10

 目的の家は賑やかな市街地を離れ、ひっそりと静かな住宅地にあった。現代では珍しい木造の平屋一戸建てで、玄関前には植木鉢が並べてある。

「不動産会社に問い合わせたところ、家主の名前は眞木まき祐矢ゆうやというそうです。歳は三十五。この人が視覚障害の男性でしょうか」

 表札に書かれた苗字と手帳の内容を見比べ、亜須香は判断を委ねるように伊達を振り返った。伊達は相変わらず布袋様のような余裕っぷりで、インターホンに指を伸ばした。

「とにかくお会いしてみましょう。ご在宅だといいのですが」

 ピンポーンと音がして、「はい」と若い男の声がした。伊達はインターホンにカメラが備え付けてあるのを確認したうえで、そこに警察手帳をかざした。

「こういう者ですが、少々お話を聞かせていただいてもよろしいでしょうか」

 しばらくの沈黙ののち、玄関の引き戸が控えめに開いた。髪を刈り上げた若い男が顔を出し、二人の刑事を交互に見比べる。

「何かのセールスですか? インターホン越しではよく見えなかったんですけど」

「これは失礼しました。我々警察の者です」

 すぐ目の前に警察手帳をかざすと、男はようやく事態を理解した。

「け、警察? ここに何の用ですか?」

 見た目とは裏腹に小心者なのか、男はわかりやすくうろたえた。伊達がちらりと目を上げると、後ろから顔を出した二人目の若者と目が合った。こちらはふんわりとしたミディアムカットで、室内着らしきジャージの上下を着ている。

「こういうときは堂々としないと何か後ろめたいことがあるんじゃないかって疑われるよ。――それで、どういうご用件ですか?」

「眞木祐矢さんにお会いしたいのですが、ご在宅でしょうか」

 正直に言えば警戒されるかと思ったが、意外とあっさり受け入れられた。

「ドラマみたいに令状持ってこいって言おうかと思ったけど、迷惑がかかりそうだからやめておきます。リビングで待っていてください」

 ジャージの若者は回れ右をして家に入っていった。残ったほうの男は不安げな面持ちで、伊達と亜須香に入るよう目で促した。

「対照的な二人ですね。二人ともこの家に居候しているんでしょうか」

 亜須香がひそひそ囁くと、伊達はおそらくそうだろうという意味を込めて頷いた。二人はリビングに案内され、テーブルに着いて待った。椅子は六人分ある。

「お待たせしました」

 やがて開きっぱなしのドアから声がした。自宅の間取りや家具との距離は把握しているのだろう、その男は誰の手も借りることなく、刑事と向かい合う椅子に座った。

 上はチェックのセーター、下は黒色のスラックスを穿いていて、最初に会った若者より整った身なりをしている。同年代の同性より小柄な体格で、年齢は三十五歳ということだが、それより若く見えた。

「県警の伊達と申します。こちらは利峰署の桧野です」

「はじめまして」

 伊達と亜須香が交互に挨拶をすると、眞木は小さくお辞儀を返した。

「眞木祐矢と申します。お茶の用意をしてくれているのがジュンで、もうひとりがレイジです」

 ジャージ姿のジュンはキッチンに立ち、急須でお茶を淹れている。レイジと紹介された男は目礼したのみで、リビングの隅にひっそりと立ち尽くしていた。

「僕にお聞きになりたいこととは何でしょうか」

 眞木の瞳は伊達や亜須香をまっすぐ捉えることはない。しかし強い意思を感じさせる眼差しが、特別扱いは無用だとはっきり告げていた。

「時間がないので早速本題に入ります。今朝、眞木さんはまほろばフェスタにお客として参加されましたね。そこで誘拐事件が起きたことはご存じですか」

「誘拐事件……?」

「ええ。五歳の女の子が何者かに連れ去られ、今も行方不明です。現場では若い女性が目撃されているのですが、心当たりはありませんか」

「その人が女の子を誘拐したんですか?」

「可能性は高いと考えています。このとおり、似顔絵も作成したのですが……」

 当然、それは眞木には確認できない。そのため顔や外見の特徴をできるだけ口頭で伝えた。

「ミユキ……」

「え?」

「ここにはミユキという女性がいるのですが、今朝から帰ってきていないんです。レイジか、ジュンでもいい。刑事さんが持っている似顔絵を見てくれるかな」

 眞木に依頼され、ジュンはお茶を出したあと、その似顔絵を手に取って見た。肩越しにレイジも覗き込む。

「あっ! ミユキだよ、これ」

「嘘だろ、あいつ……」

 二人の声が重なった。伊達はぴくりと眉を動かし、亜須香は慌てて手帳とペンを構えた。

「そのミユキという女性について詳しく教えてください」

 すると、眞木は困ったように髪に手をやった。

「僕が知っていることはほとんどありません。ミユキだけじゃない、ここにいるレイジやジュンのこともそうです。本人が自分の意思で話すなら別ですが、他人である僕が追及すべきではないと考えています」

「同じ家に住んでいるのに詳しい素性は知らないということですか? そんなの普通じゃないですよ。何か隠しているんじゃないですか」

 亜須香がおもわず口に出すと、眞木はそちらの方向に顔を向けた。

「僕がミユキをかばっていると思っておられるのですね。だとすればそれは間違いです」

「幼い女の子の命がかかっているんです。隠し事はやめてください。それともあなた自身、警察に調べられたら困ることでもあるんですか?」

 相手のひょうひょうとした態度が気に食わず、亜須香は強い語気で迫った。すると途端にレイジとジュンの表情が険しくなった。それを肌で感じたのか、眞木は両者を宥めるように穏やかな声で言った。

「僕のことはいくらでも調べていただいて構いません。ここの住所もどなたかからお聞きになったんですよね。ならば僕の経歴を知ることも造作ないはずです」

「眞木さん、事は一刻を争います。何度も申しますが、幼い女の子が誘拐され、現在も行方がわかっていないんですよ」

 バトンタッチした伊達が説得したが、眞木は動じなかった。

「どうしてもお調べになりたいなら、このような形ではなく強制的に行なってください。僕にも彼らにも守るべきものがあります。相手が警察だろうとそれは変わりません」

 視線は合わないものの、眞木は断固とした態度で言い張った。その言葉どおり、相手が警察だろうが妥協しないとばかりに唇をきつく結んでいる。

 重苦しい沈黙が漂い、伊達と亜須香は顔を見合わせた。これ以上ここにいても進展はないだろう。仕方なく椅子を引いて立ち上がり、無表情の眞木を見下ろした。

「今日はこれで失礼いたします。またご協力をお願いすることがあるかもしれませんが」

「覚悟しておきます。気を付けてお帰りください」

 眞木はこれだけしか言わなかった。刑事二人はリビングを出ようとして、ドアを開けたところにいた男にぶつかりそうになった。

「わっ!」

 慌てて身を引いたのはここで出会う三人目の若者だった。少年のようなあどけない容姿をしており、例のカフェで働く店員だろうと察しがついた。事前に仕入れた情報によると、軽度の知的障害があるらしい。

「ハル、そこに立っていると邪魔になるよ」

 ジュンに言われ、ハルと呼ばれた男は廊下で縮こまった。

「……ごめんなさい。大きな声が聞こえたからびっくりして」

「何も心配はないよ。ハル、お客さんを見送ってあげてくれるかい?」

 眞木は安心させるように優しい声で言った。ハルは従順に頷き、ジュンとともに刑事二人を玄関まで送っていった。レイジはリビングに残り、眞木も別れの挨拶は言わなかった。


「ジュンだのハルだの……。本名かどうかも疑わしい。ミユキと名乗っていた女性も偽名かもしれないな」

 話を聞き終えた辰巳はまず感想を述べた。芝が淹れてくれたお茶を大儀そうにすすっている。

「それに眞木という男、何とも胡散臭い。同じ屋根の下に暮らしながら、素性に関して何も知らないなんてことがあり得るか?」

「僕も意外に思いました。視力のあるなしにかかわらず、普通の一般市民であれば刑事の訪問を喜びません。あからさまに不快感を示すか、少なくとも動揺します。にもかかわらず、あの眞木という男の態度は堂々としたものでした」

「刑事が来ることをある程度予想していたのか。ますます怪しいな」

 辰巳がそう言ったとき、会議室に見知った顔が入ってきた。速水や亜須香がいるグループを見つけて駆け寄ってくる。

「ん、市ノ瀬だけか? 桜庭は?」

 速水に問われ、市ノ瀬は簡潔に答えた。

「小早川先生の遺体検案に立ち会って、それから飯塚英生に連絡すると言っていました。あのメモに書かれたとおり、自宅で遺体が見つかったんです。被害者は飯塚英生の妻でした」

「何だって?」

「現場での検視では死後半日ほどが経過し、遺体の頭部には何か硬いもので殴られたような跡がありました。速水さんが言ったようにこの二件が連続殺人である可能性が出てきました。しかもまだ続くかもしれません」

 その言葉を最後に周囲はシンと静まり返った。誘拐事件も切迫しているが、二件の不審死をこのままにしていいのだろうか。

「失礼します。公園の防犯カメラ映像が届きました」

 県警の刑事、畠山はたけやまが勢いよく会議室に入ってきた。辰巳は頭痛を和らげようとするように、こめかみをグリグリと揉んだ。

「何台あった?」

「二つある出入り口に一台ずつ。それから広場の中に二台。計四台です」

「よし、ご苦労だった。科捜研に回して画像分析を頼め。捜査本部にいるはずだ。それが終わったら捜査会議に出席しろ」

 畠山は回れ右をして出ていった。時刻に合わせ、他の刑事もちらほら会議室に入ってくる。辰巳は弁当の空箱が積み上がった長机を見た。

「伊達と佐久間、すまんがゴミ出しを頼む。なかなか旨かったぞ」

「グルメな辰巳さんの口に合ってよかったです。富田さんにお会いすることがあれば伝えておきます」

 伊達は自分が褒められたかのように嬉しそうににっこり笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る