9.悪女、弟と対話する。

 ユーティディアが向かった先は、屋敷の庭にある大きな木。

 彼女の部屋からも見下ろす事が出来る敷地内でも特に大きなその木は、ユキモリという名の木で、年中新緑を纏う特殊な木として有名だった。


(足跡はない……まあこんなにも雪が降ってたら、朝からいなくなってた奴の足跡ぐらい消えるか)


 空も地も白く染めあげる雪を見て、ユーティディアは白い息を吐く。彼女の艶のある黒髪は、この白銀の世界でよく映えるものだ。

 ざくざく、と雪を踏みしめユキモリの木の下に辿り着く。


(しっかし……なんでノアはこの木を登れるんだ? どう考えても子供には──いや。大人でも無理だろう、こんな滑りやすい木質の大木は)


 弟の身体能力の高さに舌を巻きつつその木をぐるりと見上げ、ユーティディアはすぅっと息を吸い込んだ。


「ノア! そこにいるんだろう!」


 しんしんと雪が降る庭に、彼女の大声が響く。

 その直後、上方からは枝葉が揺れる音が聞こえて来た。見事予想が当たった、とユーティディアは真顔で腕を組み、仁王立ちのままじっと木を見上げていた。


「……はあ。ノア、早く降りて来い。そんな所にいたって、寒いだけ──」

「僕のことなんか放っておいてよ!」


 ユーティディアの言葉を遮るように、テルノアは震える声を張り上げた。


「みんな、僕のことなんかどうでもいいんでしょ! 何しても、誰も僕のことを見てくれない! いつもいつも放っておくくせに、なんでこんな時ばっかり僕のことを放っておかないの!!」


 それはまるで、放っておいてほしくないかのようで。

 テルノアの心の叫びを聞いて、ユーティディアは思わず目を丸くしていた。


「父さまも母さまもいっつもお仕事ばっかりで全然僕のことを見てくれない! 姉ちゃんはいっつも寝てばっかりで一緒に遊んでくれないし、授業でなら一緒にいられると思っても姉ちゃんはすぐ授業にも来なくなる! 侍女達も母さまの仕事の手伝いや姉ちゃんのお世話で全然僕の事は気にかけてくれないし……なんで、なんで誰も……僕のことを見てくれないの」


 ──そういう事だったのか。

 そう、ユーティディアはある事に気づいた。これまでのテルノアの言動や、以前の湖転落事故。それらの原因とも思しき理由が、ようやく分かったのだ。


(なんだ……日頃のいたずらの数々から、ノアは私になんの恨みが、と思っていたが。正真正銘、私のせいだったじゃないの)


 まだ六歳の幼い弟。彼がこの広い屋敷で、物心ついた頃から誰にも構ってもらえず孤独を感じていたのなら……それはじゅうぶん、生意気な問題児へと変貌する理由となる。

 問題を起こせば構ってもらえる。何かいたずらをした時だけは、みんなが僕を見てくれる。

 そんな心理状態から、テルノアはこれまで散々いたずらや生意気な言動を繰り返していたのだろう。


「……ごめんな、ノア」

「──え?」

「今まで寂しい思いをさせてごめん。姉らしい事を何もしてやれなくてごめん。これからは、私も頑張っていいお姉ちゃんになるから……どうか、降りて来てくれないか?」


 腕を組むのをやめて、差し出すように上方へと手を伸ばす。少しの沈黙のあと、ガサ、という音と共に一瞬枝葉が揺れた。


「……でも、姉ちゃんは僕のことなんかどうでもいいんでしょ? 僕、姉ちゃんのこと……湖に落としちゃった、のに。姉ちゃんは……怒ったりもしなかった、よね」

「ノアが謝りに来ても来なくても怒るつもりはなかったけど。というか、あれはわざとじゃなかったんでしょう?」

「っ!!」


 そう。実は湖転落事故は故意的なものではなかった。

 テルノアは確かに湖の近くでユーティディアにいたずらを仕掛けようとしていた。だがそれは後ろから飛びついて、びっくりさせよう程度のもの。

 その時たまたま欠伸をして体勢が崩れていたため、ユーティディアは飛びつかれた拍子に足を滑らせ湖に落ちてしまったのだ。


「わざとじゃないにしろ……一応謝罪の一言ぐらいは欲しかったわ。そうじゃないと、いつまでも許してあげられないじゃない」

「…………なんで、許してくれるの? 僕、謝りにも行ってないんだよ? それに、姉ちゃん、死にかけたって……それなのになんで、僕を許してくれるの?」

「そんなの、ノアが私の弟だからに決まってるでしょ」


 そうじゃなきゃ、命を脅かしてきた相手を許す訳がない。

 さしものユーティディアでさえ、それぐらいの人間性は持ち合わせているようだ。


「昨日の反応からそんな気はしてたけど……私に嫌われるのが怖いの?」

「っ、それは……」

「見舞いにも来なかったのは、罪悪感と嫌われるかも──という恐怖から。会ってすぐ逃げたのもまた恐怖から。怒られるならまだしも、怒られもせず無関心になられる方が、あんたとしては怖かったんでしょう? そして、私の性格上怒るよりも見限る可能性が高いと思ったからこうして隠れてた……って訳だ」


 沈黙は肯定なり。そう解釈したユーティディアは、一度軽く息を吐き出してから続けた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る