ずっと守ってくれていたお姉ちゃんが引きこもってしまったから、今度は私がお姉ちゃんを救いたい
壊滅的な扇子
逃走
「行ってきます」
それだけ告げて、私は外の世界に出る。青い空に白い雲が浮かんでいる。常緑樹たちが冬らしくもない色で、風に吹かれて揺れている。ゴミひとつとして落ちていない肌寒い町に、私は足を踏み出した。
制服姿の集団が登校していく。それについていくようにして歩くと、学校についた。昇降口を通って、教室に向かう。そこに入った途端、空気が変わる。みんなが私を睨みつけているような気がするのだ。
私はうつむいたまま自分の席に着いた。
学校において私は「姉に恋愛感情を抱き、実際に姉と付き合っていた異常者」。そして「姉妹の恋愛に向けられるからかい混じりの悪意を脅しで無理やり解決しようとした姉の妹」。
もちろん、脅しなんて嘘だ。ただ目の前で目撃した光景をそのまま伝えれば到底信じてもらえないから、そういう言葉を使っただけなのだろう。というのもお姉ちゃんは人の悪意を消すことができる。お姉ちゃんが言うには「心の剣」で消せるらしい。
到底信じられない話だけど、実際お姉ちゃんが悪意を「心の剣」で消す瞬間を目撃した生徒がいるのだ。人の影のような姿をした「悪意」が消えた瞬間、私とお姉ちゃんの恋愛に不快感を覚えていた生徒が、すっかりそのことを忘れたらしい。
でも人から悪意を消し去るための方法として学校中に伝わったのは、そんな「心の剣」なんて誰にも信じてもらえないだろうファンタジーな方法ではなくて、もっと信憑性の高いバイオレンスな「脅し」の二文字。だから当然、なおさら反感を買うわけで。
私とお姉ちゃんはもう嫌というほど、いじめられた。それはもう、これまでずっとみんなの悪意を消して私を守ってくれていたお姉ちゃんに、妹である私自身が悪意を抱いてしまうほどの苛烈ないじめだった。
いじめの苦しみ。そしてこれまでずっと守っていた妹に裏切られたのだという悲しみ。それはきっと引きこもるには十分な苦しみだったのだと思う。それ以来、お姉ちゃんは部屋に引きこもるようになった。
私は教室の端っこの席ですぐに寝たふりをする。みんな私を虐めるのに飽きたのか、もう私に声をかけてくる人はいない。私は目を閉じて、一時間目がくるのを待った。
〇 〇 〇 〇
幼いころの私は気弱だった。だからいつだって、からかいや冷たい視線の的だった。でもある日突然、それは変わった。
「お姉ちゃん! いきなり教室のみんなが優しくなったの!」
私は小学校からの帰り道、笑顔でお姉ちゃんの手を握った。するとお姉ちゃんは嬉しそうに告げる。
「あの女の人の話、本当だったのかも」
「あの女の人?」
「うん。お姉ちゃん、その人に力をもらったんだ。「悪意」を「心の剣」で消せる力なんだって! これでみやびを守れるね!」
幼いお姉ちゃんは興奮気味にぴょんぴょん飛び跳ねている。私は半信半疑だけれど、お姉ちゃんがそういうのならそうなのだろうと納得していた。
「ありがとう! お姉ちゃん」
「これからはお姉ちゃんがみやびを守るからねっ!」
お姉ちゃんはぎゅーっと私を抱きしめてきた。私はお姉ちゃんに抱きしめてもらって、とても幸せな気分になった。
こんな毎日がずっと続けばいいのにと思った。
だけど突然、幸せな景色が消えて、真っ暗な現実が戻ってくる。
――新島 みやび!
「は、はいっ」
怒鳴り声に目を覚ますと、先生が私を睨みつけていた。生徒達は無表情にじっと私をみつめている。私は肩をすくめてうつむいた。
先生は私が目覚めたことを確認すると、すぐに授業に戻っていった。あまりに恥ずかしくて、顔が熱くなる。だけどすぐに喪失感が襲いかかってきた。本当に幸せな夢だった。だからこそだ。
大切な人を失うのは辛い。今も昔も私はお姉ちゃんのことが大好きなのだ。できれば元の関係に戻りたい。でもそれが無理なのだということは分かっている。
私は放課後、すぐに家に戻った。朝に作っておいたお昼ご飯は食べてくれたのか、綺麗に洗浄された食器が食器置き場に並んでいる。私は無駄だと分かっていてもお姉ちゃんの部屋の前に立って、問いかける。
「お姉ちゃん。夕食はなにが食べたい?」
だけどやっぱりお姉ちゃんは何も話してくれなかった。きっと私はお姉ちゃんに見捨てられているのだと思う。だってお姉ちゃんには悪意がみえる。悪意からずっと私を守ってくれていたのに、あろうことか私はお姉ちゃんに悪意を抱いてしまったのだ。
私は小さくため息をついて、自分の部屋に向かった。するとそこには見知らぬ少女がいた。西洋風の顔をしていて、ちらりとみえる前髪は金色。魔法使いみたいなローブをかぶった奇妙な格好をしている。私はきゃっ、と悲鳴をあげそうになった。
「だ、誰ですかあなた。なんで私の部屋に。強盗ですか!? 通報しますよ?」
私はポケットからスマホを取り出して、謎のローブ少女を威嚇する。
「通報しても無駄ですよ。私は魔女ですから法律は適応されません」
頓珍漢なことを述べる少女を目の前にして、私は警戒心を決して緩めない。油断させた隙に逃げ出すなりなんなりしようという魂胆だろう。私は迷わず110番に通報しようとする。
だけどその瞬間、その少女はこんなことを告げた。
「お姉さんと仲直りしたくないんですか」
ぴたり、と指先が止まってしまう。どうして私の気持ちをこの少女は知っているのだろう。いや、今動揺すればこの少女の思うつぼだ。私は努めて冷静に110番を……。
「どうやらあなたは私をまだ信じていないようですので、信じさせてあげます」
ローブ姿の少女がそう告げた瞬間、お姉ちゃんの部屋の方から黒い影のような人型が飛び出してきた。数えきれないほどの数だ。
「えっ? な、なんですかこれ」
「これが悪意ですよ」
悪意たちは口々に何かを話している。私は聖徳太子じゃないからほとんど聞き取れないけど、ひどい罵倒ばかりだった。
「気持ち悪いんだよ。姉妹で恋愛とか」
「虐められるのも妥当だよ。視界から消えろ」
「ゴミが。死ね」
そんなどうしようもない罵倒が、隣のお姉ちゃんの部屋の方から聞こえてくる。
「これがあなたのお姉さんの見ている世界です」
「えっ?」
「あなたのお姉さんはこれを二十四時間、聞いています」
ローブ姿の淡々と告げた。私は突然のことで、理解がほとんど追い付いていない。えっ? なんで? お姉ちゃんは「心の剣」で悪意を消せるんじゃなかったの?
「あなたは今、こんなことを考えたでしょう。どうして「心の剣」で悪意を消せるはずなのに、姉はこんな風に悪意たちを野放しにしているのか、と。そんなの簡単です。私と契約することで手に入る「心の剣」には制約があるからですよ」
制約。お姉ちゃんはこんな最悪な状態になる可能性があると理解したうえで、私を守るために「心の剣」を手に入れたのだろうか?
「「心の剣」は契約する前に決めた「この世で一番大切な人」を信じられなくなったら呼びだせなくなるんです。悪意と戦う決意がなくなっても呼びだせない。つまり悪意を消せなくなる。もしも「心の剣」を呼びだせなくなったら、ごらんのとおり自分や「この世で一番大切な人」への悪意を視認するだけの力が残って、苦しむ羽目になる。とはいってもここまで悪意をぶつけられる人は稀ですけどね」
少女は無表情で告げた。私はただ呆然としていた。お姉ちゃんはそんなリスクを覚悟で私のために、ちっさな頃から頑張ってくれていたんだ。それなのに、私はお姉ちゃんと関わることを諦めてしまっていた。
「さて、お姉さんと仲直りできるかもしれない方法ですが、あなたも私に願って「心の剣」を手に入れればいいんですよ」
その言葉を聞いて、私は私がお姉ちゃんのようになってしまう可能性を考える。でもその不安はすぐになくなった。だって私はお姉ちゃんが大好きだ。今でも大好きなのだ。お姉ちゃんがこんな目にあったのは私のためなのだ。嫌いになんてなるわけない。
でも別の不安はあった。本当に私なんかがお姉ちゃんと仲直りをしてもいいのだろうか? という不安だった。私は二か月前、お姉ちゃんに悪意を向けてしまった。
私には分からなかった。今さらお姉ちゃんを救い出す権利なんて私なんかにあるのだろうか? 私がそう考えると、ローブ姿の少女はまるで私の考えを読んだみたいに告げる。
「ふむ。どうやらあなたはなかなかに卑屈なようですね。でも仕方ありませんか。あなたは自分を嫌いにならなければ、お姉さんへの罪悪感に耐えきれなかったわけですから」
「えっ?」
「自分を嫌いだ嫌いだと思うことで、少しでも心が軽く感じたことはありませんか? あなたのそれは自分を救うためだけの防衛機制なのですよ。自分を守っているだけでは、一生お姉さんとは元の関係にはもどれないでしょうね」
お姉ちゃんと一生このままなんて、顔も合わせることができないなんて、好きを伝えられないままなんて、そんなのは嫌だ。
「自分を守るか。お姉さんを救うか。お姉さんのことを大好きならば、答えは明確でしょう」
私はお姉ちゃんを助けて、また恋人に戻りたいのだ。すぐに決意を固めた。
「私に「心の剣」を与えてください」
すると少女は微笑んだ。
「いいでしょう。あなたに「心の剣」を授けてあげます。目を閉じてください」
私は目を閉じた。すると体が突然、ぽかぽかした。なにか大きな力のようなものが私の体に流れ込んできているのを感じる。
「いいですよ。目を開けてください。そして念じてください。顕現せよ、と」
私は目を開けて念じた。でも「心の剣」は出てこない。何度念じても出てこなかった。
「ふむ。どうやら、あなたには悪意と戦う決意がないようですね」
「えっ? そんなわけないです。私は思ってます。お姉ちゃんを救いたいって」
「救うのと戦うのは別物でしょう。例えば村に襲いかかってきた敵国の騎士から大切な人を救いたいと思うのと、実際に騎士と戦えるかは別じゃないですか」
中世風の姿をしているだけあって、例えも中世風みたいだ。そんなことを思いながら、私は気になったことを問いかける。
「……そもそも悪意と戦う、ってどういうことなんですか?」
「そのままの意味ですよ。大切な人の代わりに悪意を真っ向から受ける決意をすることです」
私は思い出す。私は悪意を恐れるばかりでずっと逃げていたのだ。もしもお姉ちゃんが助けてくれなかったら、ずっと逃げ惑っているだけだったと思う。
そんな私に、お姉ちゃんの代わりに傷付く覚悟はあるのだろうか?
「大切だと思うのなら、あって当然だと思っていたんですけどね。あなたは口先だけの臆病者だってことですよ。この世で一番大切な人を守るために自分を盾にできない」
本当に、私は醜いな。またそう考えてしまった。自分を卑下する。それはただ自分を守るための盾でしかないというのに。私は自分を守ることにばかり尽力して、お姉ちゃんを守る意志なんて少しもないのだ。
本当に、最悪だ。あぁ、もう。
「まぁ楽観的な言葉でいうのなら、お姉さんを守れるかは、これからのあなた次第ってことですね。まだ諦める必要はないですよ」
私が顔をあげると、ローブ姿の少女は音もなく姿を消していた。
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