第6話 悪魔③
放課後の廊下を歩く。
相変わらずのドレスのような改造制服で、スカートをなびかせながら。
指先は意味もなく壁をなぞる。足元は踊るようにスキップをする。
上機嫌だ。
彼女が上機嫌でない日などない。
何もなくても楽しそうなのが、桜木姫という少女だった。
「ちょっと君」
突然、背中から声をかけられ振り返る。
「姫?」
「そう、君」
呼び止めたのは、背の高い男子生徒だった。上履きの色は三年生のもので、一つ先輩にあたる。
「普通の制服着なよ。先生からも注意されてるでしょ」
「んー、誰?」
いきなり叱られた。
部活の先輩ならともかく、何の関わりもない上級生からなんて初めてだ。普通はスルーするのに、変わった人だと思う。
叱責する声は静かだが、凛として鋭い。
下手な大人よりも余裕のありそうな少年は指定の学ランをぴっちり着こなし、清潔感のある黒い短髪で、好青年然としていた。
どっかで見たことある顔だな。
今しがたその生徒が出てきた教室には、『生徒会室』と書かれていた。
「あ! 生徒会長か!」
「そうだけど……、敬語使いなよ。一応先輩だからさ」
生徒会長は呆れたように嘆息すると、続ける。
「君の話は色んな人から聞いてるよ、桜木。実際会ってみると衝撃がすごいね」
彼は姫を上から下まで眺めて、
「髪色、髪形、制服は言わずもがな。……それはカラコンかな? 堂々としてるよね、まったく」
彼の言葉は、内容に反して咎めるような響きがない。宿題を横から覗き見て、ここ間違ってるよと指摘するような口調だ。
姫は自慢の髪や服への視線を受けて、むしろ誇示するように両腕を広げて見せた。
「かわいいでしょ?」
「あまり興味ないから、そういうのはわからないな」
「なあんだ、つまいないの。あ、あと、この目はカラコンじゃなくて生まれつきなんだよ。すごいでしょ?」
「そうなの? ごめんね、知らなかったよ」
律儀に謝る生徒会長に、姫は真面目という印象を抱く。役職に偽りなしだ。それから、物怖じしないなとも。
この学校にいるほとんどの生徒は、外見や噂から姫を恐れる。初対面の相手には壁を作られてしまうのだが、今はそういった精神的な隔たりを感じない。普通に雑談が成立しているのがいい証拠だ。
姫は少し嬉しくなって、尋ねる。
「先輩は、姫のこと怖がらないんだね?」
「そうだね。君を見ても、噂ほどの恐ろしさは感じないな」
生徒会長はふむ、と顎を引いて、
「みんな怖がるばかりで、踏み込んで知ろうとする努力をしないからじゃないかな? 野次馬なんだよ、要するに」
凛とした口調で、刃のように鋭いことを言う。
彼は好青年な外見とは裏腹に、あけすけな物言いをするらしい。
それもそのはずで、生徒会長とよくつるんでいる友達は同じような優等生の面々ではなく、以外にもやんちゃなグループだ。
「『生徒会長は真面目そうに見えて案外不真面目』なんだもんね?」
「? なにそれ?」
「先輩の評判だよ」
「俺の噂ってそんなことになってるんだ。否定しないけどさ」
学校をサボって公園やゲームセンターにたむろしている彼を、姫も何度か目撃したことがある。その時は生徒会長だと気づかなかったが、今結びついた。
同類を前にして、姫はいたずらっぽく笑う。
「似た者同士だね。姫たち」
「君と俺は全然違うと思うけど」
「えー、そうかなー」
どことなくシンパシーを感じて、姫は目の前の上級生に強い興味を抱いていた。
生徒会長の方は、何でもないような涼しい顔をしていたが。
彼は「まあ、なんでもいいけどさ」と前置きして口を開く。
「とにかく君は、校則破るならもっとバレないようにやりなよ。あからさますぎて、見てみぬふりもできない」
話を最初に戻した生徒会長に、姫は「えー」と反抗する。
「バレてもバレなくても同じじゃない?」
「違うよ。全然違う。バレたら人に迷惑がかかるでしょ」
その言葉に、姫は首を傾げた。
そんなの当たり前じゃないの? という顔をしている。
彼はわかっていない彼女に、だってそうでしょ? と手ぶりで告げると、
「悪いことは楽しいけど、そのフォローを周りにしてもらうなんて、ダサいと思わない?」
そう、真っ直ぐな声で語った。
責任の問題だよ、と最後につけ加えて。
「ふーん」
姫の中で、生徒会長に対する印象が変わる。
彼は、真面目そうに見えて案外不真面目。と思いきや、やっぱり真面目かもしれない。
不思議な性格だ。
面白い人だな、と思った。
「ちゃんとした格好しなよ。先生たちかわいそうだから」
それだけ言って、彼は去って行く。
その後ろ姿に、ちょっとカッコいいかもな、という感想を抱いた。伸びた背筋とか、迷いのない足取りとか。
淡い誘惑のようなものを覚える。
盗みたくなるほどではないけど魅力的。
そこそこの悪魔って感じだ。
♥
ある昼休みのこと。
姫は教室の席に着き、ノートと真剣ににらめっこしていた。
彼女は今、悪魔っぽい文字の書き方を研究しているのである。
丸文字でかわいらしく? それとも力強くカッコよく? いっそのこと、象形文字のような尖った個性を追求してみようか。
珍しく一限目から登校してきたと思ったら、授業もろくに聞かずにずっとそれだけを考え続けていた。開いたノートには、色んな種類のはひふへほが百通り以上も。
は行で試している理由は、ひらがなで一番好きな行だから。
ふと、悪魔みたいな人とはどんな人だろうと疑問が湧いた。
そこから、悪魔みたい人は脳まで悪魔なのだろうかという思考に繋がり、脳まで悪魔なら書く文字も悪魔的なんだろうかという考えに行き着いてからというもの、ずっと新しいフォントを作り続けている。
こうなるともう、納得のいく答えが出るまで動かない。
下校時刻になって、「早く帰れ!」と大声を上げる前川の姿が目に浮かぶようだ。
「ていうか、めっちゃ髪形変えたね」
「うーん、ちょっとイメチェンしよっかなって」
「かわいー」
教室の後ろの方から、そんな会話が聞こえてきた。
あまり気に留めず、姫はシャーペンを走らせ続ける。
「やっぱ、会長のため?」
からかうような口調で尋ねる声がした。
その瞬間、姫の手が止まる。
「えー、そんなことないよぉ」
それはおそらく、髪形を変えたらしい子の声だった。
口では否定しているがトーンが上がっており、浮かれている様子が伝わってくる。会長のためなのだろう。
興味深い話だと、姫は聞き耳を立てる。
後ろを振り向いたらバレてしまうので、彼女は窓ガラスの反射による像から、彼女らの姿を把握する。
映ったのは、小柄な女子生徒。
たしかに、その髪形は変化していた。これまで快活なポニーテールだったのをばっさり切って、下ろしている。
彼女はたしか、生徒会の書記だったはずだ。やはり会長というのは生徒会長のことか。
「清楚な子がタイプだって、言ってたからさ……」
「やっぱ会長のためじゃーん」
書記の子は困り顔で「ちがうよっ」と弁明している。だが頬は紅潮し、表情ははにかんでいた。
生徒会長のことが好きなんだな、と思った。
ドクンと、心臓が跳ねる。
書記の子はいわゆる、恋する乙女というやつだ。話題に出すだけで声が上擦り、顔を思い出すだけで夢見心地になるほど、生徒会長のことが好きなのだろう。
そして生徒会長は、それほどの恋情を抱えた女の子に好かれるような、魅力的な男の子。
そう考えると、なんだろうな、ゾクゾクする。
数日前に見た生徒会長の姿。その記憶。
美化されていく。
禍々しく、おどろおどろしく、蠱惑的に、変貌していく。
美味しそうなチョコレートケーキに出会ったときのような、そんな気分になった。
「小学校のときから好きなんでしょ? 早くしないと会長卒業しちゃうよー?」
「もうっ、そんなんじゃないってばっ」
「だいじょーぶだって、絶対脈アリだから!」
どうやら書記の子と生徒会長は、付き合いが長いらしい。
どうやら書記の子と生徒会長は、イイ感じの雰囲気らしい。
へぇ。
きっと書記の子にとって生徒会長は、ずっと心の片隅にいるような人なのだろう。
きっと彼との思い出や、記憶は、すごくすごく大切なモノなのだろう。
大切なモノ、なのだろう。
へー……。
綺麗な宝石と出会ったときのような、そんな気分になった。
ますます魅惑的になっていく。
見た目だけじゃない、匂いも、声も。
何もかもが、姫のことを誘っている。
これは、ちょっと抑え切れないかもしれない。
心臓がすごい勢いでドクドクいってる。血液が沸騰している。
これまでで、一番強い悪魔だ。
今、姫はきっとすごい顔をしている。
見た人がドン引きするくらい、邪悪で、恍惚で、気持ち悪い笑顔を。
なんでかなあ。
なんで人のモノって、こんなに魅力的に映るんだろう。
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