川向こうの少女

夏 鎧子

(一)あの日の少女

 十二月の初め、段々と外の空気が冷え込み始める季節になった。外に出る時はコートとマフラーが手放せず、それでも冷気が肌を突き刺した。

 その日、智子は大学一年の冬期休暇で、実家の静岡へと帰省していた。

 久しぶりの実家への帰省だったが、ただ家族へ顔を出すことが目的では無かった。今日は従姉妹だった鈴代和葉すずしろかずはの葬儀だった。お通夜は既に済ましていて、和葉の実家の近くにある、火葬場へと向かう為に、新幹線を降りて一度実家へ帰ると喪服に着替えた。父は一足先に火葬場に出向いていた。

 

智子の実家は、大きい川の側にある小さな住宅街に位置しており、川を挟んだ向こう側の町に、和葉の住む鈴代家があった。

 川向こうの町へと渡るための橋は長くて幅が広く、むかしは和葉と互いの家を行来する時、この坂のある長い橋を、向かい風を受けながら一生懸命に、自転車を漕いで渡らなければならなかった。

 実家にあった黄色のワゴン車を走らせその橋を渡りながら、ふと奇妙な出来事を思い出した。


 今から四年前の、十四歳の頃の事である。

智子と和葉は仲が良く、同い年であった。よく一緒に遊んでいて、その日は和葉のおうちでお泊まり会を開くことにした。

 ボストンバッグを籠に入れ、リュックサックを背負った智子は、自転車を走らせて和葉の家がある町へと向かっていた。橋の長さは永遠と続くようで、その日は風も強かったためか、いつもの倍近い時間を掛けて渡っていたと思う。

 ようやく向こう側の町と川沿いの公園が見えてきた。そして、橋を渡り切る手前で、数十メートル離れた左前の視界に入る土手に、少女が立っていた。

 灰色の服に身を包んでいるように見えて、近づいてくるうちに少女の姿がよく見えた。

 長い茶色の髪を三つ編みにして、丸襟のチェック柄のワンピースに茶色のセーターを着て、革鞄を背中に背負っている。

 智子はその不思議な少女に吸い寄せられるように魅せられて、自転車を止めると、橋の柵のほうに寄って、少女の顔をよく見ようと身を乗り出して..。そして、ぎょっとして後ずさった。

 少女の顔は、智子とよく似た顔立ちをしていた。

肌が日焼けしやすく、少し黒っぽいところ、鼻が丸いところ、目の形や髪の色まで、格好を除けばまるで鏡に映った自分のようであった。

 あまりにもそっくりな顔立ちに、もはや自分そのものの様・・・

 驚いて自転車を倒した拍子に、もう一人の智子はこちらを見た。彼女は驚きと、恐怖が入り混じった顔で智子を凝視した。そしてすぐさま踵を返して、土手を駆け降りた。

 「あっ、待って!」

 智子は倒した自転車を引き起こすと、ストッパーを外してすぐに追い掛けた。足には自信があった。智子は陸上部の選手だった。

 橋を渡切り、土手の方へと走らせるのに数分も掛からなかった。それでも、辺りを見回してもあの少女は見つからない。周辺の住宅街を探しても、もう一人の智子は見つからなかった。まるで煙のように、智子は消えてしまったのだ。

 その日の夜、遅れてきた事を心配した和葉と叔母と叔父にそのことを話した。まさか、と言って食卓が賑やかになったのを覚えている。とんだ冗談で、笑わそうとしているとでも思ったのだろう。

「えぇ!霊現象じゃなくて?」

 和葉が興味津々に言った。

「だって私とそっくりの人だよ。もし、お化けだったらさ、この私はどうなるの?」

「また夢でも見たんじゃ無いの?」

 叔母は笑って云ったが、あんな現実味のある情景が夢だろうか…。やはり見間違いなのだろうか?

「自分とそっくりな人ねぇ..ドッペルゲンガーみたいだね。」

 

「ドッペルゲンガー?」

智子は首を傾げると、興味深げに智子の話を聞いていた叔父が口を開いた。

「ドッペルゲンガーっていうのは一種の幻覚だよ。自己像現視って呼ばれることもあって、同じ人物が同時に別の場所に複数現れる現象の事だよ。芥川龍之介もドッペルゲンガーに会ったそうだよ。」

まっ、迷信だがね…。叔父はそう言うと片目をつぶって、ワインを一口飲んだ。


 それから、あの少女を見る事は無かった。

 が、今思うとあの時から、智子は自分が自分では無いような、奇妙な世界に迷い込んでしまったような気がしてならなかった。

 それから一週間後、智子は学校で倒れて、近くの私立病院に入院することになった…。




 

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