第4話 二日目②

 その後黙って階段を上り広間へ出ると、運よくセンマードンと遭遇した。スティルは魔王しか要求してこなかったが、それをそのままセンマードンに伝える程私も馬鹿ではない。彼女の着ている服は昨日と同じものだった。着の身着のままここに連れてこられ、持ち物は何もないのであろう。服を二、三着と、何か暇をつぶせるような物を調達してほしい旨を彼に伝えた。暇つぶしに私がまた殺されてはたまったものではない。

 怪我をした蛮族共を医務室で治療し終わる頃には(怪我をさせたのがカルバスだったせいで、普通の怪我よりも治療が面倒だった。神に負わされた怪我の治療は容易ではないのだ)、昼食が出来上がっていた。昼食を取りに行くと、それがお前の仕事だとでも言うようにセンマードンが二人分の食事をトレーに乗せて渡してきた。

「他の奴に頼むと、スティル様に何をするか分かんねぇだろ」

 それを言うなら私だって彼女に何をされるか分からないのだが、愚か者共に任せるのが不安であるという意見には同意する。何かよからぬ企みと共に昼食を持っていった愚か者のせいで、キレたスティルにイェントックを崩壊させる様な事をされてはたまったものではない。勿論、センマードンがそんな心配をしているはずはないのだが。

 トレーを受け取った私は、これから魔王を捕まえるまで毎日三回スティルに食事を届けに行かねばならない事の良し悪しを考えながら、彼女の部屋へと赴いた。

 彼女の部屋の前まで来て、これは悪しき事であると結論が出た。見張りは数時間おきに交代する。朝とは違う奴らが立っていた。つまり夕飯時にも別の騎士が見張りに立っているという事だ。あの面倒なやり取りをここに来るたびにやらねばならない。

「何の用だ」

 ほら見ろ。決まり文句しか言ってこない。食事を持ってきた事くらい一目瞭然だろうに、私が馬鹿でも分かるように用件を言わなければ、扉を開けるという簡単な事すらできないのだ。ディカニスに入団するには一定の学力も必要なはずだが、こいつらの頭に脳は詰まっているのか?

「スティル……様の分の食事を持ってきたのだ。扉をノックして、スティル様に入室してもいいかお伺いしてから扉を開けろ」

 私はこれ以上ない程丁寧に説明したつもりなのだが、どうやら不足があったらしい。

「何故二人分なんだ」

「センマードンがワタシにスティル様と二人で食事をするように言ってきたのだ。キミ達二人の為に二人分の食事を持ってきたとでも思ったのか。どうせキミ達は見張りに立つ前に食事は済ませているのだろう?」

 納得はしていないが理解はした、という表情を浮かべた見張り達は私の言った通りノックをしてスティルに扉を開けてもいいか確認し、彼女の「どうぞ」という声が聞こえてから扉を開けた。

 私が室内に入るとすぐに扉は閉められた。と同時にソファに寝転がっていたスティルが盛大に笑い出した。

「人の顔を見て笑うな」

 机の上にトレーを置きながら私はそう言った。

「あははっ! だって、あなたが、ふふっ……『スティル様』だなんて言って……いひっ……敬語で喋るのが面白くって……あっはははっ!」

 よほどツボにハマったのか、涙を流し腹を抱えながら笑っている。

「そうしないとキミに失礼だそうだからな」

「別にそんな事気にしないのに……あはっ。あなたは誰に対してもそういう態度なんでしょ? だったらわたしがその場にいようがいまいが、他の誰かがここにいようがいまいが、あなたのいつも通りの態度でいて。その方が好き」

「はっ……⁉」

 最後の「好き」という言葉に動揺した。ギンズがあんな事を言ってきたせいだ。更に悪い事に、動揺する私を見たスティルが意地の悪そうな笑みを浮かべてきた。

「どうしたの~? 何をそんなに慌ててるの~? わたしに好きって言われたのがそんなに嬉しいの~? まぁ、あなたって誰かから好きって言われるような子には見えないもんね」

 余計なお世話だ。

「嬉しい訳があるか。そんな好意を寄せられても迷惑でしかない」

「別に今恋愛的な意味で好きって言った訳じゃないんだけど」

 ニヤニヤとした笑みから一変、真顔で言ってきた。

「迷惑とか言うなら、わたしだって取り繕った態度で接せられても迷惑なんだよね。わたしの肩書きだけ見て、わたしそのものを見ようとすらしてない感じがするんだもん。だからあなたがいつも失礼な態度を取る子なら、わたしにも同じ態度で接してくれた方がわたしとしては嬉しい。そういう意味での好きだから」

「そうか……。勘違いしてすまない」

 私ともあろう者が、何て愚かな勘違いをしてしまったのだろう。ギンズに少女が好みなのかどうかと聞かれなければ、こんな失態を犯すはずは無かった。もしくは彼女の特性のせいだ。彼女といると調子が狂う。

「勘違いしてくれてもいいけどね~。そうやって慌てふためくあなたの姿を見るのも好きだし」

 なんて事をまた満面の笑みで言ってきた。妙なものに好かれてしまったようだ。彼女が何と言おうと、気にし過ぎない方が身のためだ。そう自分に言い聞かせる。

 それより早く食べよう、と彼女が言うので昼食の時間となった。机を挟むようにソファが二つ置いてあり、私はスティルの向かいに座った。暫くはどちらも無言で食べていた。

 こうして大人しくパンを食んでいる彼女を眺めていると、十五歳程の見た目通りの少女にしか見えない。細い体躯と真っ白な見た目も相まって、非力でか弱くも見える。感じる魔力も大した量ではない。実際にはどれもその真逆である事を、うっかりすると忘れてしまいそうな程だ。しかも他の団員達はそうした姿を見ていない、もしくは見ていても記憶を消されている。おまけに本来何の神であるかを知らないから、見た目通りのイメージしか抱いていない。カルバスだって自分に都合のいいようにしかスティルを見ていない。

「うん。だからわたしの本来の姿を知ってたあなたのおかげで、わたしはここでも魔力を得られたんだよね。ありがとう」

 スティルは私を見てにっこりと笑った。

「ワタシは何も言っていないのだが」

「でも今わたしの事考えてたでしょ? わたしの事見つめてたんだもん、誰にだって分かるよ」

 だからと言って内容までは分からないはずである。

「ほら、わたしって神様だから。熱烈な視線を浴びせながらわたしの事考えてたら……って、そんな事しなくてもだけど、すぐ分かっちゃうの。分かりたくない事でも」

 苦い顔をして彼女が言った。心が読めると言うよりも、心の声が勝手に聞こえてくるのだろう。

「馬鹿集団の中にあなたがいてよかった。わたしがちょっとした事で『好き』って言っただけで変な意味に捉えて本気にするような子ばかりだったら、今頃この世界ごと吹き飛ばしてた」

 どうやら私は自分でも知らない内にこの世界を救っていたようだ。

「そういう訳で、あなたの事、好きだよ」

「……キミはワタシをからかっているのか?」

「言ったでしょ? 慌てふためく姿を見るのも好きだって。特に今朝……ギンズって名前だったっけ? あの子が来た時のあなたの反応凄く面白かったし。ああいうのもっといっぱい見せて。あははっ」

 あの時の光景を思い出したかのように、彼女はまた笑い出した。

「そんなもの、はいどうぞと言って見せられるものではないだろう」

「だからからかうんでしょ」

 清楚な見た目とは裏腹に、彼女には悪気しか備わっていないらしい。

「ああ、それと、わたしの身体調べたいなら好きに調べていいよ」

「…………は?」


 昼食を終えた私は空になった食器をトレーに乗せて彼女の部屋を後にした。階段を上る間も彼女が口にした言葉が信じられず、何度も自分の頭の中で反芻させた。「変な意味に捉えて本気にするような子ばかりだったら、今頃この世界ごと吹き飛ばしてた」と言われた後だ。あの言葉が本気なのかどうか、本気にしてもいいのかどうか、判断し難い。本当に本気なのでれば、彼女はそれだけ私を信用していると考えてもいいだろう。そうであれば……まぁ、別に、嬉しくない訳でもない。それに神の身体を調べるまたとない機会となる。

(いや、だからといって少女の身体を調べていいのか……⁉)

 とんだ変態ではないか!

「少女の身体を調べる、とはどういう意味だロクドト」

「うわっ!」

 ろくに周囲に気を払わず悶々と考えながら歩いていたせいで、突然目の前に現れた人物に気がつかずトレーをぶつけてしまった。食器がガチャリと音を立てる。目の前の人物は、睨むようにこちらを見上げてきた。

「我が妻に対し、何かよからぬ事を考えているのではないだろうな」

「そ、そんな訳がないだろう、カルバス」

 突如として現れたのは、ディカニスの長にしてカタ神話の最高神であり、スティルを我が妻と呼んで憚らないカルバスだった。忘れていた。こいつも人の心が読めるのだ。ただ、前に聞いた話では「読もうと思えば読める」との事だからスティル程ではないのだろう。

「スティルの不調の原因が何かを考えていたのだ」

 先程読まれた私の思考と齟齬が生まれないよう、慎重に言葉を選びながら答えた。

「そんなもの、魔王の洗脳以外に何がある」

「ああ、だが、念の為に詳細に調べた方がいいだろう。彼女が口にしないだけで、魔王といた時に何かよからぬ事をされていた可能性だってある」

「ふむ……それは一理あるな。それで我が妻の身体を調べるか否かを考えていたのか」

「そうだ」

 カルバスは納得したように頷いた。

「我が妻の為にそこまで考えてくれるとは、感謝するぞロクドト。我が妻の身体を調べるのであれば、身体に残った憎き魔王の痕跡を一つ残らず消す勢いで調べ上げるのだ。いいな」

「……ああ」

「まぁ俺の顔を見れば我が妻も元気になるだろうがな! はっはっはっはっは!」

 カルバスは高笑いしながら私が来た道を歩いていった。このままスティルに会いに行くのだろう。

「はぁ……」

 この世界が吹き飛ばされない事を願いながら、私も歩き出した。


「皮を剥いで服の材料にしなかっただけ感謝してほしい」

「そうか。……それは、助かった」

 その日の夜。夕食を持ってスティルの部屋に行くと、扉を開けた瞬間に殺された。見張りの騎士諸共廊下の壁にぶつけられたのだ。生き返った後見張りの騎士達はその分の記憶を消されたが、私は記憶を消してもらえない為彼女の部屋で愚痴を聞かされている。昼食の後、カルバスだけでなく、彼女用にと服や暇をつぶせるものを買ってきた調達班の者も数名でここを訪れたらしい。

「わたしを可愛らしい置物か、自分の欲をぶつける対象だとしか思ってないんだもん……本当にムカつく。あと百回くらい殺してやりたい」

 ああ、殺されたのか……。

「流行りの服は嫌いですっての。この世界の流行りなんて知らないけど」

 そう言って肉にかじりつく。

「それにあの本! 何で何冊も買ってきたくせに全部恋愛小説なの⁉ わたしの好みは人がいっぱい死ぬ話なのに!」

 調達班が買って寄こしたもの全てがお気に召さなかったようだ。

「あなたが買ってきてよ」

「ワタシがか?」

「そう言ったでしょこのクラッカ・ヴァール」

 翻訳魔法をもってしても翻訳できない言葉で罵倒された。言葉の意味は分からないが、雰囲気からして罵倒で間違いない。他国や異世界の人間と関わる機会の多いディカニスの団員は、全員翻訳魔法を施されている。その為どこの誰と話そうが会話に殆ど支障をきたさないのだが、それでもたまに代替できる言葉が存在せずに翻訳できない場合がある。

「知りたいなら教えてあげる。エルニクトの時にわたしが殺した古い神の名前。すっごい間抜けだったから、間抜けな子をたまにそう呼ぶの。知識が増えて良かったね~」

「普通にそう言えばいいだろう……」

「あらそうごめんね普通に言ったら正論突かれたあなたが逆ギレしちゃうと思ったの。そういう子の相手は面倒だからしたくない」

「……キミがストレスを溜めすぎている事はよく分かった」

「だったらそのストレスを消化させてよ」

「その前に夕飯を消化させろ」

「は~い」


 夕飯を食べ終えてから彼女が欲しい物を聞き出し(三回に一回は魔王の名前を出してきた)、調達班が買ってきた恋愛小説の批評に付き合わされ(人が一人も死なない時点で彼女にとっては大層つまらないものらしい。かと言ってお涙頂戴な人の死も論外だそうだ)(それよりも律儀に読んだ事に驚いた)、少女向けの服を男数人で選んでいる光景の気持ち悪さをくどくどと聞かされた頃には、彼女のストレスもそこそこ軽減されたようだった。

「ワタシが買いに行っても同じではないか」

「あなたは面白いからいいの」

 不服である。

「まあいい。外出できるか後で掛け合ってみる。無理であれば他の団員に頼むからな」

「うん。……あ、そうそう。わたしの身体、いつ調べるの?」

 ……いつ?

「キミ、本気で言っているのか……?」

「うん。ほら、わたしって神様だから。願いを聞くだけじゃなくて、叶えてあげちゃうの」

「本当に、本気で言っているのか? 昨日は望みを叶えるとは言っていない、と……」

「あの時はあなたがどんな人か分からなかったし。そういう目で見てくる子だったら嫌だな~って思ってたし。でも他の子達とは違うって分かったから、何を調べるかにもよるけど、いいよ」

 あっけからんと言ってきた。

「そうか。それは、ありがたい。だが……あー、その……」

「ああ、バカに言われたんだよね。わたしの身体に残った魔王の痕跡を一つ残らず消せって。バカがこの部屋に来た時に聞いたよ。あなたが変に入れ知恵をしたせいで、わたしの身体が魔王に汚されたって思いこんじゃってるみたい。ま、ある意味本当だけど、わたしとしては、汚された部分をディサエルに綺麗さっぱり無くしてもらったんだけどね」

 そう言われて私はスティルの凹凸の少ない身体をまじまじと見た。いや、その部分を無くしてもらったのだろうかと思った訳ではない。この年齢では膨らみが少なくても不思議ではない。

「勘違いしてる所悪いんだけど、服を着た状態だと分からない部分だよ」

「では内臓か? それなら確かに目で見て分からな……」

 一つだけ、思い当たった。服を脱げばそれの有無が分かるもの。過去に彼女の身に何が起きたかは知らないが、この見た目の歳で汚されたとなれば、消したくもなるであろうもの。

「キミ、子宮を消したのか」

「うん。入口ごと、綺麗さっぱり」

 聞けば、彼女達——つまり、スティルとその双子の姉のディサエル——は、神になる前の人間だった頃に虐待を受けていたらしい。その内容については割愛するが、それのせいで嫌な思いを沢山したから、と神になった時にお互いの子宮を魔法で消したそうだ。

「ちなみになんだが、その事をカルバスは……」

「あいつになんか教える訳ないでしょ。会話したくもないし、そもそも一方的に自分の事ばかり喋ってるだけで、わたしの話なんか聞こうともしない」

 それは、まぁ……想像に難くない。

「で、どうする? あなたはあのバカの部下だから、あいつの命令は絶対なんだよね? 魔王の痕跡を消すって事は、せっかく消した子宮を元に戻すって事なんだけど。でもあいつはわたしに子宮が無い事を知らないから、このままの状態であいつに差し出してもあいつには分かりっこないよ。無い事を知ったら怒って結局は元に戻せって言ってきそうだけどね」

「ワタシは……」

 ディカニスの騎士としてカルバスの命令に従うのか、それともスティルの使徒として彼女に従うのか。

(そんなもの……)

 これこそ考えるまでもない。あの日誓ったのだ。妹に——。

「ワタシは、キミの使徒だ。キミの事に関しては、カルバスではなくキミの命令に従う。キミの身体を元に戻してカルバスに差し出しはしない」

 この言葉を聞いたスティルは私の隣に瞬間移動し、私を抱きしめてきた。

「ありがとう」

 その姿、その言葉に私は——一瞬妹の姿が重なり——眩暈を覚えた。だからという訳ではないが、抱き着かれていない方の腕を彼女の肩に回した。

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