第7話  それでも、君は…… 


「ローブ、今日はもう下がっていいぞ」


「はい、旦那様」


 夜間の仕事も終わり、ビスタグス家・家長イヴァン・ビスタグスの執務室から出ると、俺は足早に執事専用の使用人室へと急いだ。


 今日ロマニエフ領内にエレメント新帝国が、突然の軍事進攻を仕掛けた情報を得た。


 いくらロマニエフに剛武殺儀流冥府派の猛者が揃っていようが、相手はあの軍事国家、鬼の棲み家と言われる30隊の大騎士団を抱え剣帝までもがいるエレメントだ。生まれたばかりの新帝国とは言え、その桁違いの戦闘力は変らない。間違いなくロマニエフは壊滅する。それは別に構わない。だが、制圧されてしまえば特級ヒーラーによるラウへの延命が途絶えてしまう。


 それはラウの死を意味する。


 俺はいてもたってもいられなくなり、ビスタグス家を急いで抜け出そうした。ロマニエフまでは10日の道のりだが、俺なら1日で到着出来る。なんとしてでもラウを救い出し、特級ヒーラーを拉致せねばならない。完全制圧されるまでリミットは数日しかない。


 そんな時、あの抜け目のないミリスがマリアを使い、ロマニエフのスパイである俺を拘束した。叩きのめされた俺は、どのくらい気絶していたのかわからない。さらに追い打ちをかけたのが奴らの魔術と拘束具だった。俺は様々な状態異常に襲われ、身動きも取れず、ひたすら生死を彷徨う果てしない地獄の拷問を受け続け、意識は朦朧とし混濁してゆく。



 ラウを助けなくては……。


 ラウを救い出さなくては……。


 ラウを、ラウを、俺は……。


 意識を繋ぎ止め、何としてでも、ラウを……。





 気が付けば、ミリスとエレメント新皇帝達がいる部屋にいた。俺は瞬時に悟った。ここはロマニエフの邸だ。それはつまり、ここが陥落し完全制圧された事を告げていた。俺は……、間に合わなかった……。






 もうラウはこの世にいない。






 俺は吹き出すようなドス黒い殺意を燃え上がらせた。


 全てミリスのせいだ。俺の身体は糞みたいにボロボロだが、それがどうした! 俺の魂がこの女を、ミリスを殺せと命じている。まだ目は見える、指も動く、あがけ、もがけ、魔力はもうないが構わない、この女を殺さねば、俺はくそだ! 何としてでも立ち上がり殺すんだ。


 俺は自分の不甲斐なさを呪った。


 そして、それ以上にミリスを呪った。


 この女さえ邪魔しなければ、ラウは助かった。


 この女のせいだ、この女がいなければ!


 くだらない金持ちのくそ娘!


 地べたを這いずり回る俺達を、ゴミとしか見ていない貴族の娘!


 小賢しい知恵を振りかざす薄汚い娘!


 この女さえいなければ、この女が存在しなければ!


 ラウを助けられたんだ!


 憎い、憎い、憎い、歯ぎしりする憎悪が滾り、怨嗟に染まる殺意が迸る!


 かけがえのない希望を失くした痛みが、どす黒く塗り替えられてゆく。


 ミリスを殺すんだ!


 ミリスの血で、ラウの死を弔う!


 殺す、殺す、殺す!


 ミリスをこの世から消し去る!







 激しい攻防の末、剣帝に俺は負けた。


 全力で挑み、正面から叩きのめされ、俺は血だるまで膝をついた。奴に勝てば得られる自由を失った。


 ミリスを殺す自由を失った。


 エリーシアもラウもいない人生、俺は死人だ。


 俺は何も出来ずに、


 俺は誰も救えずに、


 ただ、大切な希望ばかりを失う。


 もう俺の手の中は、すっかりからっぽだ。


 血がしたたり落ちて、地面を染めた。


 俺の血は、赤いのか?


 大勢の人間を殺し、大勢の幸せを奪った俺の血。


 ただラウを生かす為に、俺は心を失った。


 俺の血はまだ赤いのか?


 俺の血は……。


 二人の幸せすら殺したのか……。


 ああ、太陽が黒く見える。


 どす黒く染まった世界が見える。


 どす黒いミリスが遠くに見える。


 ラウ、俺の可愛い天使様。


 エリーシア、俺を許してくれ。


 俺の絶望が満ちてゆく。


 暗い絶望だけが満ちてゆく。


 俺はもう疲れた。


 ラウ、最後に力を貸してくれ……。


 誰もが平等な死で、この世界を埋めてしまおう……。


 俺は、俺の魂を捧げる……。


 呪術外法 死累兇













 魂が砕ける。俺は手足を、顔を、身体を、禍々しい黒き精霊達に捕まれ、蝕まれる様に闇の沼に引きずり込まれた。俺はただ深く、深く、堕ちてゆく。


 俺が殺した人達が、俺が生み出した絶望が、俺が裂いた幸福が。


 憎悪が混沌を、悪意が悲痛を、暴力が屈辱を。


 俺の魂は切り刻まれ、俺の心は踏みにじられ、俺の想いは焼き尽くされる。


 怨嗟は慟哭をもって地獄の血をすすり、


 ただ、俺は奴らにされるがままを眺めていた。


 もう、何も感じない。


 俺はもうどうでもいい。


 俺はつかれて、ぼんやりとしていた。


 残された無念は残照へ、残照は忘れがたい思い出へ。


 虚ろに漂う俺の心は、


 ただ、エリーシアとラウだけを想う。


 ただ、幸福の記憶をたぐり寄せる。


 ただ、あの頃に帰りたかった。


 あの小さな家で幸せに暮らしたかった。


 俺は二人を見て、にこにこ顔で笑っていたかった。


 大切な二人を、この命に代えても守ってやりたかった。


 涙がまだ流れて来る。


 涙がまだ教えてくれる。


 俺は……。


















 擦れ行く意識の中で、俺は起こされた。


 何かが弾け外法が薄れたのか? 激しい耳鳴りと全身を襲う激痛、臓器の全てが悲鳴を上げ、頭蓋がまるで歪んでいる様な苦しみ。眼球はナイフで何度もえぐられたみたいに痛み、焦点の合わない視界の中、喉が業火で焼かれた様にひりつく。俺は自分の死骸に、ただこびりついているだけの薄汚い魂だ。


 歪む視界の中、目の前に憎きミリスがいた。


 奴は俺に何かを刺そうとしている。そうか、俺は又しくじったんだな。


 声にならない呻きしか出ない。それでも、俺はこいつを……。


「ローブ、さらばだ!」


 俺の胸に尖った刃が深く刺さった。


 この程度の痛みなど既に感じない。ただ、何かが開いた気がした。


 途端、この世界を崩壊させる様な凄まじい竜巻が巻き起こった。


 天地に膨大な黒き精霊達の禍々しい想念が渦を巻き、俺はその中にいて、天井知らずに増幅される激痛に身を引き裂かれ、耐えがたい苦しみを享受していた。もう、これで終わるのだな、と理解した。










「……、パ…………、パパ…………、パパ」


 懐かしい声が聞こえる。


 やっと俺は帰れたのか。


 忘れるはずがない。


 これは我が家の天使様、ラウの声だ。


 俺は戻って来たんだ。


 ラウ、思い出の中で、これからずっと一緒に、エリーシアと三人で暮らそう。




 俺が目を開くと、降り注ぐような満天の澄んだ星空と、優しく煌めく二つの綺麗な月が見えた。


「パパ!」


 ラウの声、俺を見つめるラウの顔。


 エリーシアとそっくりなオレンジの瞳に、俺と同じブラウンヘアー。


 もう今年で十二歳だ。随分大きくなったもんだ。


 でも、なんでそんなに泣いてるんだ? 何かあったのか? 悪い奴がいたなら、パパがぶっ飛ばしてやるぞ。




「起きたか、ローブ!」




 俺はその声にハッとし、声のする方を振り向いた。


 ミリス、憎きミリスが立っていた。どういう事だ。ここはどこだ。何が起こった。俺は筋肉が上手く動かないが、どうにか上半身を起こして奴を睨んだ。


「ミリス、これはどういう事だ!」


「貴様のつまらん外法は解除した、それだけだ」


「なに!」


 俺が再び憎悪を燃やした時、ラウの顔が目の前に来た。


「パパ! 生きてて良かった! パパ! パパ!」


 ラウが必死に抱きついてくる。


 涙でぐしゃぐしゃになりながら、俺の胸にその顔を埋めている。


 どういう事だ? なぜ、俺は生きている。なぜ、ラウも生きている。


「ローブ、困り顔だな。少し説明してやる」


 ミリスがいつもの小賢しい顔で俺を見下す。


「お前の娘がロマニエフに、呪石化の外法を掛けられたのは知っている。その延命の為、貴様が奴らに汲みしていた事もだ。だから私はグロリアスに頼み、ロマニエフを攻め滅ぼさせた。そして奴らの特級ヒーラーを捕まえ、貴様の娘の生命を維持させつつ、こうして聖女カタリナを連れてこの地に来たのだ」


 俺はミリスの話がすぐに理解出来ない。


「カタリナは秘密だが、今は使える者がほぼいない精霊魔術を使える。しかも神級だ。下卑た呪術外法など、すぐに解術出来る。まあ、今日は魔力を使い過ぎてそこで倒れているがな」


 見ると少し離れた所で、兵士に団扇であおがれながら、聖女らしき女が倒れていた。


「貴様の娘は解術後に、最も安全な私の馬車で静養させていた。万が一ロマニエフの残党がいたら大変だからな。娘は随分衰弱していたが、マリアの回復魔術を使い、もう歩けるまでになっているぞ」


 俺はもう一度ラウを見て、身体が震えて来るのがわかった。


「どうした、ローブ? 久しぶりの再会だ、もっと喜べ」


 ミリスが俺に優しく微笑んだ。


 なんでこいつは俺に、ラウに、嘘みたいだ……。


「ラウ!」


 もう何年もその声を聞いてない。


 もう何年もその瞳の光を見ていない。


 もう何年も、もう何年も!


「パパ!」


 俺はラウをぎゅと抱きしめた。


 ずっと、ずっと、ずっと望んでいた。


 苦しかった、辛かった、耐えていた。


 涙が止まらない


 どうしょうもなく嗚咽する。


 俺はすべての想いを込めてラウを抱きしめて、


 子供みたいに泣きじゃくった。






 暫くして少し落ちついた俺は、ふとラウを抱きしめる手を緩めた。


 俺の手は血ぬられている。多くの命を奪い、多くの罪を犯している。そんな俺の感情を読み取ったのか、ミリスが言った。


「ローブ、お前は、お前が守りたかった者を、今度こそ守り抜け!」


「ミリス……」


「罪は牢屋に入れば終わりか? 罪は死ねば終わりか? 本当の償いはそんなものでは断じてない! お前は既に魔道具で百を超える死を経験しただろう。だが、それでも償いは終わらない!」


 俺はこいつの言葉に唇を噛んで、自分がどうすればいいのかわからなかった。


「いいか、ザックがあれ程ロマニエフを憎むのは、昔同じ道場にいた仲の良い女の子が誘拐されたからだ。私がずっと影てこの件を探っていたのは、うちの使用人の息子がかつて誘拐にあったからだ。多くの人間が出会わなくても良い不幸に出会い、多くの生れるはずのない悲しみが世の中に溢れている。そして私はお前の悲しみも不幸も全て知っている」


 ミリスはそう言うと両手を腰に当てた。


「お前の抱える多くの罪を、その傷で洗え! お前の幸福の対価は、お前の抱える傷だ! 私は裁判官ではない。だから、お前に言うのは、何をしても守りたかった者を、今度こそしっかり守り抜け! お前の魂はそこにおいて絶対に正しいのだ!」


 いつもは憎たらしいくらい理路整然としたミリスが、こんな暴論を話すのを初めて聞いた。


 俺の幸福の対価は、俺の抱える傷。


 俺は大切なラウと過ごす為に、犯した罪を一生背負い、忘れ得ぬ傷を抱き続ける。


 だから覚悟を持て、そうまでして守りたかった者を、何があろうと今度こそ守り抜け、そうミリスは言っている。


 俺は小さく頷き、絶対の覚悟を決めた。


 そこでふと、ラウの頭にささやかにつけられた小さな花が気になった。


「ラウ、この花は?」


「ミリス様に頂いたの」


 無邪気に照れるラウのオレンジ色の瞳。


 エリーシアと同じ瞳。


 ラウの瞳が、忘れないエリーシアの瞳と重なった。


 エリーシアも花が好きだった。


 俺はなんだか胸が熱くなって、また身体を震わせて泣いてしまった。


 馬鹿だな、涙が溢れてくる。


 俺はどんな顔で泣いているんだ。


 何故、ミリスはスパイの俺にこんなに良くしてくれる? ラウの命を助け、俺の命を助け、何故、こいつはこんなにも親切なんだ。


「ミリス、君は何故……」


 俺の言葉を遮る様にミリスは言った。


「人を助けるのに、理由はいらない!」


 そう彼女は強く言い切った。


 その瞬間、俺はかつての訓練所で仲間との殺し合いの後、エリーシアに回復魔術をかけてもらった時の事を思い出した。


「エリーシア、君はなんで魔力枯渇するまで回復魔術を使うんだ? そこまでする必要はないだろ? 」


 エリーシアは鮮やかに微笑んで言った。


「人を助けるのに理由なんていらないでしょ、ローブって変だね」


 屈託なく笑う彼女が、殺伐とした訓練所で眩しかった。


 ミリスはエリーシアと同じ事を俺に言った。


 もうそれで十分だ。


 俺はわかっている。


 彼女が本当は誰よりも優しい事を。


 溢れる涙が止まらないのはそのせいだ。


 俺は一生をかけて、この恩をかえさないといけない。


 動かない身体を無理に動かし、俺はミリスに土下座をして、心から深く礼を述べ、許しを乞い、生涯の主従を誓った。


 エリーシア、見ているか。


 エリーシア、これでいいよな。

 

 もう俺は間違ってないよな。


 俺は心の中でそう呟いてから、もう一度我が家の天使様、ラウの頭をそっと撫でた。






「お嬢様、夜は冷えます。お部屋にお戻りを」


 マリアがバルコニーから外を眺める私にそう言った、


「もう少しだけ眺めていたい」


「かしこまりました。お身体がお冷えになりませぬ様に」


 一礼し下がるマリアを見送り、私は満天の星空を眺めた、


 精霊王の戒杖を使い、イグジスタンスもろとも黒き精霊を滅する。それは悪しき術者を助ける事が鍵だった。理を覆した外法を破壊するのではない。元に戻すのだ。悪しき術者であろうと、元はただの人。その術者を救いたい気持ち。「人は人を救うのが理だ」と、精霊王の聖伝には書かれていた。


 そして、グロリアスに殺さずに監禁を指示したロマニエフ一族と仲間は、ローブにも使ったアーティファクト拘束魔道具の劣化版で、常時激しい激痛が伴う物を使用し、再度拘束した。さらにマリアの魔術をかけ魔石での魔力供給を行い、そのまま王都に送りつける手配をした。奴らにはその寿命が尽きるまで、終わる事のない地獄を味わい続けてもらう。


 多くの悲劇を生んだロマニエフは完全に滅んだ。


 それで終わりだとは思わない。だが、これで終わりにするんだ。


 まったく、面白くない話だ。


 私はもっと面白いものが好きだ。


 ローブの娘のラウも、私の家で見習いメイドにする事に決めた。ラウを使いロープを散々弄んであげよう。ふふ、面白い。


 見上げた夜空は煌いて、ふたつの月は睦まじく、星の明かりは世を慈しむ。そんな変わらぬ静かな世界で、この庭園の清廉で美しい花々は、優しい月の光りを受け、多くの悲劇を慰める様にそっと咲き誇っていた。





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