ゲロムスの遺児 —魔術を継ぎし者達の、世界を変える物語—

粟沿曼珠

第一章 謎の少年との邂逅

バイドーグシャ地方にある大都市ボリアに訪れたミーリィとダスは、ある組織に追われる少年ポンと出会う。この出会いが、二人の、そして世界の運命を大きく変えるのだった。

第一話 序章 ~孤独な逃走~

 外の世界を体験したい——その一言さえ言わなければ。


 おれには知識が無かった。外の世界の人間が、おれ達のことをどう見ているのかということ。どういった理由で、おれ達を狙っているのかということ。そして、おれ達はもう以前とは違うのだということ。


 ……いや、これはただの言い訳だ。幼い頃から何度も教えられたじゃないか——外の世界は危険だから、出るべきではないのだと。おれは己の欲望で星のように輝く外の世界に手を伸ばし、教えを破った——それに過ぎないんだ。

 何度悔いても、時の流れが逆になることは無いのだけれど。悔いたところで、この状況から脱却できる訳では無いのだけれど。それでもおれは、何度も己の軽率な発言を悔いる。


 後悔と苛立ち、悲しみなどだけで無く、何日も走り続けたから、胸がとても苦しい。脚が痛い。心も体も、もう限界だ。

 しかし、悲鳴を上げる心と体を、それでも何とか動かして、ただひたすらに夜闇に包まれた森の中を走る。月の光も星明りも、この深淵には届かない。おれの走る姿は、勝てない敵にみっともなく抗っているかのような、無様な姿なのだろう。


 走りながら後ろを向く。暗闇で敵の姿は見えないが、地鳴りのような足音と声は聞こえてくる。奴らはきっとすぐそこまで来ているのだと、緊張感が一層強まり、おれの脚は自ずとより速く動いていた。

 どれだけ走っても周りには木々があって、追手の足音も消えなくて、ずっと同じ方向に走っているのに、自分が本当に逃げているのか分からなくなって——


 気付いた時には、森の外に出ていた。


「あ——」


 ふと、空を見上げた。星々の輝く紺色の空、その東方は仄かに明るくなっている。我ながら、よくやったと思う——が、達成感を感じるにはまだ早い。問題はまだ解決していないのだから。


 目線を下ろして前方を見ると、広大な大地の先に街が見えた。国の首都なのか、今まで訪れたどの街よりも大きい。

 奴らを撒くには、あの街しか無い。食料は無く、道具も短刀しか持っていないが、あそこなら物を盗みやすいだろう。そう思い、あの広大な街へと駆けていった——深く考えもせずに。


 この選択が間違いだと気付いたのは、実際に街の中に入ってからであった。




 当然のことではあるが、一晩中走った際の疲労は尋常なものでは無い。暗い路地へと逃げたおれは、疲れを癒そうと石畳の上に座った。火照った体にその冷たさが心地良く——


 目を覚ました時には、太陽は空の天辺で燦々と輝いていた。


「——ッ!?」


 疲労と心地良さで寝落ちていたことに気付いたおれは、飛び上がるように起きる。右腕の包帯がしっかりと巻かれているか確認し、路地から大勢の人が行き交う大通りへ顔を覗かせ——たが、咄嗟に引っ込めた。


 ……この街の人間が、おれを狙っていない保証はあるのか?


 追手が民間人に変装している可能性もあれば、追手とは関係無く自分を狙っている可能性もある。


 ——外の世界は危険だから、出るべきではない。


 様々な可能性と仲間の言葉が次々と思い浮かんでいき、おれの心は焦燥と恐怖に支配された。体は震え、背中に汗がぶわっと湧き出てくる。

 明るい大通りへと出ようとした体を暗い路地へと戻し、ごみの山で身を隠すように座る。虫が音を立てて飛んでいるが、そんなことを気にする余裕など無かった。


 ……この街の全てが敵と言っても過言じゃないこの状況で、どうやって逃げれば良いのだろうか?


 そう思い、考える——けれど、その答えが見つかることは無く、この路地の闇に包まれて、いつ来るか分からない追手に怯えながら過ごすことしかできなかった。


 ……父さん、母さん。おれ、生きて帰れるかな……? 皆と再会できるかな……?






「例の少年の件で」


 本棚に囲まれた部屋の中、椅子に座って本を読む俺の前に、従者が現れた。丁度話が盛り上がったところではあるが、従者へと視線を移した。従者の額には汗が垂れているのが見える。


「どうした?」

「例の少年ですが…………見失ってしまいました」


 ……見失った?


 俺は従者を睨んで本を閉じ、机に激しく叩きつける。何故多くの人員を動員したのに、子供一人捕まえることができないのか。そんな簡単なことを、何故失敗するのだろうか。


「——ッ!」


 従者は声を上げずにぶるっと震えた。その顔は恐怖に染まっているが、俺の怒りの原因は貴方達であろう。


「子供一人捕まえるのに何十、何百人も動員して、見失いました……か」

「で、ですが——」


 俺の怒りを抑えようとして、いつものように従者は言い訳がましく切り出した。いつもこうだ。俺は思わず溜息を吐いた。


「ボリアに逃げたのは確実です! ですから——」

「そうか。だったら——」


 従者の言葉を遮り、息を吸い——


「ボリアを封鎖してでも捕らえ、ここに連れてこいッッッ!!! 絶ッッッ対にだッッッ!!!」


「はいっっっ!」


 従者はぶるっと震えて怯えた声で叫び、走ってこの部屋を後にした。叫んだ際に自然と立ち上がってしまったので座り、本を手に取る。しかし、今は本の内容よりも例の少年のことが気になってしまう。


 ……それも仕方の無いことである。彼は我々の悲願にとって重要な要素の一つなのだから。彼さえ我々のものになれば我々は、いや、この世界は——

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