第9話

 あの黒羽城の攻防からもう十年以上の時が経過している。その間に服部家は二代目の父を超えるどころか、三代目と四代目は共に改易の憂き目を見た。重い足取りで本丸を仰げる辺りの城下を歩いていた半蔵は、南側に位置する三の丸の土塁に背から身を預けた。城下町には平時の賑わいがあり、数ヶ月前の大坂の戦はここでは絵空事でしかなく、行き交う人々の声には活気があった。またこの厳寒の地には徳川家や伊達家よりも、上杉家の匂いが未だに濃いような気がした。それは上杉家が豊臣秀吉によってこの越後から会津へ移封され、徳川家康に減封されても、雑草の如き根強い風土が、ここに確りと残り続けているからかもしれない。


 防壁の土塁に凭れていた半蔵は、その場に荷を下ろして一息ついた。そして庶民の商人の風態らしく、ゆっくりと体の向きを変え、ほぼ無意識に親指で固い土の表面を、ほんの少しばかり右から左へと這わせたその刹那、背筋が凍り付いた。

 

 あの時と同じような感覚が蘇った。関ヶ原の役の際、黒羽城で上杉軍の放った矢が頬を掠めた瞬間のことだ。不味いと思った。油断していた。駄目だ、今はあれよりも始末が悪い。間違いなく敵は背後に存在し、視界の外から半蔵を仕留めようとしている。しかも矢ではない。銃だ。銃を構えて獲物である半蔵に狙いを定めている。強靭な殺気が、半蔵の生をここで終わらせようとしていた。金縛りに遭うほどではない。しかし今、静から動へ転じるのは無謀だ。何者かに人生の終点を完璧に支配されてしまったこの感覚が途切れるのを、観念して半蔵は待つことにした。仮に銃弾が我が身を貫通したとしても、その時はその時だ。

 

 それは一瞬の出来事とはいえ、錯覚として片付けるには無理があった。瞬間的に木像と化した半蔵が振り返った視界には、あいにく長閑な城下町の情景しかない。人々の賑わいは無垢そのものだ。しかし高田城の本丸は二の丸と三の丸と北の丸に取り巻かれており、恐らく半蔵を狙った者は、この位置からだと人々が左右に流れて行き交う空間の奥に控える、北の丸か二の丸の内部から銃を構えていた可能性がある。ただそうなると、敵はこの高田城の城主で大御所の六男、松平忠輝を既に調略し反逆者へと仕立て上げたことになりはしまいか。否、それは早急な判断だ。むしろ松平忠輝ではなく、その配下を含めた周縁に裏切り者が潜んでいることを認識すべきである。

「次は陸奥か」


 半蔵は早々に越後から去るべきだと踏んだ。敵が半蔵に釘を刺したのは間違いない。もし邪魔をするなという警告だとすれば、そしてあの殺気がこちらの動きを読んでいたのだとしたら、これから陸奥へ向かう半蔵の脚を敵は止めようとするであろう。しかし半蔵に選択の余地は無かった。ただこの段階で、奥州の伊達政宗が戦国の野望を未だに捨て切れていないことは、何となく腑に落ちた。それは松平忠輝が彼の娘を娶った頃から、その隻眼に宿っていた遠大な計画であったのかもしれない。


 



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る