共同経営会社の設立
ヴァールの前に座って、馬の背にまたがるミリアム。後ろにはやはりリチャールがすぐ後ろに監視するようについてきている。
「それで町のどこに金を増やす当てがあるのか」
「金を増やすためではないけど、準備するための当てはあるよ。ジョン・フィーネ商会のところまで」
「ジョン・フィーネ商会だと、城下で上位を争う商店じゃないか。どこでそんな伝を」
「まあ、色々とね」
ミリアムは言葉を濁したが、錬金術で作った化粧品や洗剤などの製品をジョン・フィーネ商会を介して売っていて繋がりがあった。ミリアムの錬成した製品は評判が良かったが、生産が追いつかないという欠点を解消するために製造法を商会が買った経緯がある。
町に入り、いくつもの大きな商店が立ち並ぶ大通りを歩くと、奥に『ジョン・フィーネ商会』とオレンジ色の看板が掲げられた店が見えた。中に入ると眼鏡をかけた商人たちが金貨や帳簿と一体化する勢いの凄みを静寂の中で作業をしていた。その一心不乱さにヴァールが気圧されるほどに。
「まるで試合前のような殺気だ」
「すみません。番頭さんはいらっしゃいますか。錬金術師のミリアムが来たと申し伝えていただきたいのですが」
「あぁ、これはミリアム様どうぞお掛けになってお待ちください。すぐお呼びいたします」
帳簿と血眼になって睨み合っていた商人が、顔を上げると一変してニコニコと手揉みする仕草をして店の奥にへと行った。
「それで、錬金術なしでどう増やすんだ。錬金術師が錬成もなしに金を増やすなんて手段を自分に課すなんて無謀もいいところだ」
「逆転の発想すればいい、お金を集めてもう一つ金塊を買えばいい」
「は? いやそんな当たり前のことじゃないか。それでは陛下が金を増やすためにわざわざ錬金術師を雇う必要が」
「でもフィオーネ様は本当に金が欲しいわけではない。金が欲しい理由は、手っ取り早く赤字を埋め合わせすること。金はお金の代わりに過ぎない」
錬金術師にとって金の錬成をするのは、究極の素材を手にすることや錬金術の最終到達点として手にしようとする。だが普通の人は金は物の交換や儲けの手段としてしか見ない。いや、錬金術師の金の観点こそが異端である。そもそも金は取引の対象や金貨として流通されている以上『金=お金』なのだ。
「だがな、それをすると俺があの詐欺師の代わりに陛下直属の錬金術師として売り込む理由がなくなる」
「もちろんそうならないようにこの商会に来たのが理由です」
計画のあらましを話し終えたちょうどの時に、店の奥から一本の紫炎の煙を立たせる壮年の女性が現れた。
「あらぁ、ミリアムじゃないか。色男連れてうちに来るなんて、嫁入り道具でも買いに来たのかい」
「昔の学友です番頭さん。今日ちょっと混み合った急ぎの用事なんですがよろしいでしょうか」
番頭が持っていた紙タバコに口をつけて煙を飲むと、目の色の奥がくんっと反転し、タバコの灰を落とした。
「見ての通りうちは忙しくてね。急ぎのもの以外なら話は聞くけどねぇ」
嘘ね。忙しいならわざわざ顔を出しに出ていくことなんてしない、商人の常套句だ。急ぎ以外ということは手形での後払いしか受け付けない。たぶん店に資金の現金がないのかも。
ただし、そのことを直接口にしてはいけない。「商人との儲け話は常に腹の探り合いと空気を読むこと。でなければ儲けがよそ者に出し抜かれてしまう」と教授してくれたのは、ほかでもない目の前にいる番頭である。金貸しを勧めたのも彼女なのである。
「今回は製法の売却ではありません。今まで製法の完成から量産化までの時間がかかりすぎると思いまして、私が直接指導できる会社を共同経営を提案したくて」
「会社を興すのかい?」
「ええ、もちろん私は名と製法の伝授だけ、実務は経験のある人に任せようと」
「銀行はあんたの悪女の名を知っているだろ。手持ちの資産はあるのかい? 手当たり次第の経営者とは手を組まないんだよ」
番頭の垂れた二重瞼が重たく持ち上がる。もちろん今のミリアムの手持ちはない、家の現金も会社が興せるほどの金もない。ミリアムは懐から、布に包まれた王女から借りた金塊を少し見せた。
「フィオーネ王女様から直々に使ってほしいとお預かりになりました。残りはジョン・フィーネ商会と株の発行で」
「山の向こうの家はどうするんだい」
「こっちに越してくる予定です」
番頭は瞼を閉じてタバコをくわえて、沈黙に至る。
これも番頭からの教えであるが、利益の天秤にかけているこの時間が最大の苦痛であると。まだ番頭のくわえているタバコの灰が落ちていない短い時間であるはずが、何倍もの時間が経過したような感覚に陥っている。
そしてタバコの紙がフィルターのところまで焼け落ちたところで番頭がタバコを灰皿に落とすと、閉ざされた口が再び開く。
「…………株の発行数はどれくらいだ」
来た!
「千株を金貨一枚で」
「だめだ五百以下でないと、共同経営の話にならないよ小娘」
「九百!」
「まだ」
相手が乗ってきた以上、あとは相手が激怒しない程度の値切り交渉に努めるだけ。そして番頭との発行数との交渉が決まると、ミリアムはぐったりとソファーにもたれかかった。金貸しのときもそうだけど、商売の交渉って錬金術の研究よりも疲労がどっと来るんだよね。研究なら二徹しても平気なのに。私やっぱり商売に向いてないなぁ。
ようやく周りを見渡せる余裕ができたところで、隣にヴァールの姿が見えなかったのに気づいた。
あれ? どこ行ったの、帰った? やることないから怒ったのかな。私嫌われるようなこと、しちゃたな。相談せず自分の頭で考えたことを勝手にずんずん進めて。
交渉疲れで頭がぼんやりとしか働かず、後ろ向きな考えが蓄積されていく。
ぐったりと体が沈澱するように体が落ち込んでいくと、突然鼻に甘酸っぱい匂いが鼻腔をくすぐる。そこには赤い液体の入った陶器を持ったヴァールの姿があった?
「ほら、ベリージュースだ。疲労回復には糖と酸味が入った液体を流せば回復が早い」
「ありがとうヴァール」
受け取ったジュースを口の中に運ぶ。ベリー本来の酸味と加糖の甘ったるさが脳を急速に刺激と幸福感をもたらす。
「すっごく甘くて美味しい。そういえば、さっきの交渉でヴァール何も口を挟まなかったけど、もしかして飽きて席を外した」
「いやお前が交渉を終えるまでずっと隣にいた」
「ずっと!? しんどくないの」
「近衛兵は何時間も同じ姿勢でポーズするんだ、椅子に一時間座るなんて楽なものだ。それに未熟者が下手に手を出せば、邪魔になる。戦場での心得だ。ここは商人たちの戦場、場慣れしているお前を信じて口を閉ざすのが最善だ」
ミリアムは思わず持っていた陶器を落としかけた。ヴァールの強靭な精神と体力もそうだが自分を龍頭徹尾信じて、ずっと隣に付き添ったことに驚嘆したのだ。
「ご、ごめんね。自分の考えを失敗させたくなくて他に気が回らなくて。それに番頭は金の話は厳しくて」
「今回は俺から持ちかけた話だから、お前の考えに付き従うのが筋だ。だがお前の言う通り、一人で突っ走る悪い癖がある。自分の考えのためなら脇目も振らず違反スレスレのことをする。昔禁書の棚に忍び込んだ時も俺は肝を冷やした」
「昔の話を蒸し返さないでよ。あれ今から思い返すと二人揃って退学するかもしれないと、自己嫌悪するんだから」
「そんな危なっかしい女を誰かが支えてやらないといけない。そうじゃないか」
そう言ってヴァールがミリアムに目配せをした。
支えてくれる人。そうだなぁ、もしヴァールがそばにいてくれればいいけど、ヴァールは陛下の近衛兵だから、四六時中私のそばに居続けられるわけじゃないし。
でも何時間もじっとできる人なんて、いないしなぁ。そしてジュースを最後まで飲み干して、ヴァールに向き合う。
「そんな人いればいいなぁ」
その答えにヴァールは大きくため息をついた。
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