい。

 もっとも、秋月の言葉が正しいのは分かっている。今から追い返すという選択肢は無いし、だとすればここでためらっていても誰かが来る可能性を上げるだけだ。分かってはいるんだが……。

 ぎりぎり効率理性が勝って、扉を開けた。秋月は待ちかねていたかのように、するりと中に入った。おい、俺より先に行くなよ……。

 何故俺の部屋に来ているかと言うと、それは冬野ふゆのの問題解決に向けた話し合いをするためだった。生活記録ライフログデータを分析しながら相談したいが、さすがに部室ではしづらい話が多い。となるともう、ここしかない。

 いや、本当にそうだろうか。他にも選択肢はあり得た気がするのだが、秋月の強い要望によってこうなってしまった。怒らせた後だったし、断れなかった。普段から断れないだろうというのは置いておく。

「ふうん」

 リビング兼キッチンの部屋を見て、秋月は興味深いともつまらないとも取れる声をあげた。まあ、部屋の造りはどこも一緒だろうしな。ほとんど物も買っていないので、新居に近い状況になっている。

「って、おおい!?」

 秋月が自然な動作で奥の扉を開けるものだから、俺は制止し損ねた。その向こうには、ベッドと乱れたシーツが見える。待て待て!

「なに。変なものが置いてるわけでもないでしょう」

 紙媒体禁止なんだからそりゃそうだが……じゃなくて、女子が寝室にいるってだけで大問題なんだよ!

「パソコンもそこにあるじゃない」

「いや、ディスプレイだけこっちに引っ張ってくるとか、やりようが……」

 しらっとした目で見られて、俺は言葉が続かなかった。効率悪いですね、はい……。

 何故秋月は平然としてるんだろうか。まさか男子の部屋に行き慣れてるなんてことは無いだろう。いや、断言してもいい。無い。

 どうも、さっきのやりとりで恥ずかしさやら何やらが限界突破した結果、たがが外れてしまったように見える。心臓に悪い。

 いっそのこと、俺も外してしまえれば楽に……いや、恐ろしい結果になりそうだからやめておこう。全力で引き締めよう。全力で。

 目で促され、ディスプレイの前の床に腰を下ろした。秋月も俺の横で、ぺたんと座り込んでいる。

 それはいいのだが、近い。どのぐらい近いかと言うと、触れそうなほどどころか、もろに腕が触れている。柔らかな感触に、意識が集中してしまうのを止められない。

「も、もうちょっと離れてくれよ……」

 俺は弱々しく懇願こんがんした。画面が見づらい、効率悪い、と言われるかと身構えていたら、

「冬野さんとは抱き合ったのに」

 ねたように言われ、大ダメージを受けた。思ってた言葉攻撃と違う。装備を間違えた。

 何も言えなくなって、俺は黙々と作業を進めた。パソコンの電源を入れると、持って帰ってきたデータを入れる。ちょっと心が落ち着いてきた。

 俺は小さく息を吐いた。何から考えるべきか。まずは状況を整理して……。

「っ!?」

 唇の端に柔らかな感触が当たって、俺は思わずのけぞった。指でつついてきた秋月が、不満げに言った。

「考え込んでないで、口に出して言って」

「お、おう……」

 俺は再び動揺した。そんな微妙なとこを触るなよ……。

「ええと、状況を整理しよう。俺たちの目的は、冬野の成績予測を改善して、矯正きょうせいプランから抜けさせることだ。それも、なるべく早く。この週末には、改善策を決めて伝えたい」

 今のまま月曜になったら、何が起こるか分からない。少なくとも、冬野を安心させておきたい。

「ぶっちゃけ、策については何も思いついてない。分析も上手くいってないしな。一応、最初に冬野にいろいろやってもらったときは改善したんだが、それも全部もとに戻ってしまった」

 引きこもる方向で、読書やらゲームやらをやらせた時だ。結局プランを抜けるまでには至らなかった。

「上手くいったのは秋月だけだ。あの時は、俺と遊びに行くなんて無意味なことをやって改善した。人工知能AIの裏をかけたんだろうな。この成功例を応用するなら、やっぱり手当たり次第にいろいろやってもらうのが……」

「それは違う」

 黙って聞いていた秋月が、口を挟んだ。俺は視線を向けた。

「違うって、どれが?」

「無意味、というところ」

「いや、無意味ってのは、成績改善に寄与しないってことだ。本当に意味がないと思ってるわけじゃないと言うか、俺も楽しかったし……」

 俺は慌てて釈明した。言葉が悪かった。嫌な思いをさせてしまったかと焦る。

「そういうことじゃない。成績に関係ないというのが間違い」

 だが秋月は、べつに勘違いしたわけでは無いようだった。な、なんだ、俺の空回りだったか。ちょっと恥ずかしい。

 しかし、どういうことだろうか。俺と遊びに行ったのが、成績を良くすることに繋がったと、秋月は思っているのか。単に予測が変わったというだけではなく。

 俺が首をひねっていると、秋月は意を決したように言った。

「ごめんなさい。あたし、嘘ついてた」

「嘘?」

「ええ。以前、成績が落ちる原因に心当たりがあるかって聞いたでしょう」

 確か、最初の時だな。協力することを決めて、ライフログデータをもらった時。

「あの時は、ピアノ以外思いつかないと言った。でも本当は、もう一つあった」

「それは……聞いていいのか?」

 言いづらいことなんだろう。無理に聞き出すつもりはなかったが、秋月は小さく頷いた。

「あたし、中学の終わりに、勉強が手につかなくなったことがあったの」

「どうしてだ?」

 意外だ。秋月は真面目だし、矯正プランで忙しくなっても、勉強時間を増やしていたぐらいだ。何が、よっぽどのことが……。

「友達に、絶交されたから」

 秋月は、ぽつりと言った。

「数少ない友達だったから、ショックだった。何もできなくなるぐらい。受験も受かるか分からなくなって、だからこの学校に応募した」

 そうだったのか。いつだか「入りたくて入ったわけじゃない」と言っていたが、滑り止めのようなものだったのか。

「あたし、こんな性格でしょう。小さいころは喧嘩ばかりして、それが嫌で……感情を出さないようにしているうちに、他人と深い関係なることがなくなっていった」

「人付き合いが嫌いってわけじゃなかったんだな」

「あなたとは違うと言ったでしょう。でも、不得意なのは同じ」

 秋月は自嘲するように笑った。

「その友達とは、気が合うと思ってた。感情を抑えたままで、一緒にいられるって。でも」

 少しの間、言葉に詰まった。

「毎日ちょっとずつ、気になることが積み重なって。それで、あたしが怒っちゃった時……すごく怯えられて。お願いだから、もう話しかけないでって、言われて」

 声が震える。当時の秋月の絶望が伝わってきて、胸が苦しくなる。

「成績が下がるって言われて、思ったの。また同じことが起こるんだって。こ、今度は、ミオにまで嫌われるんじゃないかって……」

 瞳から、ぽろりと雫がこぼれた。

 俺は無意識のうちに肩を抱き寄せていた。自分で自分の行動に驚く。秋月は抵抗することなく、寄りかかってきた。

「……あなたと一緒にいて、分かった」

 鼻を鳴らしながら、秋月は言った。

「あたしには、感情を表に出せる相手が必要だったの」

「春日井さんは違うのか」

「ミオは、感情を出さずに済む相手。我慢してるわけじゃないよ。あの子のの前では、優しい気持ちになるの」

 それは分かる。ちょっと呆れることや、心配になることはあっても、衝突することは無いだろう。この二人は一生喧嘩しないような気がする。

「それに、ミオの前だとどうしても強がっちゃう。だから、それだけじゃだめだったみたい。また嫌な感情を溜め込んで、爆発することになってた。それが、あなたのおかげで変わった」

「俺をガス抜きに使ったのかよ」

 照れ隠しに冗談めかして言ったのだが、

「あなたの前なら、素直になれるから」

 余計照れるようなことを言われてしまった。より深く体重をかけられ、俺は小さくうめいた。

 今の状況を、急に意識する。ここは自分の部屋で、秋月と二人きりで、しかも密着していて、おまけにすぐ側にはベッドがある。これで今いるのがベッドの上だったりしたら、完全にアウトだった。

 理性を保つのに努力を要する状況だ。触れている箇所が熱い。冬野に感じたのとは別種の、だが同じように強い誘惑に襲われていた。

 不意に、秋月が身じろぎした。一瞬で理性が溶けそうになって、反射的に身を離す。

「わ、悪い」

 しまった、肩を抱いたのはやっぱりやりすぎだったか。そう思ったが、

「離れて欲しかったわけじゃない」

 秋月は不満そうに言うと、恨めしげに俺の手を見た。え、またやれって?

 いったん手を離してみると、それはとんでもなく難易度が高いことに思えた。仮にできたとしても、二度と冷静になれない気がする。

「勘弁してくれ。これから冬野のこと考えるんだろ? 真面目にやろう」

「……くっついた方が、効率良く画面を見れる」

「そ、それは無理があるだろ!」

 正当な主張をしたつもりだったが、聞き入れてくれなかった。こいつ、自分だって取って付けたようなこと言うなとか文句付けてくるくせに……。

 話題を変えるように、俺は言った。

「冬野の成績低下が人間関係が原因だろうって言うのは、自分の経験からか?」

「そうね、何となくそう思ったの。根拠はないけれど……」

 秋月は自信なさげに言った。やっぱり勘ってことか。

 だが勘というのは、蓄積された知識と経験にもとづいた、理由を説明できない高度な判断のことだ、という話もある。秋月は、冬野に自分と同じにおいをぎ取ったのかもしれない。

 信じてみるか。結局、秋月が上手くいったのはAIの裏をかいたのではなく、問題の原因を解決したからだった。成功例に従うというなら、冬野の成績低下も原因を考えるべきだ。

「秋月の言うこと、信じるよ。どうすれば解決できるか、一緒に考えてくれ」

 そう告げると、秋月はこくりと頷いた。

 さて、どこから手を付けるか。俺はマウスに手をやると、画面に表示されたデータにカーソルを合わせた。

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