5 守り人たち
「ご報告ありがとうございます。あとはこちらでお送りしますので」
迎えにきたのは、気弱そうに見える細身で背の高い若い男だった。
「皆様も後続の車でそれぞれお送りしますので、どうぞお乗りください」
高校生相手には不自然すぎるほどの腰の低さで男は淡々と話し続ける。有羽が男の開けるドアの先を見ると、運転席には見覚えのある顔。グロス系のワックスでセットされたセンターパートのウェーブヘアに無精髭、腹の底の読みにくい切れ長のキツネ目が特徴的な男。
「あら、珍しいわね。貴方が現場に出るなんて」
「いやいや、君のアッシーならいつもやってるだろう?」
有羽の後ろから央乃がちょこんと顔を出す。それに気が付き運転席の男は細い目元をさらに細めて笑いながらひらひらと手を振る。
「わぁ、びっくりした、蓮兄じゃないっすか。こんな時間に女子高生あさりっすか?」
「仕事だよ!何?みんな僕に対して辛辣すぎない?」
蓮兄、と呼ばれた男が身を乗り出して大袈裟にツッコミを入れる。
「ともあれ、僕もちゃんと仕事はするからね。詳しくは捜査上の機密にあたるから中で話そう」
蓮介に促され、車に乗り込む。七人乗りのミニバン、広々とした三列シートの後方に央乃と米汰、そして中央に有羽と宵莉が乗り込むと、出迎えをしてくれた男がスライドドアを静かに閉め、そのまま有羽たちと同じ車の助手席に乗り込む。
ブォン、とエンジンのかかる音と共に、男が周囲に魔法陣を展開する。
「
男は口元に人差し指を立て、静かな声でそう言った。車内にふわり、と魔力が充満する。肌に触れる魔力に覚えがあった。魔捜の取調室、その狭い室内を包む特殊な空気。今車内を満たす魔力は、その空気と同じものだった。
「直接お会いするのは初めてですかね、緋田有羽さん」
呪文を唱えた時と同じ、静かな声で男は続ける。
「はじめまして、
淡々と低いトーンでそう言いながら、男は後方のシートを振り返りながら深々と頭を下げる。紫がかった黒髪、どこかミステリアスな雰囲気を醸し出す泣きぼくろ、薄く開いた瞼から覗く深い紫色の瞳と目が合う。
「さて、自己紹介はこのくらいで本題に入りましょう。今回の件、皆さんはどこまでお察しで?」
突然の問いに4人がポカンとして目を見合わせる。
「さあ」
「何も」
「何の事っすか?」
「要点が見えませんが」
何の事だかさっぱりといった様子の4人を見て、誓が目をパチパチと瞬かせる。
「はい?これ先輩が言っていたのと随分状況が違いませんか?」
「うっせ!僕に言うな!文句なら隊長に言ってくれ!」
誓のクールな佇まいが崩れる。段々と状況が読めてきたらしい有羽が口を挟む。
「なるほど、兄さんの追っていた事件にあの子、橘杏花が関係しているってわけね」
「有羽さん、何か知ってるんすか?」
「詳しくは聞いてないわ。最近出張が多かったからあまり話す機会もなくて。彼女の言っていた孤児院ってのがあなた達の追っていたヤマなのかしら?」
「理解が早くて助かります」
ふう、と一息吐き、誓が姿勢を正す。
「
「勿論知ってるわよ。犯罪者御用達の違法薬物じゃない」
怪訝な顔でそう言う有羽をよそに、他の三人が顔を見合わせる。そんな様子を見て、誓が補足する。
「簡単に言えば、魔力増強剤です。魔力を生成する器官に作用して、体内の魔力を爆発的に増加させる」
「チャージャーみたいなもんっすね、なんでそれが違法なんすか?」
央乃が手を挙げてそう言った。
「一般的にチャージャー、補填材と呼ばれているのは名前の通りあくまで失った魔力を補填する程度のもの。生成器官に作用して本来持ち得ないほどの魔力を生み出す
「ほう、なるほど。それで、その
腕を組み首を傾げながら宵莉が問う。
「ここ最近、魔術師の家系でない子供による魔術犯罪が増加しています。魔力というのは遺伝の要素が強いですから、一般の家系に突然変異的に魔力の高い子供が生まれる事はまずありません。にも関わらず、彼等は
「それが橘杏花の居た孤児院だと?」
「そういうことです」
米汰の問いに、誓が静かに目を伏せ答える。
「子供を育てるのは周囲の人間です。生まれながらの善人や悪人は居ません。周囲の育て方次第でどちらにもなるんです。そんな子供に
誓の言葉尻にギリギリと怒りが滲む。
「さて、ここで先ほど施した魔術の説明をしましょうか」
小さく息を吐き、誓が冷静な表情を作り直す。
「私の得意魔術は音の遮断、展開した領域の中の音を外に漏らさない魔術です。悪魔のような結界術は使えませんので、あくまで密閉された空間内でのみ作用します」
「なるほど、それで車内に誘導したのね」
「そういうことです。そして、ここからの話はそうまでして秘匿したかった話だということを理解してください。我々の意思に反するようでしたら、橘杏花という少女との出会いそのものから記憶を操作させていただきます」
「穏やかじゃない話だな」
「我々が施設の存在を嗅ぎつけていることを知られるわけにはいかないのです。せっかく見つけた手がかりをみすみす逃すようなことはしたくありませんので。何より、有羽さん」
「?」
「我々は魔捜という組織を信用していません」
♢♢♢
車は、ガタガタと足場の悪い道を進む。ぴっちりとカーテンの閉められた車内からは、外の様子は全く見えない。まるで護送車だな、と杏花は声に出さずに呟く。
身体の拘束はない。だけど、なんだろうこの感覚は。魔力が上手く練れない。まるで、体内の魔力の通り道を何らかの力で妨害されているような。さすがは魔捜、といったところか。どうやら名前だけの組織ではないらしい。
「着きました、降りてください」
黙って頷き車を降りる。そこにあったのは見知った施設では無く、深い深い森だった。
がさ、と遠くから木々を踏み締める音が聞こえる。薄暗い森の向こう、入り組んだ木々の隙間から1人の青年が現れる。赤髪の短髪、明るいグレーのスーツに身を包んだ爽やかな好青年風の男。
「はじめまして、杏花ちゃん」
身長は百八十センチはあるだろうか、長身の程よく引き締まった体で深々とお辞儀をし、目線だけを上げ杏花に向ける。交差する緋色の瞳に見覚えがあった。
「さっきの兄弟の身内……ってことはあんたが緋田櫂かな」
ニヤリと口角を上げ杏花が口を開く。その表情に櫂も口角を上げ不敵な笑みを向ける。
「これを配っているのは君だな?」
櫂が取り出したのは小さな袋に入った錠剤。
「曲がりなりにも魔術を扱う人間だ、これの危険性は知っているだろう?」
「知ってるけど、それが何?」
「無作為に他人の人生を歪めるのは倫理に反するとは思わないかい?」
「私にも倫理觀くらいはあるよ。無作為なんかじゃない、私はそれを求めた人にしか渡してない。」
「そうか、罪の意識はないわけだな」
淡々と何事もないかのように答える杏花に、櫂は憐憫の目を向ける。
「罪の意識って、私悪いことしてないじゃん。力に溺れて犯罪を侵したのはあいつらの心が弱かった、もしくは日本の道徳教育が甘かっただけ」
「確かに、君を責めるのは間違いだった。悪いのは君をそう育てた大人達だ。しかし、だからこそ、その本拠地を押さえるために君にはここで敗北してもらう」
櫂の視線がキッと鋭くなる。
「今更だが、大人しく全てを話す気はあるか?」
「今更、私にも目的があるからね。それを果たすまでは捕まるわけにはいかないんだよ」
「聞くまでもなかったな。少々手荒くなるが怒るなよ。
唱えると同時に、櫂が勢いよく右手を振り上げる。轟轟と音を立て櫂の周囲の森が宙を舞う。
「
櫂の号令を合図に空へと浮かび上がった木々が軌道を変え、杏花に向かって勢いよく落ちていく。
「へえ、重力操作ってこんな使い方もあるんだ」
自身に向かってくる木々を身軽に交わしながら、杏花がニタニタとした笑顔で言う。ふと、背後に違和感。振り返れば、避けたはずの木の一本が杏花の背中に向かって飛んでくる。
「なるほど、引力の元は私ってこと」
ベー、と見せつけるように杏花が舌を出す。その上に小さな錠剤。
「
気付いた櫂がすぐさま杏花の口元に手を伸ばそうとするが、その手が届くことはなく錠剤はガリっと音を立てて杏花の体内に吸い込まれる。
「ブースト!!!」
杏花の身体が一回り大きくなる。いや、物理的には変わっていないのかもしれない。しかし、その身体が発する威圧感が、櫂にそんな感覚を植え付ける。
「こうするのが早い……!」
自身に向かってくる樹木に拳を突き出す。衝突の衝撃で杏花の足元の土が抉れる。次の瞬間、拳の先の木がミシミシと音を立てる。拳との設置面から放射状に亀裂が広がり、巨大だった木々がパラパラと小さな破片となりふわりと杏花の肌を撫でる。
「なるほど、引力の操作と重量の操作は一緒にはできないらしいね。砕いて軽くしてしまえば怖くない」
「さあ、それはどうかな」
2発、3発と向かいくる木々に拳を打ち込む。ふと、杏花の身体に違和感。足元がずっしりと重い。見れば、叩き落としたはずの破片が杏花の体を覆うようにまとわりついている。
「逃げ続ければ体力を消耗する。かと言って迎え撃てばその破片が君の体の自由を奪う。俺の魔力はまだしばらく保つぞ、素直に吐くなら手を止めてやる」
「ほう、まるで拷問だ」
「断っておくが、俺は君を保護するつもりだ。俺以外に見つかればこの程度では済まないことを覚えておいた方がいい。彼らは君を殺すつもりでやるだろう」
「聞いてた通り、ガキ相手にも容赦なしかぁ。けど、そのくらいじゃないと面白くないね……!」
瞬間、杏花の身体が天高く飛び上がる。浮上の勢いに負け、体を覆っていた破片がパラパラと地面に落ちる。
「お兄さんが優しくて良かった、次はちゃんと殺すつもりでおいで」
上空から櫂を見下ろす。ふわりと風に靡く前髪の奥、うっすらと開く重たい一重瞼の瞳が赤い光を放つ。
「やはり君は……!
櫂が地面に手を当てそう叫ぶ。周囲に展開された魔法陣から無数の鎖が杏花に向かってまっすぐに伸びる。が、あと数センチ届かない。
「……クソ!」
限界距離を超えボロボロと崩れる鎖の先で、杏花が口角だけをあげてニタニタと笑う。
「大丈夫、目的さえ果たせば全部話してあげるから。それまではせいぜい逃げさせてもらうよ」
トン、と空を蹴り杏花の身体がさらに浮上する。まるで夜空を駆けるように軽やかなステップで遠ざかる杏花の姿はあっという間に見えなくなる。残ったのは薙ぎ倒された木々の中央にポツンと立っている櫂の姿と、揺れる木々の隙間から見える都心とは思えないほどの満点の星空だけだった。
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