第六十四話 凱歌は冷たい世界から
大地へと落ちた肉塊は集まって一つとなり、蠢いて獣となる。
またもボスカルの獣はこちらを捉え、猛然と迫り来る。
「操縦士! これで最後だ、魔獣へ進んでくれ!」
俺の一声の直後、戦車は動き始めて魔獣へと迫っていった。
魔獣は疾走しながらその体を蠢かせ、数体の小型の魔獣を生み出した。その獣の群れもまた、こちらへと迫り来る。
——また行動を変えたか。まるでこちらの考えを読んでいるように……
このまま突っ込むのは得策とは言えない。
もしあの魔獣の群れを放置してボスカルの獣本体を討伐すれば、あの群れによって復活しかねない。逆に群れを討伐するとなれば、こちらの手の内を本体に明かすことになってしまう。
この場合は——
「一旦奴等から逃げるぞ! あの群れを本体に戻したい!」
どうにかして分離した魔獣の群れをボスカルの獣本体に戻すのが最適か。このまま突っ込んでも魔獣の群れと交戦するだけになるが故に。
「了か——逃げるっ!?」
戦車は急旋回したが、それと同時に操縦士の疑問の絶叫も響いてきた。その反応も当然だ。何故なら——
「あっちの方が速いぞ!? どう足掻いても追いつかれる!」
普通に逃げるのなら、例え全速力で走っても確実に追いつかれる。
だったら、普通じゃない方法で逃げるだけだ。
——激流よ、戦車を運べ。
「わっ!? 何だぁっ!?」
「うわぁっ!?」
「きゃっ!?」
「うぉっ!」
大きな揺れが生じ、操縦士に通信員、ミーリィとポンが悲鳴を上げた。
「何だ——って、浮いてるっ!?」
戦車の真下の緑の大地を見てポンが愕然とした。
その通り、激流の道路を生み出し続けて戦車を浮遊させている。水流の勢いを強くすれば、奴等から逃げることだってできる。
戦車の通ってきた激流の道の奥には魔獣の群れが見える。だが先程とは打って変わって、奴等との距離は縮まらない。
だからなのだろうか。ボスカルの獣は生み出した群れを取り込んだ。その代わり、無数の砲身が蠢きながら生えてきた。
——砲撃でこちらを倒すつもりか。
ふと、そこで気付いた——この激流の道を利用できると。
蔦のように絡み合った激流の道の中心に奴を誘い込み、凍らせ、討伐する。即席に思いついた策だが、奴を凍らせられる可能性は高い。
「操縦士、ここからの操作は俺に任せろ。ポンは障壁を張ってくれ」
「分かった、任せる!」
「おう!」
二人の返事が同時に聞こえ、戦車を守るように障壁が生じた。
空間の歪み越しに魔獣を睨み——
「——ッ!?」
「嘘、だろ……?」
空間の歪みが消えた。
それが意味することは——ポンの魔粒が底をつき、障壁の魔術を使うことができない。
緊張感による胸の苦しみが、より一層きつくなった。
「ダス、どうしよう……!?」
ポンの震えた声が聞こえてきた。
この作戦が失敗する可能性が高まった。だが——
今ここで退くことなどできない。
「……ポンは中で休んでいて大丈夫だ。操縦士と通信員と一緒に、いつでも脱出できるようにしておいてくれ。後は俺とミーリィで何とかする」
「……分かった……ごめん」
悔しそうな声を零して、ポンは戦車の中へと入っていった。
——ポン、お前はよくやった。
彼を見送った後、背後のボスカルの獣を睨む。無数の砲口がこちらに向けられ——
咆哮が轟いた。無数の砲弾が豪雨のように降り注いでくる。
防ぐことはできない。ならば——
激流が滝のように急降下する様を想像し、進行方向を変える。
戦車は落下するかのように激流の坂を滑り落ちていき——砲弾を間一髪で躱す。
後方で再び咆哮が轟いた。今度は左側面に激流を当てて戦車を打ち出して躱し、砲弾は戦車のあった場所を素通りしていった。
背後を振り返って魔獣を見遣る。魔獣は爆発音のような足音を轟かせながらこちらへと迫ってきており——
「——ッ!?」
その巨躯が大きく蠢いたと同時に、爆発音が消えた。
魔獣の胴体から翼が生え、それを一度羽搏かせるとこちらとの距離を一気に詰めてきた。
——障壁の魔術が使えなくなったことを察した……!?
その巨躯が眼前に躍り出ると、獣の頭が大剣へと変容する。
振り下ろされた大剣を、戦車を打ち出すことで躱し——
「くぅっ!?」
戦車が大きく揺れて落下していく。戦車の中から響いてきた皆の悲鳴が耳を劈いた。
それだけでは無い。戦車の車輪部分が消し飛んでいる。何かに抉られた痕跡が、それを物語っている。
——一体何が——
そしてすぐにその正体が分かった。
正面から翼の生えた無数の肉塊が飛んできた。間違い無く、先程奴が放った砲弾だ。
「糞がッ……!」
迫り来る魔獣の砲弾にぞわりと総毛立つ。
——激流よ、奴等に追いつかれない勢いで戦車を飛ばせッ!
その直後、猛烈な勢いで戦車が激流に押し出される。吹き飛ばされないように昇降口の縁を強く握り、魔獣と砲弾に目を向ける。
砲弾はボスカルの獣の体に吸収され、本体だけが猛然とこちらを追い始めた。
——いや、これで都合が良い……!
奴は砲弾一つで復活しかねない。だとすれば、この状況を可能な限り維持するだけだ。
そのまま既に張り巡らされた激流の道の間を進んでいく。
後目にボスカルの獣を見遣ると、その頭は扇状に広げられた五つの大剣へと変容していた。
——糞ッ、躱せるか……!?
翼を羽搏かせてこちらとの距離を一気に詰め——大剣が振り下ろされる。
その瞬間にボスカルの獣の真下を通るように戦車を打ち出し、辛うじて躱す。
砲撃に晒されないよう急旋回し、再び奴との距離を離す。
奴は振り下ろした大剣の頭を持ち上げるとすぐさまこちらを猛追し始める。
奴を翻弄するように、そして激流の道を張り巡らせるように縦に、横に、斜めに——縦横無尽に戦車を激流で打ち出し、奴の猛追から逃げ続ける。
ボスカルの獣もまたこちらに一気に肉薄しては大剣を振り下ろすを繰り返し——
——そろそろ充分か……?
平原には蔦のように絡み合った激流の道ができていた。
奴を誘き寄せるよう、激流の道の中心の真上に戦車を打ち出す。奴はこちらから視線を離さずに翼を羽搏かせ——
——激流よ、戦車を真下目掛けて打ち出せ。
その願いと同時に昇降口の蓋を閉め——強烈な衝撃に戦車が揺れた。
「うわぁっ!?」
「きゃぁっ!?」
落下の勢いに全員の体が浮く。それによってミーリィがこちらへと近付いてきて——
「ミーリィッ!」
そんな彼女に手を伸ばした。
「——はいっ!」
彼女は咄嗟に俺の手を掴み——彼女をこちらに引っ張って寄せる。
彼女の手を握ったまま昇降口の蓋を開けて外へ飛び出し——
「ごがああああぁぁぁぁ————————っっっ!!!」
水を浴びた大剣の獣が、すぐそこまで迫っていた。
激流の網の中に突っ込んで猛追してくるボスカルの獣、奴はその大剣を天高く掲げ——
「今だミーリィッ!」
「はいっ!」
——激流よ、魔獣の体内よりそそり立てッ!
彼女と共に願う。
奴の体内に注いだ魔粒——それが願いに呼応し、無数の激流の柱が奴の体を貫いて生じた。
そして同時に寒波が奴に襲い掛かり、激流の尽くを凍てつかせる。
「がぁぁっっっ!?」
こちらの目論見通り、ボスカルの獣は困惑したような咆哮を轟かせた。
当然、この隙を逃すつもりは無い。
——激流よ、奴の首を斬り刻めッ!
巨槍の穂から長大な激流の刃が生じる。巨槍を振り上げ——
刃がボスカルの獣の頭を縦に斬ると同時に、その軌道から無数の激流の刃が生じて更に斬り刻んだ。
奴の頭は無数の細かな肉塊となり、分かたれた大剣、そして血と内臓と共に零れ落ちてきた。
咄嗟にミーリィを抱え、激流を願って俺達を打ち出して躱す。
魔獣の大剣は大地に深々と突き刺さり——
「……やった、か……?」
着地してミーリィを下ろし、無数の肉塊となったボスカルの獣の頭をじっと見る。
それは一切動く様子が無く、だらだらと血を垂らしているだけである。では、体はどうだ?
頭上の巨躯を見上げると、断面から血を滝のように零しているだけで、こちらもまた動く様子が無い。
つまり——
「……勝った」
「……勝ちましたね、ダスさん……」
勝利を噛み締め、力が抜けたかのように俺達は緑の大地の上に横たわった。
緊張から解放され、冷たい風が非常に心地良く感じられる。
お互いに肉体も精神も疲れ切っていた。ただ微笑を零すだけで、それ以外には何も——
——いや。
巨槍を手に取る。彼女といつもしている、お互いの健闘を讃える為の、古来より続く仕草の為に。
「ミーリィ! ダス!」
遠くから聞こえてきたのはポンの声、それに続いて操縦士と通信員の呼ぶ声と、鳥の鳴き声——
鳥。
ボスカルの獣が展開していた鳥の、けたたましい鳴き声。
悪寒と戦慄が全身を支配した。
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