第七十一話 シャール・ウェイスとミーリィ・ホルム

「消えて」


 眼前に広がるのは、無が広がる灰色の世界。そこにあるのはわたしと、一人の男のみ。

 ぼろぼろの薄汚れた服の男が視界に入ると同時に、敵意に満ちた言葉が口を衝いて出た。


「それが無理な話だとは、貴様も良く分かっておろう?」


 彼は憎たらしい笑みを浮かべてそう言った。

 荒々しい黒の短髪の、大剣と短剣の二つの剣を背負っている男は、座って笑みを浮かべたままじっとこちらを見ている。。


 ——こうして顔を合わせるのは、十年ぶりだったかな。


 彼の言う通り、彼が消えることは決して無い。何故なら——


「千年ぶりだ、意識を持って


 


「魔術師は死後、天に還る——等と言われているが、実際はこの様だ。肉体は死すれども魔腑が残っていれば、魂は魔腑に宿り永遠の時を過ごす羽目になる。こうも長らく幽閉されれば、流石に外界が恋しくなる」


 ——わたしは、外に出て欲しくないんだけど。

 そう思い、眼前の男を睨む。彼はまるでこちらの思考を読んでいるかのように口角を上げた。


「十年以来の逢瀬だ、改めて自己紹介でもしておこう——私はシャール・ウェイス。貴様の右腕に宿る存在、貴様の魔腑の本来の持ち主、そして、貴様の殺しの意志だ」


 シャール・ウェイス。

 忘れたいのに、消えて貰いたいのに、決して忘れることもできず、消えることの無い、わたしの右腕に宿る呪い。


「好きに呼ぶが良い——だが、敢えて私の気に入っている呼び名を教えるとすれば——」


 こちらを弄ぶかのように彼は一度口を閉じ、そしてゆっくりと開け——


「『殺し屋』シャール」


 忌々しい二つ名を、まるでじっくり聴かせるかのように彼は言い放った。

 その言葉に、胸がきつく締められる。


「……やめて」

「いい加減私を受け入れよ、ミーリィ・ホルム。貴様の行く道には私が必要であろう」


 わたしの意思に反して、わたしの言葉を無視して、彼は言葉を紡ぎ続けた。


「やめて」

「貴様がその道を行くには——」

「やめてって言ってるでしょっ!」


 彼を殴るかのような憤怒の叫びが自然と口から飛び出していった。

 ようやく彼は言葉を紡ぐのを止め、わたしをじっと見る。その顔からは笑みが消えていて、彼は目を閉じると同時に嘆息を零した。


「……なら、好きにするが良い。今はまだ、私は何も言うべきでは無いのだろう」


 呆れか苛立ち、或いはその両方を帯びた声でそう言い、彼はその場で横たわった。

 これ以上会話をする気は無いのだろう。わたしは振り返って無の空間を歩き始め——


「いや、一つ聞かせろ、ミーリィ・ホルム」


 後ろから聞こえてきた声に、しかしわたしは反応しなかった。彼から逃げるようわたしは次第に早足になっていき——


「ボスカルの獣と初めて交戦した際、


 その言葉に、体が止まってしまった。


「ともすれば犠牲者一人出すことさえ無かったであろう。だのに貴様はその選択肢を捨て、その結果多くの人が死んだ。何の罪も無い、ただ彼の魔獣に、帝国に苦しめられていただけの者達がだ」

「…………やめて……」


 彼の言ったことは、確かにその通りであった。

 断言はできないが、

 しかしわたしは、その選択肢を取ることができなかった。


 ——呼び出した結果どうなるかなんて——


「結果どうなるか、とな?」


 彼のその言葉——わたしの心を読まないと出てこない言葉に、思わず体が彼の方を向いてしまった。

 横たわっている彼の顔には笑みが一切無かった。だらしなく横たわりながらも、その顔は、その瞳は真剣そのものだ。


「分かりきっているのであれば、それに備えることなど造作も無いことだ。私を呼び出した結果どうなるか分かっている——否。貴様は、過去の恐怖に囚われているだけに過ぎない」


 その言葉に、胸が鈍器で殴られ、凶器で切り裂かれるような感覚を抱いた。

 何一つ反論できなかった。わたしの取り繕いの言葉より、彼の真実を見抜いた言葉の方が圧倒的に正しいが故に。


「…………やめて……お願い……」


 わたしの取れる行動は、ただ拒絶するのみだった。

 その場で蹲り、目を閉じ、耳を塞ぐ。胸は酷く苦しくなり、涙と汗が噴き出してくる。

 外界を遮断しても、わたしの内側にあるものは否応なく現れて、わたしを苦しめている。


 脳内に蘇るのは、。あの時目に映った景色は鮮明に脳裏に現れ、人々の叫喚が耳の奥でこだまする。

 凄惨な光景が、人々の悲鳴が再生されると同時に、胸の苦しみはどんどん酷くなっていく。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい——」


 わたしはただ、止め処無く再生される記憶を掻き消すようにそう言い続けることしかできなかった。


 どういう訳か、意識が徐々に薄れていった。

 それに伴って再生される記憶が朧げになり、わたしの体や声からは力が消え——











 しかし皮肉なことに、シャールのその言葉だけははっきりと聞こえた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る