第20話 全てを知る者

 「ゴールデン・ウィーク」という数日の休み期間、僕は猛勉強をした。かつて剣術や魔法でもここまで苦労したことがあるだろうか、というくらいにこの世界の授業はレベルが高い。この休み明けには、現代文の授業で漢字の書き取りテストがあると告知されていた。


『漢字? ひらがな? カタカナ? それにアルファベット……? この世界の住人はいくつの文字を使い分けているんだ!?』



 結局、どの程度身についたのかわからないまま、テストのある現代文の授業の日を迎えた。とても気温が高い日で、温暖な気候の祖国、聖エグゼリアに少しの間、思いを馳せる。


 僕は配られた問題用紙を眺めて、まるで魔物に剣を向けるかのように覚悟を決めた。結果が悪くても死ぬわけではないが、勇者の名に恥じない成績を残さなければ……。


 そのとき、突然教室内が騒がしくなった。僕は街に魔物が入り込んだ時の光景を思い出した。だが、目に映ったのは、少しばっかり大きめの蜂の姿だった。


『こちらの世界ではこんな蜂程度で大騒ぎするのか……。裏を返せば、あの蜂に恐怖を感じるほど、それに勝る恐怖が存在しないんだな』


 僕は蜂程度で驚きはしないが、念のためその動向を見守った。毒がある種類のようだったので、万が一にもホーリー・メイデンに危害が加わることがあってはならないからだ。


 すると、その蜂は僕の思考を嘲笑うかのように、ホメ子さんの背中へと降り立った。僕の力なら、この場から一瞬で彼女の元にいって蜂を葬り去ることができる。だが、それはあまりにも目立ち過ぎる。

 一般的に蜂は、こちらから手を出さなければ毒針で刺してはこない。少し怖い思いはするかもしれないが、ここはホメ子さんに我慢してもらおう。


 もしも、わずかでも蜂が毒針を使う気配を感じたらそのときは容赦しない。僕は念のため、身体の中で臨戦態勢を整えつつ、蜂の動きを注視した。


 そして、僕は気付いた。


 この蜂……、教室に入って来た直後とは明らかに気配が違う。


 明確な殺意をもってホメ子さんの背中にいる。


 僕は多少のリスクを冒してでも、蜂を抹殺することに決めた。


 ――その時。



「蜂さんは完全に私の死角に入ったんですね! 凄腕の暗殺者さながらの動きです! 表彰ものですよ!」



 ホメ子さんがこの言葉を発した後、蜂から殺意が消えた。


 だが、僕は見逃さなかった。


 蜂が放っていた気配と同じものをこの教室内で発している者がいると……。


 ――その気配の先は、君なのか!?


『谷地田くん、君が殺意の源か……。目的はわからないが、君がホメ子さんに手を出すようなら僕は容赦しない』


 クラスメイトとしてお互いに「テル」、「イサミん」と呼び合っている仲だが、この殺気は間違いなかった。


 ――その時。



 彼の殺意とはまた別の「なにか」の気配を感じた。これは人ではなく、僕の知る中では「呪い」に近いものだった。その「なにか」は教室の黒板付近に姿を見せようとしていた。


『これは!? よくわからないが危険なもの、ということだけはわかる』


 今度こそ僕は戦おう、と思ったとき、強力な力を宿した教科書……いや、「強化書」が「なにか」を直撃し、それはこの場から消失した。


 強化書を投げたのは、普段は大人しそうな女子生徒「夏木 凛」、通称「リンさん」だった。教室のみんなは彼女が投げたものが、ただの「教科書」だと思っている。誰も彼女が本に宿した「力」に気付いていないようだった。


 僕は近くに落ちたその本を拾おうとした


――その時。


 さっきから一体なんなんだ!?


 今度はこの教室全体が、先ほどまでとは明らかに違う空間へと隔離されたようだ。教室全体の人が、物が、時が……動きを止めている。だが、僕は普通の人間とは違う。この状況でも動くことができた。


 そして驚いたことにもうひとり、この空間で動ける人物がいた。彼女は「杉浦 灯」、通称「ウララさん」と呼ばれてる派手な女子生徒だ。彼女は、突如ここに現れたおそらくこの教室を隔離したであろう人物と、特に問答もなく戦い始めたのだ。


 一瞬、彼女に加勢しようかと思ったが、彼女についても、戦っている相手に関してもあまりに情報が不足している。幸い、どちらも僕が動けるということに気付いていないようだ。ウララさんがピンチにならない限りは、悪いけどこのまま他の生徒と同じで動けない「フリ」をさせてもらおう。


 それにしても、なんて姿勢のときに時を止めてくれるんだ。教科書を拾おうとして中腰になったときに空間が切り離されたので、僕はとても中途半端な姿勢で動けないフリをしなければならなかった。


『この姿勢っ! 辛すぎるから早く戦いを終わらせてくれ!』


 僕は心の底からウララさんを応援していた。




 「リンさん、教室で物を投げるのは危ないですよ?」


 僕は何事もなかったかのようにリンさんの教科書を拾って彼女に手渡した。本当は変な姿勢で固定されていて、筋が違えそうだった。ウララさんが戦っていた空間の出来事はどうやら僕以外は誰も認知できていないようだ。



「イサミんは、本を拾って手渡すだけでもカッコいいですね! 陽射しを浴びてなんかこう……『選ばれし者』って感じです」


 ホメ子さんがこう言った。


 ――「選ばれし者」だって!?


 そう、ホーリー・メイデンは、「選ばれし者」、すなわち勇者に聖なる力を授ける存在といわれている。ひょっとして彼女は覚醒はしていなくても、僕が勇者だと気付いているのか?


「はははっ、ホメ子さんはおもしろいなぁ」


 僕はホメ子さんの表情を窺ってみたが、特になにかを意図しているようには感じられなかった。今の発言は単なる偶然なのか?


 僕の役目はホーリー・メイデンをお守りすること。それはとても簡単な任務だと思っていた。ところが、今この瞬間から僕の考えは変わっていた。


 「テル」、「リンさん」、「ウララさん」……君たちは一体何者なんだ。


 もし君たちが僕の目的の障害となるのなら……僕は容赦しない。


 僕は……勇者イサールは、なにを敵に回してもホーリー・メイデンを守る覚悟があるんだ。

 

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