第十八話 あの時の記憶

 ほんのふとした拍子だった。


 おれの右腕の包帯が——ゲロムスの魔術師であることを隠す包帯が、破れてしまった。


 ただそれだけだった。


 それだけで、おれの人生に暗い影が落とされた。






「ゲロムスの魔術師……! やはり滅びていませんでしたか……!」


 小さな街の中で、突然おれ達の前に現れた男。彼は感動と興奮の混ざった表情でそう言った。どこか不気味さを感じさせる様子だ。


「失礼。我々はヘローク教団ネドラ派——そして私は魔卿のジャレン・ラングルです」


 咳払いをして、ジャレンと名乗った男はそう言った。


 ネドラ派といえば、新ダプナル帝国の国教だ。やはりおれ達が滅びていなかったことを確信していたのだろう。帝国がラードグシャ地方に兵隊を送っていたことからもそれは窺える。


「大方想像はつきますが……我々に何の用ですか? 『魔術師喰らい』の皆様」


 優しく、しかしどこか蔑むように父さんがジャレンに問い掛けた。


 同じ最大級の宗派であるイレーム派とは異なり、ネドラ派は魔腑を信仰しており、それもあって魔術師から『魔術師喰らい』と忌み嫌われていた。今も魔術師の時代もそれは変わらない。

 同胞の腕を食われて何も感じない奴なんて、そうそういないだろう。


「何も難しいことではありません。魔術師の王の魔腑——それを我々にお譲り下さい。或いは、魔皇ヴィラス・ノルバットの望む世界になるよう協力して下さい」


 書物で多少は触れているネドラ派の信仰、そのクソさが窺えるような要求を、ジャレンは平然としてきた。大方、最初に言った方が本心であろう。


「勿論、協力して頂ければ貴方達の地位を保障します。恐らく……魔皇と同等の地位ですかね。何にせよ、永遠に遊んで暮らせる地位ではあると思います」


 彼は微笑んでそう言った。悪意を感じさせない朗らかな笑顔……しかし、悪意無く告げられた先の要求。それが不気味さに拍車をかけている。


「魔術師の王の魔腑を譲る、或いは皆様に協力するとして、皆様はその果てに何を望んでいるのですか?」


 今度は母さんがジャレンに尋ねた。すると彼は「よくぞお尋ねくださいました!」と言わんばかりに口角を上げて答える。


「我々の目的、それは平和な世界を齎し、人類を高みに導くことです。より具体的に言えば、魔腑を調整して魔術による社会基盤を作り、そして人類のゲロムスの魔術師化を目指す——、とでも言うべきでしょうか」


 ——魔術による社会基盤、人類のゲロムスの魔術師化、そして魔術師の時代の再現。


 その発言におれも両親も呆気にとられるが、理解はできた。

 ……要求自体は悪くない。魔術師の時代と同様の地位を取り戻し、生活の水準を上げ、再び魔術師の時代を築き上げることができる——そこだけ考えれば、呑むべきだ。


 しかし、奴らは数百年もの間何をしてきた?


 おれ達魔術師を殺しまくり、その魔腑を喰らう。それが天に還る術だと信じ、奴らは何百、何千、何万もの魔術師を殺して喰らってきた。

 そんな奴らを、信用できるとでも?


 そもそも、おれ達は魔術師の時代に起きた悲劇を二度と起こさない為に隠れて生きている。

 というか、人類のゲロムスの魔術師化って何だ? おれ達に子供を作らせまくって、その右腕を切り落として、人間に食わせるのか? 不可能じゃ無いが、気持ち悪すぎる。


 ……おれ達の結論は、一つしかないだろう。


「無理」

「お断りします」

「ごめんなさい」


 ほぼ同時に、真っ直ぐに拒絶の言葉が放たれた。父さんも母さんも、やはりおれと同じ意見だ。


「……そうですか」


 おれ達の拒絶に、ジャレンは落胆の表情を見せ——


「——では、武力行使しかありませんね」






 ゲロムスの魔術師といえど、戦闘経験が無ければ碌に戦えない。

 雑兵への対処はできるが、戦闘慣れした奴やジャレンのような完全な魔腑を持つ奴に関しては防戦一方である。


 おれ達は小さな街から逃げ、ネドラ派の連中から逃げ——恐らく数日は経過しただろう。逃げることに夢中になっていたあまり、どのくらいの時が経ったのか分からない。


 おれ達はぼろぼろだった。何日も休むことなく逃げ続け、時に奴らと戦う。魔粒は尽きては再生してを繰り返し、足には疲労による痛みが走っている。


 一方でネドラ派は数に物を言わせておれ達を休ませること無く追い詰めてくる。

 さらにジャレン以外にも魔卿がいるようで、量も質も段違いだ。


 一旦奴らを撒くことはできたが、逃げおおせた訳では無い。すぐに追いつかれるだろう。

 それでも、疲れた体を少しでも癒す為に、視界の悪い森の中で休憩を取っている。


 ……全部、おれのせいだ。おれが包帯を破かなければ、おれが外の世界を体験したいなんて言わなければ、こんなに苦しむことは無かった。おれ達魔術師が狙われることも無かった。


「……ごめん、父さん、母さん」


 震えた声が、思わず口から出てきた。


「どうしたんだ?」


 父さんと母さんが心配そうな顔で、俯くおれの顔を覗き込んでくる。


「おれのせいで……こんなことに……」


 そう言うと、二人はまるで何かを示し合わせるかのようにお互いをじっと見た。そして目を閉じて何かを願っているような素振りを見せ——


「ポン」


 母さんが、おれの両肩に優しく手を乗せてきた。


「魔術って、何の為にあると思う?」


 急によく分からない質問をされて、頭が真っ白になった。

 反芻して質問内容を理解しても、よく分からない。というか今はそんなことをしている場合では無い。


「わ、分かんないけどさ……でも今そんなこと——」

「大事なことだから、ちゃんと聞いてね」


 疑念を口にするおれを強く遮り、こちらの目をじっと見て母さんは続ける。


「魔術の本質は、人の願いに応えること。辛い思いや苦しい思いをしている時に、何か困っている時に、その人を助けてくれるもの」


 そう言う母さんの声は次第に震えていき——遂に涙を流す。


「母さん……?」

「この世界は、確かに腐っている……でも、それと同時に、救われたいと願っている人もいる」


 母さんの言っていることが理解できない。それがこの状況とどう関係が——

 胸の辺りが気持ち悪くなる程嫌な想像が、脳裏を過った。


「待てよ母さん……父さんも……! おれを逃が——」


 父さんの手がおれに触れた瞬間、おれは喋れなくなった。

 相手の行動を制御する魔術であろう。でも、父さんの特化魔術にそんな魔術は——


 まさか。先程の願っているような素振り——あの瞬間に、奇跡魔術としてこの魔術を得たのか。


「だから、困っている人がいたら、苦しんでいる人がいたら、そんな人達を守れるような魔術師になってね。当たり前のことだけど、それが私達——ゲロムスの魔術師が生まれた理由なのだから」


 すると、おれの体が消えた。消えたというよりは、景色と同化した。母さんもまた、この状況で姿を消す奇跡魔術を得たのか。


 ——やめろ。嫌だ。たとえ苦しくても、父さんと母さんと一緒にいたい! 父さんと母さんと一緒なら、きっと——


「こんなお別れで、ごめんね」


 ——謝るなよ! 謝るくらいならずっと一緒にいろよ! というか謝るべきなのはおれだろ!?

 口を動かすことのできないおれは、心の中でそう叫んで涙を流すことしかできなかった。


「でも、きっといつか、また会えるから。その時は成長した姿を見せてね」


 そして涙を流している母さんは、おれを優しく抱きしめた。仄かな温かさと心臓の鼓動が伝わる。

 そして腕を放した。体は冷気に当てられてすぐに冷たさを感じる。


 抱きしめられた温もりが、母さんの鼓動の感覚が、体から消えていく。それがまるで、おれと父さんと母さんの別れみたいに思えてしまって——


「——ありがとう、私達の、可愛いポン」


 普段なら心地良く感じる冷たさが、酷く苦しく感じた。

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