7 追憶(1)

 「トリックはこうだ」


 個室の中央、村重の遺体が横たわっていた場所に立ち、レガリアは人差し指で帽子のつばをクイと上げながらそう言った。


 「狙うのは自身と村重さんの取引がある日。その日なら彼のいる時間も部屋番号も分かっているからね。その日に隣でも裏でもいい、彼の部屋と壁一枚だけで隔たれた部屋をとる。魔術を扱うのに物理的な障害はあまり意味を成さない、壁一枚分くらいなら尚更ね。壁越しに急速にその場の酸素を奪う魔術をかけるくらいなら造作もない」

 「待ってください」


 レガリアの言葉を遮って声を上げたのは吉野だ。


 「部屋の指定はスタッフが行います。お客様に選べるのは部屋の種類までです」

 「君がさっき言っていただろう、部屋を予約する機能があると」


 レガリアの言葉に、吉野が「あ」と声をあげる。


 「村重さんは普段喫煙席を取ります、その条件でいくつか部屋を押さえておけば隣り合った部屋を取ることも可能……」

 「そういうこと。まあ、犯人が使ったのはそれを逆手に取った方法だけどね」


 そう言いながらレガリアが個室の壁に手を当てる。


 「それでも部屋の場所はスタッフに内通者がいない限りは運任せ。吉野さんに内通する理由があるとはいえ、今日の一連の受け答えを見る限りはその可能性は低いだろう。とすれば、これは突発的な犯行じゃない。……ところで吉野さん、もう一ついいかい?」

 「はぁ、なんでしょう?」

 「村重さんの居る日の喫煙席の予約キャンセル、かなり多いんじゃないかな?」


 こめかみを指でトントンと叩きながら、視線だけを吉野に向ける。


 「あ……、はい。多い、と思います。立地も立地なのでキャンセル自体は珍しくないんですが、同じ時間に同じ条件で何席も予約が入って、そのどれもがキャンセルされるというのはこれまでに二回ほどしか……、どちらも村重さんのいらっしゃる日でした」


 吉野はそう言いながら考え込むように俯く。


 「自身と村重さんの取り引きが有るのだから、彼の居る時間帯はわかっている。それなら話は簡単だ、同じ時間に同じ条件の部屋を何部屋か予約して、村重さんの部屋の隣が引ける日を待てば良い」


 桂田の態度は変わらない。飄然としたまま、反論の言葉を紡ぐ。


 「その理屈で近くの部屋を取ることはできるかも知れねぇ。だがそもそも、村重が部屋を選ぶときにした注文を俺が知る方法がねぇだろう?」


 余裕のありそうな表情とは裏腹に、心拍音は乱れ息は荒い。そしてもう一つ、肇の耳は不快な音を拾っていた。


 「ハウリングがな、酷いんだよ」


 それは低く掠れるような声。ずっと気が付いてはいたが、敢えて口にはしていなかった。他人に関心がないように見えてその実かなりのお人好し。一方的に、声だけを認知していた間柄とはいえ、肇はずっと彼の自白を待っていた。視線を下げたままそう言う肇の言葉を聞きながら、桂田は居心地悪そうに目を伏せる。


 「……ハウリング?」


 割って入ったのは吉野だった。


 「初めは耳鳴りかと思ったんだけど、どうも音の主は僕じゃない。考えられるのは、盗聴器。ここのスタッフはインカムを使用しているからな、インカムの音を盗聴器が拾えば微弱だがそんな音もするだろう」


 言われて吉野が耳元のインカムに手を伸ばす。と、同時に不自然に耳を触る人物がもう一人。すかさずレガリアがその手を掴む。


 「おや?これは一体何だろうね?」


 レガリアに掴まれた手のひらの中には小さなワイヤレスイヤホン。


 「おそらくだが、君の魔術は点火じゃない。範囲を絞ればそう見せかけられるというだけで、その本質は燃焼だ。君ならば、さっき言ったトリックが可能なんだよ」


 桂田は何かを言おうと口をぱくぱくとさせるが、言葉がうまく出てこない。その様子に、レガリアはたたみかけるように、それでいて優しく、ゆっくりと諭すように続ける。


 「言い逃れするのは勝手だけど、今ここで僕がこのイヤホンの音を聞けば、君の嘘はすぐにバレる。その上でもう一度聞こう、これは一体何なんだい?」


 一同の視線を浴びながら、桂田は「ふう」と深く息を吐きどこか肩の荷が降りたかのような笑みをこぼす。


 「悪いことはするもんじゃないな」


 脳裏に浮かぶのは、一人の女の姿。


 「彼女も記者だったんだ」


 桂田は訥々と語り出した。


 「だった……というのは?」


 口を挟んだのは樹。


 「辞めちまったんだよ。あいつが気丈に見えて弱い女だったことに気がついたのは、置き手紙一つで俺の前から姿を消してからだった」

 「それが今回の件とどう関係が?」

 「まぁ黙って聞いとけや。お兄さんがさっき呼んでた本隊が来るまでまだあるんだろう?」


 言いながら桂田はチラリと樹の方を見る。


 「そうですね、聞かせてください。そちらの二人もそれでいいいですか?」


 落ち着いた表情でそう返しながら、肇とレガリアに問いかける。


 「僕に決定権はない、そっちの悪魔に聞いてくれ」

 「僕はもちろん大丈夫さ。むしろそのために来たんだから」


 ジトリと目を細める肇の後ろで、レガリアは得意そうに笑う。言葉尻こそ落ち着いているが、その表情の中にある瞳の輝きを隠しきれていない。そんなレガリアの顔を見ながら肇は幾度目かのため息を吐く。


 「ありがとよ。俺は多分、ずっとこうして誰かに話を聞いてもらいたかったんだ」


 どこか遠くを見つめながら自嘲気味に笑う桂田の姿を、その場の全員がただ黙って見つめていた。



♢♢♢



 「おかえり、隆ちゃん」


 明るい笑顔と活発そうなショートカットが印象的なエプロン姿の女性。部屋に充満するのは芳しい出汁の香り。幼馴染の彼女の得意料理は肉じゃがだった。


 「ただいま。お、美味そうな匂い……、肉じゃがか」


 八畳ほどのワンルーム。大学進学を機に田舎から上京した俺たちは、二人の方が生活費が安く済むからという理由だけで一緒に暮らしていた。というのは多分建前。彼女が俺をどう思っていたかは知らないが、少なくとも俺は彼女のことが好きだった。


 「褒めたって何も出ないわよ。大体料理なら隆ちゃんのほうが上手じゃん、色んなの作れるし」

 「けど肉じゃがはお前が作るのの方が美味い」

 「まあね!それしか作れないし」


 そう言って彼女は軽やかに笑う。カラッとした明るい笑い声と、甘辛い出汁と醤油の香り。それが、いつもこの狭いワンルームを満たしているものだった。日常と呼ぶにはあまりにも暖かくて、幸せと呼ぶには些か質素である。しかし、そんな些細な日々が俺にとってはこれ以上ないほどの幸福で、この生活が死ぬまでずっと続くのだと、その時の俺は何の根拠もなく信じていた。


 「疲れてるだろうし、ご飯先に食べちゃって。私はもうちょっとだけ作業あるから」

 「じゃ、お言葉に甘えて。それが次の記事か?」

 「あ〜、勝手に見ないの〜!守秘義務!」

 「そんだけおっ広げといて守秘義務も何もないだろ」


 カチカチと音を立ててガスコンロに火が灯る。炎の熱に煽られて、鍋の中の肉じゃががその香りを一層強める。ふつふつと気泡と共に湧き上がる香りが食欲をそそる。


 「ねぇ〜、後で相談乗ってよ」

 「守秘義務はどうした」

 「いいよ、大した記事じゃないし。ほら、商店街に和菓子屋あるじゃん?そこの取材記事。あそこのおばあちゃんお喋りだからさ、過去取材受けてるどこの記事でもおんなじ話してんの」

 「店は旦那と一緒に立ち上げたとか、娘が手伝うようになってから映えを意識した菓子を作るようになったとか?」

 「そうそう、もうみーんな知ってるよって感じ」


 開きっぱなしのノートパソコンの前で、彼女は天を仰ぎ頭を抱える。


 「爆発的に流行ったせいで取材が殺到したらしいからな、どこも似たり寄ったりな記事になるのは仕方ないだろ」

 「私は嫌なの、私は私にしか書けないものを書きたいの」

 「ほうほう、記者の鑑だ」

 「揶揄わないで〜!」


 もちろん、揶揄ったつもりなんて微塵もない。同じ記者を目指す人間として、彼女の事は素直に尊敬していた。未だ情報収集の助っ人くらいしか任されない俺とは違って、彼女は小さいものとはいえ記事の執筆を任されているのだ。他人から見た能力的にも彼女の方が俺よりも優れている上に、俺は彼女の書く記事が好きだった。彼女の人柄にも似た軽やかで暖かい文体に触れると、自然と優しい気持ちになって笑みが溢れた。


 「揶揄ってなんかないさ、本心だよ」


 一片の嘘もない、心からの言葉。けれども、褒められ慣れていない彼女には冗談に聞こえたのだろう、彼女は少し機嫌を損ねたように頬をぷくりと膨らませる。


 「素直すぎるって言われたの、面白い記事を書くためには多少想像と脚色は必要だって」


 明るい語調と爽やかな笑顔とは裏腹に、眉尻が下がる。真実をありのまま伝えることに長けているのは彼女の強みだ。俺はそれを短所だなんて思ったことはなかった。


 「それはそいつの意見だろ、俺は今の素直なお前の記事が好きだ」


 ブレる必要はない、そう言おうとしたところでふと我に帰る。他人の評価に踊らされ、好きに書くことをやめてしまった俺が、どの口で彼女に説教を垂れることができるのだろう。


 「はは、まるで愛の告白みたい。けどね、仕事にしたいならいつまでも楽しいだけではいられないって、頭ではわかってるから。想像とかそういうのは隆ちゃんの方が得意でしょ?」

 「プロになれなかった素人捕まえて何言ってんだ」


 ガスコンロの火を消すと、一気に鍋の中から湯気が上がる。鍋の中身はもう充分に温まっているようだ。黒い磁器風の器に適量の肉じゃがをよそい、炊けてから少し時間が経って少し固くなっている白ごはんと一緒に、お盆に乗せて彼女の隣の空いているスペースへと腰を下ろす。

 文字を書くことは俺にとって生活の一部だった。それは特別な儀式でもなければ、心躍るような何かでもない。常に当たり前のように文章として出力できる何かを探して、空想を巡らせてはそれを形にすべく机に向かっていた。それがとてつもなく楽しかった時期も確かにあったのだ。楽しかったからこそ、まともに現実を見ないでそれを仕事にする将来を夢想した。

 俺は折れてしまった。落選に次ぐ落選を何度も経験して、楽しいだけではいられないことを悟った。空想を、物語を作り出すことをやめてしまった。それでもどこかで文字というものには触れていたくて、彼女にバイト先を紹介してもらったのだ。


 「プロかどうかなんてどうでもいい。隆ちゃんはもっと自分の作品に自信を持つべきだ」

 「なんの評価もされなかった俺の小説にか?今更自信なんて持てないさ」


 その言葉には自嘲も諦観もない。俺にとってそれに自虐的な意味は全く無くて、もはや単なる事実である。


 「他人の評価がそんなに大事かねぇ。好きに書いて好きに読む!文章なんてそれで良いじゃない!……って、今まさに記事の書き方で迷ってる私に言えたことじゃないか」


 ポリポリと頭をかきながら、彼女は相変わらず軽快に笑う。彼女の笑い声を聞いていると、自身の悩みの全てがどうでもいいことのように思える。


 「そうだな。今は、それも悪くないかもって思ってるよ」


 小さく笑いながらそう言って、俺はあつあつのジャガイモを口の中に放り込む。甘辛い出汁のよく染みたそれは、口の中でホロリと崩れて溶けていく。


 「どう?美味し?」

 「うん、最高」


 文章で食っていこうという二人の会話だとは思えないほど、それは短く簡素な言葉だった。

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