弱者狩り

「ブローチを渡せ」


精悍な青年が、冷え切った表情で伝える。

その性格を表すように黒紫の艶やかなローブをはらった。

まるでこの場にいると穢れるとでも言いたげだ。


その背後にいる二人も、似たようなものだった。

その佇まいに傲岸な自負と誇りを宿して、威圧感を振りまいている。

その圧に当てられた2人の生徒からは、隠し切れない怯えがか細い悲鳴となって漏れ出る。


彼らは中庭の一角にいた。その角に追い詰められ、ブローチを奪われようとしている。


「答えろ!我々は暇ではないのだよ!」


黒紫のローブの青年が、手のひらに雷撃を生み出す。

激しい音を響かせるそれを見た灰髪の少年は、倒れ伏す赤毛の少女に覆いかぶさり、叫ぶ。


「―――わ、分かったから、やめてくれっ!」


その姿は自身の身よりも少女を慮る献身が溢れていた。

少女は気を失っており、全身から黒煙を噴き上げている。

肌も一部が焼け焦げ、落雷に打たれたかのようだ。


少年たちは普通クラスの生徒たちであり、三人で同盟を組んでいた。そして初日から、大派閥に目を付けられていきなり攻撃を加えられたのだ。

少女の容体は分からない。だが気を失った彼女の命を案じる彼らは、下手に動くことが出来なくなっていた。


これも、試験期間特有の光景だ。派閥という後ろ盾のない弱小同盟は、狩られる。

一年生である三人は、それを理解しきれていなかった。

そして上級性である生徒たちは、そんな弱者を狩る役目を派閥より与えられていた。


とはいえ、これはやりすぎだ。上級生が脅せば、下級生の普通クラスの生徒は逆らわない。通常、魔術をちらつかせて威圧する程度だ。

いきなり魔術を放ち、下級生に傷を負わせるのは、試験でもなかなか見えない。

その光景には「点数集め」を越えた暴力の気配があった。

とはいえ、ルール違反ではない。

そのため周囲の生徒たちは割り込むことは出来ず、遠巻きに眉を顰める程度だ。


「ふんっ。初めから渡せばよかったのだ」


震える手で渡された三つの銀のブローチを、黒紫のローブの生徒はひったくる。そして灰髪の少年の頭を蹴りつけた。


「――――あッ」


顔に走る灼熱と刺すような痛みに少年は蹲り、戦意を失う。


「獣なんぞとつるむからそうなる。その畜生のように頭を低くして生きることだ」


青年は倒れ伏す獣人の少女を嘲笑い、ブローチをしまい込む。

そして待機状態の魔術を解き放った。

凄まじい速度で宙を走った雷撃は、倒れる少年を貫いた。


「――――」


悲鳴も無く意識を失う。痙攣する肉体は、少年が重い怪我を負ったと一目で分からせる。


「ジェームス―――ッ!!?」

背後にいた黒髪の陰気そうな少年が悲鳴を上げる。

だがその悲鳴も自身に向けられた魔術の気配を感じたことで途切れた。


青色の瞳と目が合う。こちらを見下すどころか、人とも見ていない傲岸な眼差し。その背後の二人も侮蔑の意思を宿している。

金髪碧眼の典型的な貴族の姿は、平民の黒髪の少年を絶望の淵に落とした。


(ここでも、そうなのか…………)


学術都市には権力は通用しない。そんな話は嘘なのだと、少年は悟り、涙を流した。

恐怖ではなく諦めが、心を砕いた。


青色の雷蛇が身を捩る。獲物を見定め、空気を焼き払う。

そしてとぐろを解いて牙を剝いた。

少年の瞳はスパークに支配された――――。


□□□


「いきなりか…………」


俺は校舎の屋上から、それを見ていた。

中庭の一角で引き起こされた点数の取り合い。

それは戦いとは呼べない一方的な搾取と暴力だった。


加害者側は、典型的な貴族だ。青い血ノウブルブラッドを誇りに思っていることは神経質そうな表情と実用性よりも身なりに気を使った魔術刻印を施したローブを見れば、一目瞭然だ。


「獣人差別主義者。分かりやすいねえ」


初手で赤毛の猫獣人を躊躇せずに狙う。

灰髪の少年と比べて、はるかに重症の猫獣人には、殺意を込めて魔術を放ったのだろう。


今は最後に残った黒髪の少年に向けて雷撃の準備をしている。

俺はそれをじっと眺めていた。物理的にも、情報世界的にもだ。


魔術の腕は、それなりだ。魔力量は多いが、その制御と術式は荒い。

才能を活かしきれていない典型的な貴族だ。

胸元のブローチの色は銀色。普通クラス以上、特級クラス以下って感じだろう。


「この程度なら問題ないね」


俺は屋上から飛び降りた。魔術を構築し、落下速度を殺す。

とん、と軽い感触がつま先に触れて俺は地面に立った。


「―――っ!貴様っ!」


俺に気づいた青年貴族の取り巻きが、俺の胸元の金のブローチを見て動揺を露わにする。普通クラスの下級生はリンチできても、特級クラスとは目も合わせられないらしい。

俺は手のひらを天へと向ける。

蒼天に渦巻く雷を受け止めるように。


「【連なる雷撃チェイン・ボルト】」


第5階梯の汎用魔術を発動させる。対象を捉えた雷撃は、相手の魔力を吸って〈雷撃〉を形成、近くの生物へと向かう。

取り巻きの1人を捕らえた雷撃は、その軌道を変えて青年貴族を貫く。そして奥にいた最後の一人を貫き、霧散する。


突如割り込んだ魔術師による鎮圧。その高位魔術と俺の胸元のブローチを見た見物人たちは、そそくさと散っていく。

彼らから見れば、特級クラスが生徒を狩り始めたようにしか見えないだろう。次の獲物にはなりたくないと、哀れな一年生を生贄に逃げ出した。


その残された獲物、黒髪の陰気そうな少年はブルブルと震えて俺を見上げている。


「やあ。災難だったね」


俺はにこりと微笑んだ。すると黒髪の少年はふらりと倒れ込んだ。


雷撃に打たれた生徒が5人。気絶した生徒が一人。そして俺。

何から手を付ければいいのか分からない。とりあえず俺は、貴族三人のブローチを回収した。


□□□


果実をついばむ小鳥の鳴き声が耳朶をくすぐる。

黒髪の少年、トレンティは、森の中で目覚めた。お互いの背を抜かないように気を使った下草が、かさりと手の下で揺れる。

遠くの森はさわさわと緩やかな声を上げて、鳥たちの声に追従する。

曇りなき太陽、穏やかな森。

それは一瞬で雷光に染められた。


天から降り立った一筋の雷がトレンティを焼く。

それは夢だと自覚したトレンティは、ばっと意識のない身体を起こした。


手をついたトレンティは、手の下の下草の感触に驚く。まだ夢の中か、そう思った彼は周囲を見渡した。


「中庭…………」


そこは学院の中庭だった。自分は、上級生に襲われていたのだと、思い出す。

慌てて辺りを見渡して仲間を見つける。


雷撃に打たれた猫獣人の少女、ミーミリカ。そして彼女を守った灰髪の少年、ジェームスは並んで横たわっている。


「ミーミリカ!ジェームス!」


トレンティは二人に飛びつく。彼の友人二人は、魔術で攻撃されたがその傷は今はない。

焼けただれていたミーミリカの肌も綺麗な白磁の色を取り戻している。


「大丈夫だよ。治療は終わってる」


トレンティは背後から掛けられた声に、飛び上がる。

勢いよく振り向くと、そこには男が一人立っていた。

少年と呼ぶには大人びていて、青年と呼ぶには好奇心を瞳に宿し過ぎている。

男にしては長い白髪に、夜を押し詰めたような黒の瞳。


穏やかに微笑むその顔は、魔術特有の感情を隠す仮面だ。

トレンティは反射的に魔力を纏う。

敵意ではない。警戒心の高さが、眼前の脅威に反応しただけ。


魔力の気配を感じても、白髪の魔術師、ゼノンの表情は変わらない。

仕方ないか、と言いたげに微笑んだまま両手に持った水を持っている。


トレンティは、後悔した。敵意を向けられても穏やかに微笑むのは、寛容な性格だからではない。ただ、こちらを敵だと思っていないだけ。

それだけの実力差を、その身に纏う静謐な魔力と胸元の金のブローチが証明している。


立ちすくむトレンティに対して、ゼノンは手に持ったコップの片割れを渡す。

反射的にトレンティはそれを受け取った。


「…………これは、なんですか」


震える声音で、揺れる水面を見る。

ゼノンはきょとん、と首を傾げた。


「ただの水だけど」


それ以外の何に見えるのか、とゼノンは笑う。

トレンティもつられて笑った。もっとも、引き攣った愛想笑いの類だが。


「とりあえず、落ち着きなよ。君の友達二人が起きたら、場所を移そうか」


ここは目立つから、とゼノンは付け加える。

彼らがいるのは、校舎に囲まれた建物の真ん中。周囲からの視線をトレンティは感じ取っている。

特級クラスのゼノンと普通クラスの揉め事だ。

これからの試験の勢力図の変化を感じ取る魔術師たちによって、ゼノンたちは監視されていた。


□□□


目覚めたトレンティ達を連れて、俺は食堂へと場所を移した。

広い食堂には、相変わらず臨時の中立都市のような模様を呈していたが、家具や壁が一部壊れており、学院の職員らしきものが魔術で直している。

どうやら争いがあったようだ。それもあり、特級クラスの俺を含む4人組は、導火線に火が付いた爆弾を見るような視線に晒されている。


適当な座席に腰を下ろして、対面に三人を座らせる。

トレンティはともかく、他の2人はまるで状況を理解できておらず、突然現れた俺に警戒と疑心を抱いている。


「まずは自己紹介をしようか。俺はゼノン・ライアー。君たちと同じ一年生で、君たちを助けた恩人だよ」

「あ、黒焦げた暴漢三人はアンタが」


灰髪の少年と猫耳の赤毛少女の表情に納得の色が浮かぶ。

トレンティもそれを否定しないことから、とりあえず敵ではないと分かり、警戒が薄れたのを感じる。

俺は視線で、三人に自己紹介を促す。


正直なところ、彼らの名前には大した興味はないが、自己紹介は交友関係を築く第一歩であることは、人づきあいの薄い俺でもわかる。

どうしてか初対面の人間と仲良くできた経験がほとんど無いのだが、今度こそだ。


「オレは、ジェームスだ。助けてくれてありがとうよ!体を治してくれたのもアンタだろ。魔術ってすげえな!」


灰髪の少年の名前はジェームスというらしい。

彼の制服から、騎士科の生徒であることが分かる。

活発な表情からは、裏表のない実直な性格が伝わってきて、俺もつられて笑顔になる。


「ありがとう。褒められると嬉しいね」


俺はさりげなく彼の全身を見渡す。回復魔術はあまり使わないから自信が無かったのだが、どうやら問題なく効果を発揮したらしい。


「ウチはミーミリカ!ミミって呼んで下さい!獣人やけど、魔術師でやってますー」


大きな緋色の瞳をぱちり、と瞬かせて快活に少女は名乗った。

どこか冗談めかした言葉と緊張感の薄い言葉遣いから、人懐っこい猫を連想させる。


それにしても、獣人が魔術学院にいるのは珍しい。俺は少女の頭の上に生える二つの猫耳を見てそう思った。

獣人は、肉体能力に長けるが、魔術適正には乏しい種族だ。

騎士科では獣人の生徒は見たことがあるが、魔術科では初めてだ。


「確かに珍しいね。生まれはどこなの?」

「多分言っても分からんと思いますけど、龍王国の北側にあるちっさい村ですよ」


何もないけど、のどかでええとこですよ、とミミは朗らかに笑った。

龍王国の近くということは、聖人国の近くでもあるということだ。

あの国は人種差別が激しい。彼女が獣人にしては珍しく魔術まで使えるのは、そのあたりの物騒な要因が理由かもしれないと、俺は心の隅で思った。


トレンティ君の自己紹介は目覚めた時に済ませたから、これで彼ら三人の名前は分かった。そして話を聞いていると、彼らはやはり『同盟』を組んでいるらしい。

彼ら三人は全員地方の出で、大派閥に入る伝手も無く、一人では心細いということで同じクラスの余り物三人で同盟を組んだようだ。

そして試験の情報を集めるための上級生との伝手も無いため、無知な彼らは初日からカモにされたということらしい。


「ブローチ、取り返してくれてありがとよ!いきなり点数無くすところだったぜ」


思い出したようにジェームスが手を叩いてそう言った。

彼らの胸元には取られたはずの銀のブローチが付いている。

俺が取り返し、トレンティ君が付けなおしたものだ。

礼を言われた俺は、返事をするよりも、今まで気づかなかったのか、という呆れが勝った。

それが顔に出ていたのか、ジェームスは照れたように苦笑いを浮かべた。


「別にいいよ。俺も稼げたしね」


俺は懐――実際は影の中の異空間――から三つのブローチを取り出して見せる。

上級生三人のものだ。


「…………すごい、ですね。特級クラスの人は強くて」


ぼそり、と今まで聞きに徹していたトレンティ君がそう言った。

長い前髪の奥から微かに見える黒い瞳が、俺の手の中のブローチを見る。


「俺が戦いに寄り過ぎてるだけだよ」


俺は苦笑しながら言った。特級クラスと普通クラスを分けるのは魔術を用いた戦闘力ではなく、魔術への理解度と素質だ。

騎士科とは違い、戦闘力=特級クラスとはならない。

とはいえ、特級クラスの生徒は大体強いが、それを言う必要はない。

わざわざ肯定するのは嫌味っぽくなるだろうし。


俺は彼らを助けた本題に入ろうとした。だがその時、食堂がざわつくのを感じた。

彼らの視線の先には、剣呑な雰囲気を纏う一団があった。

俺の視線につられて彼らを見た三人の表情が歪んだ。

その中には、俺が先ほど雷撃の魔術をぶつけた三人の上級生が怒りの表情を浮かべていたからだ。


彼らは集団の先頭にいた女生徒に何かを言ったかと思うと、一団は俺たちの席へと真っ直ぐに向かってくる。

彼らは立ち止まり、座る俺達を囲むように布陣した。

息を呑むようなミミの悲鳴が聞こえる。だが俺は、変わらない笑みを浮かべて、リーダー格らしき女性と見上げた。


彼女の顔には見覚えがあった。真面目そうな凛々しい顔立ちに、背に一本の柱が入っているかのような真っ直ぐな立ち姿。腰に刺した剣と合わさり、女騎士ということが思い浮かぶ。

本来なら大勢が見惚れるであろう美人だが、今は子供が見れば泣き出しそうなほど、その双眸は険しい。


彼女とは一度会っている。以前は学院の外、繁華街の側で出会った。

あの時彼女たちは酔っ払いに絡まれていて、俺が助けた形だ。

だが今は、彼女の側には使えるべき主はいない。


「少し話がある」


彼女は冷たい声で傲岸に告げる。こちらに選択肢はないと、取り囲む者たちの荒々しい敵意が伝えてくる。


「私の名はマイン・レット。帝国派閥の盟主をしている。貴様らが帝国派閥に弓引いた者か」


モルドレッド教団に攫われたデルウェア帝国第一皇女、ミネルヴァの護衛騎士であった少女は、そう言った。

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