ミステリーは突然に

1 徒然なるままに

ミステリーは突然に 1

 寒いくらいによく効いた冷房。薄暗い空間。そこに流れる、穏やかで静かなクラシック調の音楽。ただそこに「居る」ということを目的に作られたその場所は、多くの人間の気配を漂わせているにも関わらず、時折漫画のページを捲る音や、マットや床の擦れる音が聞こえる以外はシンと静まり返っている。周囲に人が居るという安心感と、静かで暗い閉じた空間という組み合わせは、特有の居心地の良さを演出している。

 人が一人通れるギリギリの幅の通路を進みながら、レガリアはそんなことを考えていた。コスパだけを考えるなら、ファミレスでドリンクバーでも頼んで粘る方が時間潰しという意味では安く済むし、動画や漫画が目当てだとしても、宅配レンタルやサブスクの充実している昨今、わざわざ自らが出向かなくてはならないそこへ行く理由付けには薄い。それでもそこに常に多くの人間が集まるのは、やはり利用者がその空間自体に高い価値を見出しているということだろう。この、ネットカフェという空間に。


 「君もそうなんだろう?」


 目当ての部屋の扉を無遠慮に開けながら、レガリアはだらりとした格好でフラットシートに座る肇に声をかける。


 「だから入るならノックくらいしろ」

 「君にそれをする必要を感じないな。僕が店に入った時点で足音でわかってたはずだ」

 「それとこれとは別だ。扉を開ける前にノックをするのは人としてのマナーだぞ」

 「ほう、なるほど。人間は時に効率以上に協調と他人への配慮を重視することがある。これもその類ということかな、覚えておこう」


 クックッと上機嫌に笑いながらレガリアはフラットシートの上に腰を下ろすと、隣に座る肇にコンビニの袋を手渡す。中には様々な種類のカップ麺。冷蔵庫もガスコンロもないこのネットカフェで、常温で保存ができ、いつでも調理できて熱々の料理を食べられるカップ麺は、機能的に見ても最高のご馳走である。その上その種類は豊富で、近年ではカップ麺だけで栄養を補完できるタイプのものまで発売されている。飽きが来ない上に栄養まで取れるとなれば、もう毎日カップ麺でいいやと考える人間が出てきても不思議はない。何より、肇もそのタイプである。


 「で?僕もそうだってのは?僕はお前と違って、発声してもいない他人の思考を読み取ることはできないぞ」


 袋の中を物色していた肇が、レガリアにじっとりとした目線を向けながらそう言った、


 「なあに、大したことじゃないさ。何故人間はネットカフェに集まるのだろうかと考察していてね。彼らはここの機能性やコストパフォーマンス以上に、薄暗くて静かで狭い“空間”という、この場所そのものに価値を見出しているのではないかと考えたんだ」

 「へえ、で?なんで僕もそうだと?」

 「僕は君の月給は知らないが、君を頼るたびにファイが君に支払っている金額から見るに、この付近のマンションを借りられないほどの低賃金だとは思えなくてね。むしろ、コストパフォーマンスの面から見ると、光熱費はかかるが自炊のできるワンルームのマンションの方が、毎日ここに泊まるより安く済む可能性もある。にも関わらず君がここにこだわるのは、コストパフォーマンス以上の何かがこの場所にあるんじゃないのかと思ってね」

 「遠くはない。けど、百点満点の答えでもない。この場所が好きなのは確かさ。子供の頃隠れていた実家の押し入れのような安心感があるからな。だがそれ以上に、クーラーも一日中ガンガンで大浴場には湯船もある。飲み物も飲み放題、お湯とレンジも使い放題、挙げ句の果てにソフトクリームとポップコーンも食べ放題。そんな生活を1ヶ月続けてここより安く済む都心のマンションなんて存在しない。僕がここに住むのは単にコストパフォーマンスが良いからだよ、わかったか?」


 そう言いながら肇は袋の中からカップ麺を一つ取り出す。パッケージに大きく「マシマシ」と書かれた、ニンニクの量とそのボリュームが売りのラーメン店にインスパイアされた商品である。


 「で、だ。何しに来た?まさか人間がネットカフェに集まる理由について議論を交わすためだけに来たわけじゃないだろう?」


 刺すような視線。カップ麺を片手にそう言う肇に対して、レガリアが浮かべるのは含みのある笑み。


 「そのまさかだと言ったら……?」

 「おま……!ふざけんなよ!」

 「はは、冗談さ、冗談」


 軽やかにそう言って笑いながら、レガリアが肇へとキラキラした視線を向けなおす。


 「予感がしたんだ、今日ここでドキドキワクワクな何かが起こるって」

 「ニチアサ女児アニメの導入みたいに言うな」

 「今季は何色が推しなんだい?」

 「青だよ、主人公の」

 「ああ、あのどことなくアンリに似てる子か」

 「やめろ、それにしか見えなくなる。…‥じゃなくてだな、お前の言うドキドキワクワクは大抵碌なものじゃないんだよ」

 「なら言い方を変えようか。この場所から美味そうな謎の匂いがしたんだ」

 「魔人探偵もやめろ、より不穏になっただけだわ」


 楽しそうに軽口を叩き続けるレガリアを横目に、肇はふぅ、と小さく溜め息を吐く。


 「それで?いい加減何しに来たのか話してくれないか?楽しそうなのは結構だけど、この調子じゃ一向に話が進まない」


 じとりと目を細め、いかにも不機嫌といった様子である。


 「おや?僕が特に意味もなく脈絡のない会話で時間を浪費するようなタイプに見えるかい?」

 「今まさにそれをやってるだろ。……待てよ」


 レガリアの表情は、いつも通りの飄々として、それでいて自信に溢れた得意げな顔。他人を見下し嘲笑するかのようなその顔を浮かべる時、レガリアには大抵言葉通りではない何らかの意図がある。

 考えてみれば、ここへ来てからのレガリアは本当に無駄な話しかしていない。彼自身は享楽主義ではあるものの、あまり意味の無い会話を楽しむタイプでは無い。少なくとも肇にはそう見えている。思えばはじめのネットカフェの件から伏線は張られていたのだ。機能性やコストパフォーマンス以上に、ネットカフェの個室という"場所"そのものが価値を持つように、会話の内容云々以上に"話をする"という行為それ自体に意味があるとすれば……。


 「お前さっき予感って言ったな?まさか、待ってるのか?何かが起こるのを」


 有り得る可能性は、時間稼ぎ。彼の待つ何かが起こるまで、僕に何もさせないこと。


 「正解。僕が探知したのは今まさに破裂しそうなほどに膨張しきった殺意。君を揶揄うのは、まあそれが爆発するまでの暇つぶしってところかな」

 「人のツッコミを余興みたいに言うな。無駄に疲れただろうが」

 「けど良いのかい?このままだと僕の期待通りに殺人事件が起こることになるよ?君の大嫌いな面倒ごとじゃないのかい?」


 もちろん、良くはない。しかし、肇にはわかってしまった。事件が起きるまで肇に何もさせないというレガリアの目的が、今達されてしまったことが。


 「殺人事件を未然に防ぐってのはもう叶わないよ。今、この店で心音が一つ消えた」


 肇が言い終わると同時に、店内に男の悲鳴が響く。この声は顔見知り、第一発見者があいつなら話を聞くにも都合が良い。

 個室を飛び出すレガリアの瞳が輝きを放つ。こうしてまた歌舞伎町では事件が起こり、肇が厄介ごとに巻き込まれることが決定したのである。


 「さあさあ、謎解きの時間だ。行くよ、ワトソンくん」

 「一応人が一人死んでるんだからな、僕以外の前ではそのウキウキした顔見せるなよ」


 楽しそうに目を輝かせるレガリアの後ろを、面倒くさそうに不貞腐れながら肇がついていく。まるで大型犬の散歩だな、と肇はレガリアの後ろ姿を眺めながら自嘲気味に口元を歪める。


 「言っておくけど、僕の飼い主はファイだけだよ」


 ドクリ、と大きく心臓が跳ねる。相変わらず気持ちが悪い。心の内を読まれるというのはどうにも未だに慣れなくて、何度もされているはずなのに毎回つい驚いてしまう。


 「勝手に人の心を読むな」


 少しずつ下二桁の数字が増えていく以外に変化が何もない扉達を横目に、狭い通路を通り抜ける。長くここに住んでいる肇ですら、気を抜くと迷いそうになるくらいには景色が変わらない。しばらく進んだ通路の先で、若い男の慌てふためく声が響いている。


 「早く来てくださいよ!人が……人が死んでるんです!」


 携帯電話を耳に当て、泣きそうな声でそう叫ぶ男の背後から、レガリアは半開きになった扉の奥の部屋へと上がり込む。


 「うーん、目立った外傷はなし、抵抗した形跡もなし。それに加えて苦悶に歪む表情と赤らんだ頬。窒息かな」

 「ちょっと誰ですか!勝手に入らないでくださいよ!」


 シンプルな白いシャツに黒いベスト。胸元にはインカムのマイクと、ローマ字で「YOSHINO」と書かれた銀色の名札。顔面は引き攣り血の気がないにも関わらず、強い声で気丈にレガリアを制そうとする。吉野瑞貴みずき、このネットカフェのスタッフである。


 「悪いな、ああなったあいつを止めるのは僕には無理だ」

 「貴方は神山さん……ってことは彼は……」


 ククク、とくぐもった笑い声を上げながら、レガリアは一体どこから出したのかと突っ込みたくなるディアストーカーハットのつばを上げる。細めた瞼の奥で鮮やかなターコイズブルーの瞳を、扉の外にいる若い男に向ける。その右手には、これまたいつから持っていたのかと突っ込みたくなるパイプ。レガリアの普段着でもある明るい茶色のスリーピースとの相性もあり、完全に某世界一有名な顧問探偵のコスプレである。


 「たった一つの真実見抜く、迷宮無しの名探偵……その名も!」

 「言わせねーよ!既にもうだいぶギリギリなんだよ!何だよその格好は!どっから出した!」

 「ア○ゾン」

 「どこで買ったか聞いてるんじゃねえよ!あーーーーもう!」


 ツッコみ疲れた肇が吐息混じりの声を上げる。


 「もうなんでもいいから早く解決してくれ、んでとっとと帰ってくれよ」

 「言われなくてもそのつもりさ」


 胸ポケットから取り出したブックマッチに片手で火をつけ、暖かな火をパイプの先に移す。香ばしいタバコの香りと同時に、ジュ、と音を立ててパイプの先から煙が上がる。


 「早速解きほぐしていこう、人生という無色の糸の中から、殺人という名の緋色の糸をね」

 「あの……」


 声を上げたのは吉野である。


 「喫煙所ならあちらになります」

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