現代アート「私」
雪村 緑
プロローグ コンプレックス
東京藝術大学。
日本で唯一の国立美術大学にして、頂点。
秋頃に催される文化祭には才気あふれる学生たちの作品が展示され、その筋ではない一般客からの注目も高い。
学生の展示室の一つに、異様な作品があった。
人間が、いるのだ。
絵画、彫像、マケット。そうした作品が並ぶ中、人間が、展示物としてそこにある。
人形ではない。人間だ。生きた人間の女性。
瞬きもする。目玉も動く。しゃがんで微動だにせず、こっちを見ている。
一般客は虚を突かれて思わず声を上げ、芸術家たちは各々の反応で関心を寄せた。
完成度の高い作品が並ぶ中で、そのジャンルすら不明瞭な代物が一際の視線をさらったのは、決して目新しさだけが理由ではない。
生々しくもほの暗い闇のような、痛ましいいじめのような、怖いもの見たさのような、人を惹きつける負の魅力が、そこにあるから。
それは黄色かった。
顔面からくるぶしまで、肌の露出している部分はすべて原色の黄色でペイントされていた。
それは黒かった。
髪、目。既製品とは違う墨のような染料で、あるいは特殊なカラーコンタクトで元の色の上から塗りつぶし、黒であることをより印象づける黒を作り出していた。
それは小さかった。
何らかの特殊メイクか、錯覚を利用したか、百四十センチほどの低身長に見えるような工夫が施されていた。さらに腕も、脚も、体に対して極端に短くなっており、酷くアンバランスで醜い。
それは平らだった。
これも特殊メイクか。目のくぼみはほとんどなく、鼻も削られたかのように低く、不自然なほどに凹凸がないせいで膨らんで見える。顔だけが大きい。子どもが作った粘土細工のようにブサイクだ。
それは笑っていた。
へらへらとぎこちない。一目で看破できる作り笑い。通りかかる客の一人一人に、欠かさずその笑顔を振りまいていた。ある者はつい憐れんで眉を下げ、ある者はつい苛立って頬を硬くする。心を殺した笑顔の演技だ。
それは普通だった。
どこにでもありそうなファッション。どこにでもありそうなメイク。どこにでもありそうなヘアスタイル。ただでさえ量産型と揶揄されそうなそれを恐る恐る真似たかのような、人の顔色を窺うような格好。冴えなくて、無個性で、みすぼらしい。
生身が異常の塊であるのに、身に纏うものは日常のよう。その矛盾は耐えがたく、不快感と気持ち悪さをも演出していた。
「私は普通だよ」「私は出る杭なんかじゃないよ」「だから打たないで」
そう言っているかのようだった。
それは首輪をつけていた。
奴隷の象徴。傀儡の象徴。言いなりの象徴。
首輪からは、十数本の縄が伸びている。
そのうちの一本の先には、親のものと思しき手が。
そのうちの一本の先には、友人のものと思しき手が。
そのうちの一本の先には、世間のものと思しき声が。
そのうちの一本の先には、政府のものと思しき圧力が。
それぞれ粘土やプラスチックなど、様々な素材で再現され、体中に絡まり巻きついていた。
そして、残った十本以上の縄は、背後に描かれた壁画――海と青空と雲、水平線のその向こうへ。
作品の名は、『黄色人種』。
込められたテーマは、『アジア人の否定』である。
攻撃的で、挑発的な作品であると評さざるを得ない。
アジア人の身体的な、精神的な、あるいは政治的な欠点をこれでもかと露悪的に、美大生の類稀なセンスを遺憾なく発揮して表現している。これを作ったのが純性の日本人であるなど、誰が信じようか。
人種問題に国際情勢と、デリケートな題材をふんだんに盛り込んだ様は、危険の一言に尽きる。魅力的な作品だからこそ、なおさら。
こと芸術において、不道徳なテーマを取り扱うことはナシではない。
しかし、そうした作品が裁判にかけられた事例が存在することもまた事実。
何より、発表した場が学園祭であることがまずい。
SNSが急激に普及し、毎日何かが非難の目に晒されている時代だ。客が面白おかしく投稿した画像が拡散され、あわや炎上かといった騒ぎに発展してもまったくおかしくないのだ。
そんな作品に、よりにもよって自分自身を素材として扱う狂気。
まともではない。
これを作ったのはいったいどんな人物だ。
いったい何を思っているのか。
ネガティブな好奇心にあてられた者たちは、解説パネルを覗く。
そこには作家名、作品名と、次の一文だけが綴られていた。
『私は私が嫌い』
まだまだ。
全然ダメ。
こんなの、私じゃない。
秘めた闘志は、純粋な色をしていた。
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