13
大勢の人が行き交い、すれ違う駅前の広場。
今日は仕事中のサラリーマンや観光客とは別に、街灯という街灯、街路樹という街路樹に飾りつけをする人々の姿が見受けられた。
今日から十二月二十五日までの十日間、広場を含む駅前の通りがクリスマスイルミネーションで飾り立てられる。今は昼間なので黒い線にしか見えないが、夜になればさぞかし幻想的な光景になるだろう。
イベントの正式名称は「ラ・クロワ・イルミネーション・ストリート」。通常、ラ・クロワと呼ばれる冬の風物詩である。
そんな駅前のベンチで、幼い少女が雑多な人ごみを眺めて座っていた。年齢は七歳ぐらい。白いダウンコートを着て、下はスカートとタイツ、それに小さなブーツを履いている。誰かを待っているようで、退屈そうに足をぶらぶらさせていた。
「ごめんね。お待たせ」
通りの向こうから女性が小走りにやってきた。少女の母親にしては若く、二十代前半に見える。茶色いハーフコートと長いストレートヘアが特徴的だった。
「ココアとコーヒー牛乳、どっちがいい?」
「うーんと、ココア」
「はい。熱いから気を付けて」
女性は両手に持った紙コップのうち片方を差し出した。受け取ったココアを美味しそうに飲む少女を、慈しむようにじっと見つめる。
「寒くない?」
「大丈夫。お姉ちゃんが貸してくれたマフラーがあったかいから」
「そっか、よかった。出るとき置いてきちゃったんだもんね」
「うん」
はっきり言って安物だが、少女が喜んでくれたのが嬉しかった。女性は隣に座ってコーヒー牛乳を飲み、ほっと息をついた。
「お母さん、いつ来るのかなぁ……」
ぽつんとこぼした言葉に、女性の胸が締めつけられるように痛んだ。
「ラ・クロワっていうの? ここのイルミネーションがとってもきれいだから、一緒に見ようねって言っていたんだ」
「ちょっと遅れているだけだよ。電気が点くのは夜になってからだもの」
「そうだよね。お母さんが唯花との約束、忘れるわけないもん」
本当は不安で仕方ないのに、それを出さないようにしているのが哀れだった。かける言葉を探していると、しばらくして少女は眠ってしまった。あちこち歩き回って疲れたのだろう。
「つらい目に遭わせてごめんね。でも、もしかしたらこれがあなたのためかもしれないんだ」
寒くないようにと小さな肩を抱き、本当の姉のような心地でそっとさすってやった。
本日二度目の会議が始まった。今回は最初から渡がマイクを握り、スクリーンの前で話し始めた。
「会議の前に報告がある。被害者の父親である御手洗議員だが、刑事の制止を振り切って新幹線に乗り込み、こちらに向かっている。誘拐された娘はもちろん、捜査本部でたったひとり苦痛に耐えている妻を思うと胸が痛い、そばにいて支えてやりたい、と刑事を説得したそうだ」
「ほぉ……。なかなか言う父親だな」
速水は感心した面持ちだが、渡は面白くなさそうだった。警護対象に勝手に動き回られるのは困る。そうでなくても捜査は行き詰まりかけているというのに。そう言わんばかりだった。
「御手洗議員には捜査本部に留まっていただく。のちほど聴取にもご協力いただくつもりだ。都議会議員という立場上、怨恨の線も捨てきれない」
苦虫を噛み潰したような顔で言い終わり、渡はようやく本題に入った。
「さて、まずは我々が聴取した内容を報告しよう。対象者は御手洗智代。誘拐犯に心当たりはなく似顔絵の女性にも会ったことはない。また、あの公園に行くことは誰にも話していない。なぜ娘が狙われたのかも全くわからない。そう言っている。ここに来た当初は自分を責めて泣き崩れるばかりだったが、今は落ち着いている」
そのとき速水がさっと手を上げた。会議室がざわついたが、渡は顔色ひとつ変えず、「何か情報があるのか」と言った。前の偉いさんが一方的に話すばかりでは捜査会議にならない。ここで肝心なのは個々人が持っている情報を出し合うことだ。少なくとも速水はそう思っている。
「利峰署の速水です。誘拐事件の通報者から聞いた話によると、母親は警察に報せることを拒んでいたようです。娘が連れ去られたと言いながら、一方で警察への通報はやめてくれと言った。矛盾していると思いませんか」
「自分の落ち度を知られたくないという思いがあったのかもしれない。たとえば父親の御手洗重昭氏や夫の誠氏にだ。事実、自分が保護者の役割を果たせなかったことを悔やみ、誰かに責められるのではないかと怯えている様子があった」
そう考えれば一応は納得できる。だが本当にそれだけだろうか。何となく釈然としないものを抱えながら、速水はとりあえず引き下がった。
「次、現場で目撃された女性についてわかったことは?」
「はい。それはわたしから申し上げます」
伊達が挙手して立ち上がった。示し合わせたように芝がパソコンを操作し、前の大きなスクリーンに映像を映す。
「公園に設置された防犯カメラの映像です。目撃情報のあった女性が少女の手を引き、公園の出口に向かう姿が映っています。科捜研の画像分析の結果、この少女が御手洗唯花であることは確認済みです」
「やはりこの女性が実行犯か。素性はわかったのか?」
「本名かどうかわかりませんが、周囲にはミユキと名乗っていました。この女性の素性を調べるうえで鍵になりそうなのが、眞木祐矢という男性と、同じく素性のわからない若者数人です」
伊達は眞木を中心とする奇妙な同居の実態について説明した。伊達と亜須香が出会ったのは眞木を入れて四人だが、実際はもっと多いのかもしれない。
説明を聞き終えた渡はゆっくりと口を開いた。その口調はかなり冷たいものに変わっていた。
「戸籍制度が充実したわが国において、素性不明の人間などそう多くはない。免許証や保険証といった公的な書類を確認すればいいことだ」
「わかっています。しかし、これ以上の捜査には令状が必要で……」
間髪入れず、渡は隣で静観している蔵吉刑事部長に目をやった。
「刑事部長、早急に手続きをお願いします。眞木祐矢と複数人の若者に関しては、犯人蔵匿および証拠隠滅の容疑。ミユキと名乗っていた女性に関しては、未成年者略取誘拐罪の容疑。つきましては捜索差押許可状の申請を」
渡の剣幕に気圧され、蔵吉は苦り切った表情で首を縦に振った。弾みで頭頂部の盛り上がりが前方に移動した。
「それにしてもその眞木という男、気になるな。警察が来ることを予想し、なおかつ裁判所の命令がなければ何もできないことを知っていたか。――辰巳、その男の家に刑事の見張りはつけているんだろうな?」
突然お鉢が回ってきた辰巳はびくっと身をすくませた。
「は、わたしですか?」
「この会議より前に情報を聞いていただろう。のんきに弁当に舌鼓を打ちながら、座談会か何かのようにくつろいでいたらしいな」
「……」
「辰巳、わたしの質問に答えろ」
県警の捜査一課長と課長補佐の緊迫した会話に、誰しも口を挟むことはできなかった。速水すら息を殺して黙っている。
「見張りはつけておりません。現時点では必要ないと考えたので」
「なぜだ? その家に住む全員が犯行グループの一員である可能性を考えなかったのか。任意での捜査を拒み、時間稼ぎをしたうえで証拠隠滅を図っていれば、どう責任を取るつもりだ」
「……」
「まだある。ミユキと名乗っていた女性と家の住人が共犯であるなら、二人の刑事が訪れたまさにそのとき、家の奥に被害者が監禁されていた可能性がある。もしそうであれば被害者救出と犯人の身柄確保の機会を逃したことになる」
会議室はシンと静まり返った。まほろば公園で少女が誘拐されてからすでに丸々四時間が経過している。それだけに重みがあり、辰巳は恥じ入ったようにうつむいた。
が、渡はその時間さえ与えず、管理職に感情など不要とばかりに言った。
「今すぐその家に捜査員を向かわせろ。令状が届き次第、家宅捜索を開始する」
「……はい」
「それ以外の線でも捜査を続ける。今回の関係者の中に怪しい人物、特に御手洗議員との接点がある人物がいないか徹底的に洗い出せ」
そのあとすでにわかっている情報の共有がされたが、これといってめぼしい成果はなかった。ミユキと呼ばれる女性の素性も、犯行の動機も、被害者の行方も依然としてわからない。唯一、手がかりと呼べそうなのが眞木祐矢の件で、これは裁判所の令状待ちである。
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