第9話 六日目
翌日の夕方、ついにその時が来た。
医務室には扉が二つある。広間へと繋がる扉と、外へ出る為の扉だ。私はスティルと食事を共にする時以外は大抵医務室にいるから、外に出る時もこの扉から出る。そして外に出ては調合に使えそうな植物がないか探している。この時もそうだった。
自分も教会の外にいれば、同じ様に外にいる他の誰かの足音や話し声だって聞こえる。ディカニスの団員達には、いつでもどこからでもイェントックに戻れるよう、魔法の掛けられたメダルが配られる。捜索班の奴らもそれを使ってここに戻ってくるから、外にいれば誰かが戻ってきた事くらいすぐに分かる。異変だってすぐに分かる。
(二人分……。一人は足を引きずっている)
建物の陰に隠れて姿は見えないが、普通の足音じゃなければそれくらいは分かる。それに「大丈夫ですか?」とか「もう少しです」という声も聞こえてくる。おまけにその声は女性のものだ。
(ふむ……)
私は魔法で姿を消し、広間の開いている窓の側に近寄った。
教会内に入ってきたのは、大方予想はしていたが一人はコダタで、もう一人は見知らぬ少女だった。恐らく彼女が件の従姉妹なのだろう。その二人の姿を認め、誰かが——こちらも二人組だ——近づき、話し掛けた。あの後ろ姿から察するに、少し前に戻ってきたギンズと、図体と声ばかりがデカいアリスだ。それは聞こえてくる声からも分かった。
コダタは魔王に攻撃され、その場にいたのだというあの少女がコダタを助けたのだと言う。だがコダタは魔王に呪いを掛けられ、自分にはそれが解けなかったからここに来た、と。そんな少女の話を聞き、ギンズが医務室までコダタを運ぶよう指示した。
(やはりか)
昨日スティルに話をして、彼女が思案していた際、私だって考えた。従姉妹の同居人が魔王である可能性を。その予想は当たっていたと考えてもいいだろう。
(であれば彼女は……)
魔王の使徒、であろう。
(騙されているな、あの愚か者共)
気づいていなくてむしろありがたいくらいだ。魔王とあの少女との間の繋がりが判明すれば、あの野蛮人共は彼女を攻撃しかねない。彼女も魔法使いのようだが、戦闘訓練を積んだ野蛮人共が相手では勝てないだろう。
(……やるか)
私は妹に誓ったのだ。目の前に危機に陥っている女性がいれば助ける、と。
それが贖罪にはならずとも。
いつの間にか奴らは医務室まで来ていた。窓を開けておいて正解だった。姿を消したままそこから医務室に潜り込み、大声を出しているアリスの前で姿を現すと、奴は大声を出して驚いた。
ここで初めてその少女を——後で聞いたが少女という年齢ではなく、既に成人済みらしい。全くそうは見えない——目の当たりにしたが、近くで見ても魔力の強さは大したものではない。怒っているような、怯えているような、何とも言い難い表情でこちらを伺っている。先程彼女が広間を歩いている間、愚か者共は彼女に好き勝手な言葉を投げかけていた。怒るのも当然だろう。しかし何故怯えて……ああ、私のせいか。今の私の格好は、綺麗な身なりとは程遠い。伸ばした髪は整えていないし、髭も剃っていない。服も汚れている。誰だってこんな奴に助けてもらいたいとは思わないだろう。
しかし今更悔やんだ所で意味はない。私はコダタの治療と、コダタと共にいた彼女から話を聞く、という大義名分のもとに邪魔な愚か者二人を医務室から出ていかせた。コダタにも睡眠薬を飲ませれば、彼女との会話を聞かれる心配もない。
「キミと魔王はどういう関係だ?」
「それは……呪いを解く事と何か関係があるんですか?」
第一印象が最悪なせいで、不信感を露わに聞いてきた。彼女が自分から言いそうにもない為自論を披露すると、彼女は一切否定してこなかった。予想通り、彼女は魔王の使徒だ。
因みにこれも予想はしていたが、彼女は自分が身の危険に晒されているとは気がついていなかった。野蛮人共も彼女と魔王の関係性には気づいていないだろうが、気づかれる前に匿う事ができたのは幸いだ。説明した事で漸く彼女も危険性に気づいたようで、礼を述べてきた。私に対する警戒心も多少は薄れたようでほっとした。
ここから先の話を事細かに記す事は避けさせてもらう。これが物語であれば、その時の私は主人公ではなく、登場人物の一人にすぎなかった。主人公の名前を上げるとすれば、それは魔王の使徒である少女——紫野原翠だ。あの後私は彼女をスティルに会わせる為に地下へ行ったのだが、何と言うか……それからの私は醜態を晒してばかりいた。だから、詳細に記したくはないのだ。
紫野原翠の活躍により、スティルが待ち望んでいた魔王ディサエルもこの教会に現れた(その時私は床で伸びていたし、魔王のせいで身体が石の様にもなった)。ディサエルは魔王と呼ばれているせいで殆どの絵画では恐ろしい姿で描かれているが、実際に見てみると想像よりも幼かった。スティルの双子の姉であれば、彼女と同じく見た目だけなら十五歳の少女である事くらいよく考えれば当たり前の事であった。しかしスティルとは違って髪も肌も服装も黒く、けれども瞳だけはスティルと同じ赤色だった。
それからスティルとディサエルの双子は、スティルを守らんと迫ってくる騎士達を薙ぎ払い(この時私が大いに活躍した。活躍の仕方は伏せる)、私達はスティルの部屋を出て地上へと向かった。
こういう時、必ずと言っていい程邪魔者が現れるものだ。今回の場合はスティルを捕らえたままにし、かつ魔王をも捕らえたい者——カルバスだ。階段を上った先の広間では、カルバスが騎士を従え待ち構えていた。
「遅いッ‼ いつまで俺を待たせる気だ⁉ 俺がここにいると分かっていてずっと扉を開けずにいただろう!」
実際その通りだったから、当然のようにカルバスは腹を立てていた。
「部下の前でヒステリー起こすの止めた方がいいよー。職場内に怒鳴る人がいると、仕事のパフォーマンスが下がっちゃうんだって。あ、前じゃなくて後ろか」
そんなカルバスに向けて、スティルが馬鹿にしたように笑いながら言い放った。
「俺は女みたいにヒステリーなんぞ起こさな……おお! これは我が妻、スティルではないか! 忠告ありがとう! 次からは気をつけるとしよう!」
しかし馬鹿にされたとは露知らず、カルバスはスティルに笑みを向けてきた。おめでたい奴だ。彼女の舌打ちにも気づいていないのだろう。こんなのに付きまとわれたとあっては、奴にとって最悪の形で打ちのめしてやりたいという気持ちもよく分かる。
カルバスは私や翠にも文句を言ってきたのだが、このカルバスという男は、一夫多妻制の時代の、しかも王族の生まれだ。女性が相手なら老いも若きも口説くのが礼儀だと思っているような迷惑な奴である。文句を言ったその口で、翠に対し側室にしてやろうと言い出した。
(この節操無しが)
これに対し彼女はどう出たか。なんと声を震わせながらも己が側室にならない事も、スティルが奴の正室ですらない事も言ってのけた。否定されると思ってもいなかった愚か者共はざわめきだしたが、彼女のその言葉すら、カルバスは魔王の洗脳だと一蹴した。カルバスは騎士達に命令して私達を捕らえようとしたが、ここでもまた驚かされた。
「散れ!」
彼女が懐から杖を取り出しそう叫ぶと、その先にいた騎士達が押し退けられ、彼女の前にはカルバスへと続く道が出来た。
「キミ意外とやるな」
「あ、えと……」
彼女自身もまさかこうなるとは予想していなかったのか困惑していた。それもそのはず、今彼女の杖から放たれた魔法には、彼女のものだけでなく、双子の魔力も含まれていた。
(なるほどな)
スティルはカルバスの悔しがる様を見て楽しみたいと言っていた。確かにこれは悔しがるだろう。大した魔力も持たない少女に倒されるとなれば。きっとそうした事まで含めて考えて、この双子はこの世界に来たのだろう。
結果、その通りになった。
紫野原翠という、この世界に住まう少女の、双子の神の使徒の、「カルバス達を元の世界に送り返す」という願いを叶える形で、スティルの願いもまた叶えられた。
だからこの時の主人公は私ではなく、紫野原翠だったのだ。
……別に、私が主人公になりたかった訳では無い。
因みに奴らが本当に元の世界に送り返されたのかは不明だ。私自身が元の世界に戻っていないから確認のしようがない。確認する為だけに戻る気も無い。元の世界に戻されたからと言って、団員全員が同じ場所にいない場合、全員一緒に元の場所、元の時間軸に戻っているとも限らないのだ。この注意事項は飽きる程副団長から聞いた。それに、あの悪戯好きの双子が全員を同じ時間と場所に戻すとは考え難い。
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