第三話 「火吹山の魔女」 後編
ソーリンと彼の叔母が住む小屋に居候して、四週間ほど過ごした。
給料を受け取りに、一度傭兵団の宿営地に行った時以外は、彼の後を追いかけた。
竜殺しの若者は、日の半分ほどは眠っている。
それ以外の時間は身体を鍛えるか、飯を食っているか、というような生活をしていた。
この頃になると、もう彼の
もっとも私は、彼のこなす量の半分もできなかったが。
「しかし、ほとんど体力作りだな。もっとこう、技的な物はやらないのか」
「技は、特定の状況では役に立つ。だが身体の強さは、およそどんな状況でも役に立つ」
彼は、そんな風に答えた。
「だが、そうだな。あんたには少し手ほどきした方がいいかもしれない」
彼はそう言って、私に木剣を構えさせた。
「打ち込んでみろ」
彼も木剣を持って、私と相対した。
踏み込んで打ち込むと、彼は簡単にそれを受け払った。
「踏み込んで、打つ、じゃない。踏み込みながら打つんだ」
言われた事を意識して、もう一度やる。
今度は、剣を振る前に木剣が顔の前に差し出された。
打ち込みが途中で止まってしまう。
「まだ遅い。武器から先に相手に向かって行くんだ。身体は後から」
意外に難しい。
踏み込みと振りを同時にやっているつもりでも、彼には二拍に見えるようだ。
身体の中心を守って武器を押し出すように踏み込むと、彼は納得したようだった。
「ともかく強い打ち込みを入れろ。それで敵の武器とかち合っても構わない。相手が倒れてなければ、何度でも繰り返せ」
彼は、次々と、武器を持ち替えた。
手斧、両手斧、
また私にも、そうさせた。
「武具は消耗品だ。常に得意な得物で戦えると思うな。一つの武器を十覚えるぐらいなら、何でも五で使えるようにしろ」
長い攻防にはならない。
どの試し合いも、一合か二合で私がやられて決着が着く。
「戦さ場では、
ソーリンは、さすがに名手で手加減も上手だ。
動きに支障ない程度の青あざを、無数に作られた。
あっという間に息が上がってへたり込む。
「よし、頃合いかな。少し、本気を出してやってみようか」
彼は、上機嫌に言った。
「そこからだ。疲れ果てた所からどれだけ戦えるかが、生き死にを分けるぞ。さあ、立て!」
私は、
するりとかわされ、足払いでひっくり返される。
空を仰いだ私の胸に、木剣の先が軽く置かれた。
「心の体力が無いから、
竜殺しの英雄は、片方の口角を吊り上げた。
「ソーリン、カスパー。ご飯だよ」
私とソーリンが話をしていると、彼の叔母が私たちに呼びかけた。
今日の彼女は、白い女性用長衣と、くすんだ紫色の前掛けと頭巾を着ている。
囲炉裏にかけられた平鍋の上で、パンが焼きあがっていた。
乳からバターを作った時の残り汁で、麦の粉と蜂蜜、木の実を練った物。
「ありがとう。ヴィグディースさん」
「ディー、でいいよ。みんなそう呼ぶ」
私は肯いた。
ソーリンが、パンにバターを塗ってかじりながら、こちらを横目で伺っている。
パンは、私とディーが一つずつ。ソーリンが三つ食べた。
他に、豚肉と
これもソーリンは、私たちの三倍食べた。
さらに若者は、吊るされた子羊の薫製から肉を削ぎ切って腹に収めていた。
食事が終わると、ディーは洗濯物を抱えて出かけていった。
恒例の昼寝の時間なので、私は寝床に横たわる。
そこで、ソーリンが声を
「叔母は、何年も黒か灰色の服しか着てなかった」
「へぇ、そうなんだ」
私も、小声で答えた。
「カスパー、あんた嫁か女はいるのか?」
「いんや。こんなおじさんは、なかなか相手にしてもらえなくてねぇ」
ヒッヒッヒと笑ってみせた。
「うちの叔母さんなら、年は釣り合うな」
「おいおい。オレはその日暮らしの、しがない傭兵だよ」
「別に所帯を持てとは言ってない。仲良くして欲しいだけさ」
ソーリンがうつ伏せになって、肘で身を起こした。
「親父と俺が、戦さや竜退治に連れまわしたせいで、彼女は連れ合いを見つける事ができなかった」
「えっ。戦さに連れてったの?」
私も身を起こして、尋ねた。
「ああ。なるべく後備えに置いたけどな。今でも、深層に
「いや、危ないだろ。女の身で」
「棒や槍を持たせれば、ひとかどの
私は驚いた。
「それに色々と……
ソーリンが、私を見た。
私は、思案した。
「そもそも、勘違いじゃないか? たまたま黒い服を洗濯してるだけとか」
そう言うと、彼女の甥は鼻で笑った。
「まあ、考えておいてくれ」
ソーリンはそう言って、再び毛布にくるまった。
次の給料日が、近づいてきた。
給料をもらいに行く時に、何も報告する事がないのは
深層に行く事を告げると、ソーリンとディーが同行する事になった。
迷宮の中。昇降機前。
「頑張ってこいよ!」
武装したノルドの男たちが、私の背を叩いて盛んに激励してくれた。
彼らも、基本的には"地層"の巡回しかしない。
ソーリン以外の"鍵持ち"は、少し前には三人いたそうだ。
そのうち、二人は夏に帰郷し、一人は私がソーリンと出会った時に亡くなってしまった。
人目のない深層での戦いは、ノルド的にはあまり美味しくないらしい。
ここしばらく深層に挑む者はいない、と聞いた。
昇降機の所に、今日は
鎖は縦穴の奥に伸びている。
ソーリンが、
ディーが、持参した杖に何かを呟く。
杖の先端には、潰れた四角柱のような形をした、石がはめ込まれている。
無色透明のそれが、光を発し始めた。
光は徐々に強くなり、白く輝く明かりとなって地下通路を照らした。
思わず、彼女を見る。
ノルドの男たちも、
やがて、鎖が完全に巻き上げられ、鉄籠が縦穴から姿を現した。
ソーリンが乗り込み、続けてディーが乗り込む。
男二人も入ればきついそれに、私が身体をねじ込めば、すし詰めになった。
ノルドの男たちが、激励の意味なのか、歌を歌いだした。
ソーリンが操作棒を引いた。
歌声を後に、鉄檻は竪穴に下っていく。
いざたて戦人よ
怖るな死地を 勲しを求めよ
剣に生きよ 剣に死せよ
我らともにヴァルハルを望もう
神々の盃を受けよう
我らともにヴァルハルを望もう
歌声も徐々に小さくなり、やがて聞こえなくなった。
「あの"ヴァルハル"ってのは何だい?」
「私たちの戦神が持っているという館の名前。勇敢に戦って死んだ戦士は、死後そこに迎えられて、永遠の戦さと宴を楽しむと言われてる」
私の胸の辺りから、ディーが答えた。
「すごいな、ノルドの戦士は。正直、オレは怖くて仕方がないよ」
「ソーリンは、間違いなくヴァルハル入りだな」
私は、努めて明るい声を出した。
「どうだろうな。俺は、ヴァルハルになんか行きたくない。生きて、稼いで、嫁と息子の待つ農場に帰りたい」
竜殺しの英雄は静かに言った。
その言葉に、意表をつかれた。
「じゃあお前、お百姓さんなのか。オレはてっきり、専門の戦士だと思ってたよ」
「最初はそうだった。竜殺しをした後も、首長は続けて欲しがったが、俺は引退して農場を始めた。ここには、出稼ぎに来ているだけだ」
「そうなんだ。お前なら、いくらでも
「戦さなんか、そんないい物じゃない。結局は、首長連中のパイの奪い合いだ」
そう言った彼の表情を見て、何も言えなくなる。
「でも、ここはいい。新しいパイが作れるからな」
ソーリンは、そんな風に言った。
鉄籠は、暗い縦穴を下り続ける。
鉄籠が着いたのは、三叉路になっている通路だった。
青銅の三層。
「なあ、ふと思ったんだけど。鍵はあるんだから、もう一往復して、ノルドの男たちにも加勢してもらったらいいんじゃないか?」
「試してみるといい」
私が尋ねると、ソーリンがそう答えた。
それで私は、鉄籠に乗り込んで、青銅の鍵を操作箱に差し込んでみた。
しかし、引かれた操作棒は元に戻らず、鉄籠も動かなかった。
「鉄籠の外に人がいると、駄目なんだ。加勢は呼べない」
「いや、そんな。おかしいじゃないか……」
どういう仕組みなのか、分からない。
「ここは、そういう所なのさ。半分、冥界(めいかい)に足を突っ込んでいる。腹をくくるんだね」
ディーが、そんな風に言った。
我知らず、
通路を進んで、探索を始めた。
右に、完全武装の上、手斧を持ったソーリン。剣は腰に
左に、ノルド達から借りた円盾を持った私。右手には、いつもの短剣。
私たちの後、
彼女が掲げた明かりがあるので、私もソーリンも両手に武器を構えられる。
明かりは、白く落ち着いた光を放っている。
そのおかげで、
しばらく歩いてると、ソーリンが足を止めた。
「来るぞ」
明かりの届かない闇を見据えて、彼は言った。
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