バタフライエフェクト(2)
車内は空いている席はなかったが通勤時と比べればだいぶスペースに余裕はある。俺は話し相手の斉藤がいなくなるとドアに寄りかかりスマホをポケットから取り出して今日のニュースなどをチェックした。
俺はふと
が、返事は五日経っても返ってこなかった。広瀬の返事が他の人と比べて遅いのは知っていたがそれはお昼の十二時に送ったら返ってきたのが夜の十時だった、そんなレベルで日付けが変わる前には返ってきてた。
五日、返ってこないのはもう常識から外れている。これが仕事だったらクビにしてしまいたい。既読すら付かないしもしかしたらこのLINEアカウントはもう使われていないのかもしれないと思った時に、ようやく返事が来た。
『ごめん、仕事が忙しくて返事が遅くなった』そんな一言から書かれていたがいや、いくらなんでも遅すぎないか。
五日間も返事ができないくらい仕事が忙しいってなんだ? 総理大臣でもそのくらいの余裕はあるんじゃないか? 二年ぶりに来た友達からのメッセージなんだから無視する気も起きないはずだ、と思いたい。
予定が空けば参加したいと返ってきたもののやはりいちいちその後も返事が遅い、早くて三日後、さすがにイライラし始めた俺は結局、皆んなの予定が合わないから一旦、この話は無しになったと嘘をついてやり取りを終わらせた。
予定を合わせるのが難航したのは間違いないから半分は当たっている。この状況で返事が遅すぎる広瀬の予定も考慮するのは難しいと判断してのことだったしそこまで後ろめたさはないが、ここにきて俺はなぜだか広瀬の身を案じた。心配しすぎだで終わればいいんだけど。
うん?
俺の視界に黒い何かが宙を飛び回っている、舞っていると言ったらいいのか、そんな物体を捉えた気がした。
虫かなと思ってそれを目で追ってみると……斜め向かい側に大股でぐったり席に座っている小太りの中年男性が居た。だらしなく口を半開きにして眠っている。
気がつけばあの黒い物体はその男性の頭上を旋回でもしているみたいにウロチョロし始めていた。
そして……。
男性は座った状態からビクッと飛び跳ね、バケツをひっくり返したように口から液体を吐き出した。隣に居たおじさんはたまげた表情をする。
マジかよ、あの人、電車内で吐きやがった……。
早くも車内に息ができないほど強烈な臭いが充満した。おかげでこっちまで気分が悪くなる。
『間もなく……』
車内に次の駅の到着を知らせるアナウンスが流れる。助かった。
数分後ドアが開いた瞬間、見なかったフリをしていた乗客が一斉にその車内から出た。ここは本来、利用客が少ない駅で乗り降りは僅かなはずだが、もちろん多くの人は乗る車両を変更するためだろう。俺もその一人だ。
外へ出てふと後ろを振り返る。
あの吐いたおっさんはただ呆然としていた。吐いたものが手のひらにも付着していてそれを凝視するように硬直していた。
前へ向き直したと同時に「大丈夫ですか? ……さ〜ん」と若い男性の声が微かに聞こえたが、時間もないので早歩きでホーム上を移動した。
先ほど乗っていた車両から二両ほど移動して改めて電車に乗る。
とっさの行動とはいえ一連の流れは気の毒としか言いようがない。自宅に着くまで異臭が放つスーツで公衆の場を歩かなければいけない。誰もが避けたがる、少なからず冷たい視線で見られるのは必至だ。俺だったらしばらく立ち直れない。
……あの人なんで吐いたんだろう?
見た感じ明らかに体調が悪い印象はなかったと思う。
酒の飲み過ぎ、いやそんな酒臭くはなかったはず。だったら乗り物酔い、これもとてもそんな人には見えなかった。人は見た目で判断するなとは言うが、あんな我が物顔で寝ているような姿勢は気分が悪い人がとるものではない。
おでこの高さ辺り、宙に黒い何かが点滅しているように見えた。
あれは、さっきも見た黒い物体?
俺は咄嗟にその物体を掴もうと試みた。潰さないように右腕をそっと振り手中に収める。これでも蚊とかの虫を素手で掴むのは得意な方だ。
手応えはあった。右手を広げる。やはり見た感じ黒い蛾のような虫だった。サイズは大きい方なんじゃないかな。幼い子だったらその大きさに興奮するかもしれない。
そう思うとなんだか俺はもの凄く貴重な生き物を捕まえた気になった。これは大物だ、とまるで川の主と遭遇したような高揚。
いつまでも素手で持つわけにもいかないとリュックの中からティッシュを取り出す。
その一瞬の目を離した隙だった。あの黒い蛾は手の上から消えていた。あれ、床に落としたのかと足元に視線を移すがそれらしきものはいない。
おかしい、逃したつもりはない。むしろ俺が掴んだことによって少し弱ってさえいた。おとなしくしていると思ったんだが。
どうも釈然としない、腕を組み考え込んでしまった。
数秒でも自分の世界に入り込んでしまったのが悪かったんだろう。左方向から人が歩いて来るのに気がつかず軽く腕と腕がぶつかってしまう。
「あっ、すいません」
「大丈夫です」
子供のような真っ直ぐな声だったな。とっさに小声で俺は謝るも向こうは気にしていなくてよかった。また絡まれたらどうしようかと。
そのままスタスタと行ってしまう、その背中を見た時だった。
やや曲がっていた背筋がピンと伸びた。急に息が荒くなる。
これは……間違いがない。
あの人は超能力者だ!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます